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2024/06/14(金) 日記。生きた証を。めんどうくさい。天童よしみ「帰郷」最高。

死ぬまでに自分の歌を出来るだけ録音して残しておきたいと、思ってはいる。
思っては、いるが遅々としている。
いや、死んだ後に誰かに聴いてもらいたいわけではなく、
死ぬ間際に自分で聴きたいのだ。
人間という生き物が、生きた証に何かを残したいという望む癖があるのは、
現実を十全に生きられず満足できない者の、傲慢かつ厚かましい性質と常々思っているのだが、自分もそのようなものの一人だと、観念して思うようになった。
生きてるだけでいいなんてことはない。
いやいや、そんなに大げさなものではなく、やっぱ、なんか残したいよね~程度の願望です。

しかるに、それは専門作業なので、一般の生活をしながらというのは結構大変で、
That' why 一向に進まないのだが、時々思いついたように、準備できることはしている。

そしてそうこうしている間に、ちょっとした時間があるにもかかわらず、
「めんどうくさい」、という感情が現れ、その環状にに支配されてしまうことになる。
そんなんではあかん。
今日はめんどうくさいに打ち勝つために、基本に立ち返ることにする。
と、1曲分の、正式な譜面とも言えないが、
音源制作において大事な基礎となる「コード譜」を書く。
なんてことはない、A4コピー用紙にして2~3枚ほどのメモのようなものだが、
ただそれだけのことをちゃちゃっと書くのが「めんどうくさい」と思うほどに堕落している自分。
ほんま、それでええんか?そこに愛はあるんか?というやつである。

手始めに、ある有名な歌謡曲をカバーしてみよう。
コードも楽器で確認しなくてもわかる、シンプルな構成の曲だ。
コピー用紙に一行4小節。シャープペンシルで線を引いて、
エクセルで言うところの「セル」を作成する。
ああ、エクセルを使えたらこの作業は簡単なのだろうか。
ワードは使ったことがあるが、エクセルは結局手をつけなかったなあ。
それはいいとして、手書きでセルを書いて、その内部にコード、DとかGとかを書いていく。
A4に2枚分、たった95小節で収まった。
時間にして15分足らず。
たったこれだけのことが「めんどうくさく」て、手を付けられなかったのだ。
なんというていたらく。
人間とはこうやって腐っていくのだと分かる。

いや、だが、本当にめんどうくさいのは、ここではないのだ。
この紙の上の小節ひとつひとつに、パソコンの音楽制作ソフト上の小節に当てられた小節番号を書いていく。これがさらにめんどうくさい。何故めんどうくさいか。それは、一回書いたら終わりとは限らないからだ。
この先、音源制作を進めていくと、結構な確率で、小節数の増減があるのだ。そうなると、ソフト上では番号は勝手に割り振られるが、それに合わせて紙の方の番号を、修正しなければならない。消しゴムで消して、書き直すのである。
それって、めんどくさいよ~。
と、今まで何度も経験してきたからそう思ってしまうのだが、もうあきらめよう。
それさえ、そんなことは何かやるとなったら当たり前の作業で、それが仕事というものだ、と、
言い聞かせる。
実際、世の中の仕事をしている人を観察すると、そういう、修正、訂正、確認、一からやり直し、積み重ねの積み重ねで世の仕事は成り立っていると分かる。
そう分かっていたではないか。俺。

というわけで、そういうことをめんどうくさいと思いながらも、手を動かそうよ、と。
言い聞かせる。自分に。

プール。
いわばこれもめんどうくさい。いちいち水着に着替えたり。
これも少しずつ、何某かの進展あるいは現状維持があるからやっている。

ミセスなんとかのMVコロンブス問題をチェックしていて、
直接関係は全くないところで、天童よしみの「帰郷」という歌に遭遇。
youtubeで聴いてみたら、とてもいい曲だった。
いや、素晴らしい。犬も歩けば棒に当たる。とはこういう意味で使われるのだろうか、
逆だろうか。
自分の歌も天童よしみさんに歌って頂けたらなあと、尊大すぎる妄想。

そして、黒澤明の「生きる」に出てくる「ゴンドラの唄」をバタやんこと田端義夫バージョンで口ずさみながら歩く。
小さくてもいい。公園を作って誰かの役に立てたい。
そんな気持ちになることはあるが実現はむずかしい。

夕飯は麻婆豆腐。

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