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強いこだわりをこだわりを持った人への微小な不快感

&プレミアムの5月号のタイトルが「センスのいい人が、してること」だった。そこには、さまざまな第一線で活躍している人のインタビューがあって、素敵だなと思う人もいれば、主張が強すぎるなと感じる人がいた。

情熱大陸をみていても、純粋に感心できる人と、めんどくさそうな人だなと感じる人とがいる。

この微小な不快感をうまく表現できない。強いて言えば意識高い系っぽさと頑固さと教訓臭さが絶妙な塩梅で混じっているような感覚である。

一方、いたく感心して、彼(彼女)の習慣を取り入れたりしてしまうこともあるし、この違いはなんだろうと考えている。

たとえば、音楽はレコードでしか聴かないという人がいるとする。(村上春樹の小説の人物から取った)
ここで、へえ、音楽にこだわりがあるんだ。趣味を追求する人なんだろうな、と思う場合がある。
また、いちいちレコードをターンテーブルにのせないと音楽を聴かないなんて、面倒くさい人なんだ、と思う場合がある。

この両者の違いはなにかはっきりわからない。
たとえば、私が知人にコーヒーはお気に入りの店で買った豆から淹れていると言うとき、私はどちら側に属しているのだろう。

違いの手掛かりは、言い方とこだわりの強さかなと思う。
たとえば、先の例でいえば、私があの店以外のコーヒー豆からできたコーヒーは飲まないといえば、聞き手は少しめんどくさそうな人だと思うだろう。
インスタントコーヒーでもいいが、できるなら豆からコーヒーを飲むのが好きというのは耳に悪くはないと思う。

聞き手がどういう印象を抱くのか、考えるのはむずかしい。

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