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ウイスキーを女性に喩えるシリーズ #5(カリラ 25年)

『強さは、時にジレンマとなる。』


オフィス街を颯爽と歩く彼女の姿は、
冬に吹く春風のように、人々を振り返させる。

仕立ての良いスーツを着て、
ハイブランドのセカンドバッグを携えていた。

彼女はこの辺りだと有名な女性起業家で、
これまでにいくつもの会社を成功させてきたという。

歩くヒールの音から、
彼女の溢れる自信が伝わってくるほどだ。

そんな彼女は、僕の所属する会社の社長である。

新人社員の僕からすれば雲の上のようなひとで、女性の対象としてみるにも恐れ多いくらいだった。



日も沈みかけて、
空の濃紺が橙色を押し出そうとする時刻。

オフィスを出て、駅に向かおうとする。


突然、うしろから僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。

彼女だった。

急な出来事で驚いたし、
彼女が僕の名前を口にしていることが
とても不思議な事のように感じる。


「たしかあなた、家は赤坂方面よね」

「はい、そうですけれど、、」

まさか、自分の住所まで覚えているだなんて。

たしかに就職面接のとき、僕のエントリーシートには目を通しているはずだけど、こんな下っ端のいち社員の情報まで覚えているなんて、女社長の能力の高さを痛感するようだった。


「私、今日はタクシーで帰るの。同じ方向だから一緒にどう?」

「えっ」

「いいじゃない、お金は私が払うんだし」

他意のない笑顔に、思わず首を縦に振ってしまった。


タクシーの中で、隣に座る彼女は足を組んでいた。

膝からヒールの先まで、美しいカーブを描いている。

彼女の姿勢がいいので、
僕もつられて背筋を伸ばしてしまうようだった。


女性の美しさは、フラクタル構造をしているとおもう。
きれいな人は、歩き方や姿勢、髪の毛一本、指の先までも美しい。


「まさか、僕の住所まで覚えてくれているなんて驚きました」

彼女は上品に笑って言った。

「いや、私が昔住んでいたところが近かったから、たまたま覚えていただけよ。あの近くに、美味しいチーズケーキ屋さんがあるの知ってる?」


いつもきびきびと仕事をする彼女の姿に慣れてしまっていたから、こんなにも無邪気に笑う人だとはおもわなかった。

食べ物の話、飼っている猫の名前の由来、好きな音楽の話、、

仕事とはいっさい縁のない
明るい会話のキャッチボールが続いた。


なんだか、彼女のほんとうの部分を少しだけ垣間見た気がした。


あっという間にタクシーは暗い住宅街へとすべっていく。


「あっ、このあたりでもう近くなので」

「あら、そう。もっとおしゃべりしてもよかったのに」

その言葉で、
僕はこのひとを好きになってしまった。

心臓の音が、大きくなっていることに気づく。


「ふだん仕事しか頭にないから、こういう会話をしたのは久しぶりだった。楽しかったわ」

「僕も、とても楽しかったです」

彼女はまた、上品に笑った。


「うん、ではまた明日、仕事で」

そういって、タクシーの窓が閉じていった。


彼女のタクシーが角を曲がったそのあとも、
しばらくその場に立ち尽くしてしまった。


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強い人は、弱い自分をさらけだすのが不器用になっていく。
カリラ 25年。

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