見出し画像

読書感想文 3 『「本当の大人」になるための心理学 心理療法家が説く心の成熟』諸富祥彦。

本の山から、今日も一冊手に取ってみる。
『「本当の大人」になるための心理学 心理療法家が説く心の成熟』諸富祥彦。

諸富先生の本は好きで何冊か読んだ。
初めての出会いは、2001~2年頃だったろうか。
『孤独であるためのレッスン』という本だった。
今回取り上げるのは、2017年発行で比較的最近のものだ。

この本のことを書く前に、少し回り道をしなければならないことをお断りしておく。

1.岸田秀先生

僕は精神分析とか心理学に若い頃から興味があった。
というのは、青年期は悩みがちだったからでもあったかもしれないが、それだけでもないような気がする。時代のせいでもあったのだろうと思う。
それまでならば、誰にでも起こる人生の悩み事などは、身近な相手、大人や同年代の友人に相談することや、普段の会話の中でなにか有益なヒントを得たり、またあるいは文学などを読んだり映画を見たりして感動したり影響を受けたりして、自分なりにあれこれ思索するのが常識だったのだ。
僕も高校時代の悩みは、自分で歌を作り、ギターをかき鳴らしながら、スクリームしたりシャウトしたりすることで発散していた。まあその程度のことだったのだろう。
ところが、書店でバイトをしていたある日、一冊の本が僕の目を惹いた。
「ものぐさ精神分析 岸田秀」である。
前に新聞で、この著者が書いたコラムを読んだことがあるのを思い出した。
それは、「スポーツは体に悪い」という内容で、常識というか自分の思い込みが覆された気がして驚きと共に、変わった人がいるなあ、と記憶に残っていたのだ。
さっそく社員価格の7掛けで購入して読んだ。当時、和光大学の教授だった岸田先生の文章はものすごく理路整然としていて読み間違えようがない文体なのが、わかりやすくてとても気に入った。内容は基本的に「すべては幻想である」というワンフレーズを言いたいための壮大な説明であり、そのための膨大な根拠となる事実を列挙してくれる。岸田先生は若い頃から自分の神経症によるおかしな行動や心の状態に悩んでいたが、あるときフロイトの著書と出会い、精神分析学の世界に入っていく。先生はフロイトの理論を基調としながら自分が普段から感じていたことをマルクスの「史的唯物論」をもじって「唯幻論」と称し、「(人間が経験している)この世界はすべて人間の精神が作ったもの=幻想である」というフレーズを刃に、世界の成り立ちの理由をクリアに切り取って見せてくれた。その快刀乱麻ぶりに魅せられた僕は、じっくりとその本を読み、「続」も読み、その後次々と出る著書はほとんど読んだ。
願わくば和光大学に入って岸田先生のゼミに参加したいと思ったほどだが、それは叶わず、著書を読むことで勝手に私淑していた。

それから40年近く経ち、岸田先生の本は書店であまり見かけなくなった。
だが、現代の著者による精神分析や心理学の本は、昔に比べてその数は膨大となっている。

実は時代はそういう精神や心の問題に関心のベクトルが向いていて、僕もその流れに乗っていたのだった。

2.諸富祥彦先生

僕としてはそんな数ある心理学関係の中の一冊として諸富祥彦先生の最初の出会いの本を手に取ったのだった。そしてそれはとても幸運な出会いで、今も事あるごとに開く古い友人のような本でいてくれる。

この「本当の~」は、諸富先生の最近の本で、内容は今の僕に実にぴったりだった。
人間はいくつになっても悩みは尽きないものだが、それはやはり成熟ということが問題になってくることで、現代の日本人は未熟なままどんどん歳をとって、それで本当に幸せか?自由か?ということを著者は問いかける。
「魂を満たして生きる」ために必要なことは?
現代に蔓延する「新型うつ」の原因は?

3.魂が満たされた人生とは

岸田秀は「すべては幻想だ」とおっしゃり続けた。

ある日僕も客席に参加した講演会の最後の質疑応答の時に、
「全部つくりもので、うそばっかりの世の中というのだったら、じゃあどうやって生きたらいいんですか?説明ばかりしてないで、生きる方法を教えてくださいよ」みたいなことを言った学生がいた。岸田先生は、彼に対して
「自分の生き方まで人に教えて欲しいのですか?そういうのを奴隷根性というのですよ」と言い放った。
僕は、ああ、と膝を打った。それが自由ということか、と。

諸富先生も、もちろん、個々人の生き方まで具体的に指南するわけではない。
「自分の深い内面の声を傾聴しなさい」と言う。
他人と出会うためには、まず自分と出会いなさい。
自分の本当のこころの声を聴く耳を持ちなさい、というようなことだ。
それはフォーカシングという手法であり、それが人格を成熟させていくための始まりであり基本となるという。

僕は文章を書くことで自分と対話している。
誰かに認めてもらいたいのが第一義ではない。

4.自分は「万能感に囚われている」ことを知る

ネット上には、承認欲求が満たされない人たちが、あちらこちらにいて、それぞれの手段でなにかを発信している。
一方で、SNSは苦手だと言う人もたくさんいて、そういう人も、他のやり方で、認められたくて、リスペクトされたくて、努力している。

諸富先生は、成熟した人とは、他者からの承認がなくても生きていける人のことだという。
自分で自分を認める。そのためには母親の子宮の中にいた頃の「万能感」にさよならをしなければならない。
そこには、フロイトの理論が基本にあるようだ。
まず自分は「万能感」に囚われていることを知る。
そしてそこから一歩踏み出し、大人になるために道を歩いて行く。
そうやって、魂が満たされた人生を生きられる成熟した人格を目指す。

壮大な計画かもしれないが、できればそうありたい。
人間はどうせ未熟なもんだ、楽しくやろうぜ、と昔の芸人やロックンローラーのように開き直ることもたまにはいいが、今の僕にはそれはウソっぽい。
基本は自分に正直に生きる。それが自由というやつではなかろうか

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?