見出し画像

アニメの良いトコ悪いトコ#2 -機動戦士ガンダム水星の魔女スレッタはホントに主人公?-

水星の魔女、特に第2シーズンでのスレッタの行動が気になっている。

スレッタはホントに主人公なのか?

主人公とは何なのか?
もちろん設定資料に「主人公」と書けば良いわけではない。
主人公とは視聴者が中心に見るべきで、そして中心に見たいキャラクター
ではないか?
主人公の四苦八苦がそのままストーリーとなるのだ。

とすれば、作品内では基本的に主人公に関係のない話はすべきではない。
TVシリーズでたまの幕間にサブキャラクターを掘り下げる話を差し込んでも
それはアリだろうが、メインストーリーで主人公そっちのけはしないほうがストーリーにまとまりが生まれるだろう。
主人公が全く介さないシーンは、蛇足と呼ぶのがふさわしい。

ただし、主人公がその場に居れば良いわけでも、
居ないから悪いわけでもない。
ストーリーの中で、主人公は何らかの大目的を持っているはずだ。
それは内面の事かもしれないし、何かに勝利するとか世界を平和にするとか
外面の事かもしれない。
それがなければ視聴者はゴールが見えないわけだから、
道中何があってもゴールに近づいているのか遠ざかっているのか分からず、
ストーリーの先への興味が無くなってしまう。
主人公が介するというのは、主人公の大目的と関連があるということ

例えば、ファーストガンダムでアムロの大目的は平穏。
そこへ、ガルマというキザな男が現れ、アムロの居ない場所で
戦場のラブロマンスを始める。
シーンの目的としてはガルマの人となり、シャアとの関係を見せているが、
お話的には愛のためにガルマがアムロへ襲いかかる(平穏を脅かす)
前説となっている。

では、水星の魔女の主人公スレッタはどうか?
そもそもスレッタの大目的は何か?
やりたいことリストを完遂すること?
それと学園を中心とする戦乱に何の繋がりがあるだろうか?
大目に見て、学園に平穏が訪れないと
やりたいことリストが進まないというのはあるが、
スレッタは学園の平穏のために動いているだろうか?
もしかして大目的が無いのでは?

そして、ミオリネに突き放されてからスレッタはグズグズ籠もっている。
その間にグエルやミオリネの動乱が描かれるが、
それとスレッタに何の関係があるのだろうか?

これは21世紀の新しいストーリーの作り方なのかもしれない。
しかし、今のところ、自分には
そうすることの利点が見い出せていない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?