優越感は蜜の味

選民意識と言ってもいい、人間誰しも自分は特別とは言わないまでも自分には何か出来るんじゃないだろうかとか、それなりに何か持っているんじゃないかとか、やろうと思えば何でも出来ると信じてる時期は若かれし頃誰しもが通る道だし、それ自体が悪いことじゃない
でも世の中には本当に特別な人間っていうのは少なくて意外とそれは自分じゃなかったりするわけで実際に特別な人間に出会えばそんな根拠のない自身は吹き飛んでいく。
特別扱いされて、おだてられて、ちょっといい話をチラつかされれば自分に好意があるんだと誤認してしまう。
つまるところ神輿は軽ければ軽いほどいいのだ。最近は夢を見るのにも金がかかる時代、夢を見ている間に自分が擦り切れて消費されて自分が自分でなくなってしまう前に気がつく必要がある。
そう 「自分は特別なんかじゃないって。」

選民思想を与えてくれるものは主に昔は宗教だったわけです。
宗教の主な利益は本・グッズを売る、講演会を開く、会を作って会費を集めるの3つであり、最近出て来た新しい集金システムで広告収入の入るものが多くなってきた。何せ視聴者の優生思想や選民意識を刺激してお客の時間がそっくりそのまま広告収入に変換される。
例えば自分は他人の知らないことを知っていてスゴイと思ったりして自分に酔うことで快感を得られたり、
私だけが知りうる事実であたかもその現象が発生したのにはAとBとCという前提条件があり結果としてDという事態に陥ったと考えるところをAということだけが問題であると抽出して断定し支持を集める。
つまるところ「人間は自分の気分を良くするために生きている」これは否定できない上に逃れようのない事実であると同時に本能でもある。
「人間誰しも幸せになりたい」と思っているし、そうなるために人間は生きている。これは人間の本質で真理
極論を言えば人間は自分が幸せなら財産を全て失おうが勲章を貰えて2階級特進すれば戦争で死のうがどんなに苦しい修行でも人間は自分の気分さえ良ければ万事幸せなもの、
その典型がカルト宗教だったと言うだけのこと。

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