失恋と演劇
自分の嫌いな所の一つに「写真写りが悪い」という所がある。
正直スマホを向けられても、どんな顔すればいいか分からない。真顔?笑顔?手の形は?体制はこれであってるか?昨日の朝ごはん何食べた?
そんなこと考えているうちにシャッターが押され、結果として画素の集合体が微妙な顔を形成し、フォルダに転送される。
それが嫌だから、あまり三次元の自分が、地球に存在している証拠を残したくないし、振り返りたくもない。中学や高校の行事の写真集で自分が写ってるのも嫌だったし「あ、さばみそくん写ってる」って言われるのも嫌だった。
それなのに大学では演劇サークルに入っている。
多くの人の前で自分を魅せる演劇と、素性を隠して生きていたい自己。
一種の矛盾を秘めているが、これには深いわけがある。
高校時代、好きだった人が演劇部だったからである。
ここだけ聞けば、浅すぎてむしろ盛り上がってるが、まだちょっと聞いててほしい。
結論から言うと、僕はその人に思いを伝えることができなかった。
彼女は絵に描いたような品行方正で、「おしとやか」という言葉が広辞苑から抜け出してそのまま人と成ったのではないかと錯覚するほどだった。
三年生になってから二カ月が経った日の事、図書室で勉強をしている彼女を見かけた。最初は(ここの高校生としては珍しいな)としか思ってなかったが、後から英検準一級の勉強をしていたことを知り驚愕したと同時に、彼女に初めて興味を持った。
そこから何とか仲良くなろうと頑張った。最初は世間話をしかけて、夏休み明けには挨拶し合う位の仲になり、演劇部に入っていることもそこから知った。
でも、もしかしたらそれがいけなかった。
「一般受験でね、第一志望を目指してるの、演劇と英語一緒にできる所なんだよね」「英語勉強してる理由?海外に行って勉強してみたいの」
目標に向かって努力し続けるあの子と、かたや適当に勉強して成績を稼いで、推薦で楽しようとしたり「英語勉強するかぁ」と口だけで、準二級の英検の英単語帳をパラパラめくる自分。
話せば話す程、理解すればする程、住んでる世界が違うんだと認識させられる。
そして文化祭で三年生最後の演劇部の発表会を見に行った時だった。
発表が終わって観客が帰る中、僕は少しだけ残っていた。
舞台から出てきた彼女に何か声をかけようとしたが、言葉が止まった。
彼女は泣いていた。
三年間、ずっと頑張って来た。その思い出が溢れてしまったらしい。
これを見て、僕は完全に諦めてしまった。ああ、僕は勝てないどころか、土俵にすら立てない。涙が出るほど努力した覚えなんて一つもない。
英語も分かんないし、一般受験なんてクソ喰らえだ。
部員に囲まれて幸せそうなあの子と対照的に、僕はどこまでも独りだった。
僕は無意識に一歩線を引いていた。
クラスの中で多少話の合う人として、僕は卒業までその役割を果たした。
そして大学の話に戻る。僕は気が付けば演劇サークルに入っていた。
僕はきっとあの子の様には絶対になれない。けれど、あの子の見ていた景色を僕は知りたかった。それだけが理由だった。
そして昨日、初めて演劇の公演をやった。
勿論演者として活動したわけだが、ギリギリ事なきを得た。
演技自体は初挑戦だったが、もともとそういうのは好きなので大変だった事は特になかった。
裏方の皆さんと他の演者の方たちがお互いに協力し、最高の幕を閉じた。
「演技上手だったよ」「衣装似合ってる👍」
沢山励まされて、沢山褒められて、沢山笑って。
分かったことは、こうして皆と協力して結果を残すことは楽しいし、演劇も面白いという事。これで少しは近づけただろうか。
公演も終わり、皆で写真を撮った。
演者組だから前に出て、何枚も撮った。
写真に写った僕は笑顔だから、コンプレックスの頬肉が盛り上がってて、正直見た目が良いとは言えない。
でも、幸せそうに笑ってるもんだから不快だなんて微塵も思わなかった。
ああ、演劇サークルに入ってよかった。
大切なものがやっとわかった気がする。
後世に残すなら、こうして心から笑顔な写真がいい。
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