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#映画にまつわる思い出 「エイリアン」と「時計じかけのオレンジ」二本立て

映画については思うところがたくさんありますが、キャンペーンの提案にある、「映画から受けた影響や人生が変わった話」をテーマに書いてみます。

高校入学後しばらくして、心の調子が悪くなりました。
今から40年ほど前の事で、その頃の社会は今ほど心の健康についての興味などははっきり言ってありませんでした。
子どもの自殺がたびたび報じられ、僕の身近にもそのような悲しい出来事があったにもかかわらず、
それらは世間的には単に特殊な突発的事例であるとされているようでした。

1980年代初頭、時代がこれからバブル期という経済的にも文化的にも異常な躁状態に入っていく直前。
「根暗(ネクラ)」という言葉が流行り、「暗いことは悪」のような雰囲気が広がっていきました。

私も自分のこの状態はおそらくいわゆる「五月病」というやつで、「心の弱い、ネクラなやつ」がかかる「一種の甘え病」だと思って自分自身を責めていました。
今ならスクールカウンセラーが配備されたり、メンタルクリニックのようなものがあちこちに存在し、不登校のこどもが何十万人もいることが大々的に報道されるなど、少しは社会全体が気にするべき問題となってはきましたが、当時は心を傷めた悩める青少年には相談する人も場所もありません。あるとすれば、それこそ文学や映画、音楽などの芸術表現あるいは深夜放送の人気DJに親しむことぐらいでした(いや、というより、そういう心の闇の受け皿という社会的役割こそが、芸術表現者の存在意義の大きなひとつだったのかもしれません。それはそれで今も必要な民間療法として生きています)。

そのような時代や、その頃の個人的な精神状態をふまえた上で、私の人生を変えた映画体験を挙げるとすると、それはその頃出会った「大毎地下劇場」といういわゆる「名画座」で「エイリアン」と「時計じかけのオレンジ」の二本立てを見たことです。

映画は子供の頃からもともと好きでしたが、お金を払ってしょっちゅう見に行けるほど裕福でもありませんでした。
テレビのロードショー番組や、新聞の集金係が毎月くれるタダ券で、当時の一般的なこどもが見る回数くらいを見ていた程度です。
(ちなみに家庭用ビデオというものはまだ存在していませんでした。レンタルビデオ屋が世の中に出現する何年も前の出来事です。)

冒頭にお話した私の「五月病」は幸い大事には至らず学校へも普通に通っていましたが、心の中は将来の不安でいっぱいではありました。学校の勉強よりも大事なことがあるような気がして、それが何故か芸術と呼ばれるジャンルの中にあるような気がして、本や音楽、絵画、マンガ、演芸、テレビ番組など、「どこかの誰かが作ったもの」にそれを求めていました。

どういう経緯かは忘れましたが、大阪の梅田の古い小さな映画館で、一般ロードショーが終わった映画を2本ずつ、しかも低料金で見られると知りました。その時の私にとっては、ひとりで映画を見るということさえが初めてのことで、今の人には信じられないかもしれませんが、それは私にとっては大冒険だったのですが、自分を変えるための「セルフイニシエーション」の一環と、勇気を出してたったひとりで足を運びました。
そうやって見た最初の映画がリドリー・スコット監督の「エイリアン」とスタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」。
おそらく映画好きの方々なら分かっていただけると思いますが、それは今となってはある意味最高の、そして至極順当な映画体験をしたような気がしています(映画の内容は、私が語るまでもなくみなさんきっとご存知でしょうから割愛します)。

1963年生まれの私はそれまでに、テレビも含めてですが割合一般的に有名な作品を楽しんできました。東宝のゴジラシリーズの「チャンピオンまつり」、「東映まんがまつり」に始まり、テレビで見た「大脱走」や「パピヨン」などでスティーブ・マックイーンに憧れ、「猿の惑星」でチャールトン・ヘストンの肉体にコンプレックスを抱き、ブルース・リーの全作品にはげまされ、パニック映画「ポセイドン・アドベンチャー」や「タワーリング・インフェルノ」、「エクソシスト」や「オーメン」などのホラー、角川映画が登場すると金田一耕助シリーズ、「グレートハンティング」などのドキュメンタリー、「アドベンチャー・ファミリー」などの家族で見られるもの、その他名作駄作いろいろ見た末に、こどもがそうたいして喜んで見るものでもなかった「男はつらいよ」寅さんシリーズを感動して見られるほどの高校1年生ではありました。

そんな子に「自分の人生が変わるかもしれない」と大きな予感を感じさせたのが「エイリアン」と「時計じかけのオレンジ」の二本立て。私が親ならあえてそれを自分の子どもに与えようとは思いません。「道を歩いていたらうっかりぶつかってしまったような体験」でないと人生は変えられないのです。
このときの出会いが与えたものが何だったのかをここで分析して説明するのは私の手に余るのでこれも割愛しますが、ひとつ言えるのは、「人の心は自意識以外にそうとう大きな世界があるのだ」と、フロイトを読む前に「なんとなく気づいた」ということです。
「堂々と大手を振って表を歩ける自分」と、そうでなく「どこか後ろめたい隠しておきたい自分」があり、またそれだけではなく、「自分も知らない自分があるかもしれない」、そして「それは当たり前のことで、自分だけが異常ではない」ということがおぼろげながら分かった気がして、まだ少し引きずっていた「五月病」はいつのまにかどこかへ吹き飛んでしまっていました。そして、「そうなのだ。自分の『作品』を作ることこそが一人前の男の人生だ」と直感し、何故か「よし、とりあえずシンガーソングライターになろう」とギターを掻き鳴らし歌を作り始めたのでした。単にこれから来るバブル期に連動した躁転だったのかもしれませんが、鬱々悶々としているよりは遥かに幸せなシフトチェンジでした。

そのような大きな変化を感じるような体験を、今年60歳になる私が、再び「映画に求める」のは正直無理があると思います。
この歳になると、どんなによく出来た映画を見ても、失礼だけれど「映画は映画だな」と思ってしまいます(それでも、なにかを求めて時々映画館に足を運ぶのですが)。

しかし、どんなジャンルでもいいからあの時のような「人生を変える体験」を与えてくれないだろうか、と、つい甘えたことを未だに思ってしまうのは、ある意味幸せなのだ、とも思うのです。すなわち「たとえば戦争のようなフィクション以上の恐ろしい出来事に翻弄されずに、今まで静かに生きて来られた」という、大変ありがたい人生のおかげであることは分かっているからです。
実際、おかしな境遇、ファンタジックな状況、ハラハラ・ドキドキなんかは映画の中だけでたくさんなのですよね。

今は「人生を変えてくれる」というより、なんというか「もう一度、実人生を信じられるような」映画体験に、道を歩いていたら思わずぶつかってしまったように出会いたいと思っています。

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