この気持ちに名前はいらない
暇さえあればアイドルのことを考えている。これはリア恋じゃないと思っている、というかアイドルにリア恋なんてするような乙女じゃないんだけれど、どうしたことか、暇さえあれば二階堂二階堂二階堂二階堂二階堂二階堂二階堂二階堂千賀二階堂の割合くらいでアイドルのことばかりを考えている。高熱に浮かされたかのようだし、本人がどれだけ否定しようとおそらく傍から見たら恋患いの状態である。これぞまさに、強いLuv Sick(黙れ)。
今のわたしは、いわゆる「新規」だ。二階堂さんを好きになってしまった経緯は以前こちらに書いたんだけれど、ごくごく最近。申し訳ないけど以前発売されたCDやDVDも全て追えているわけではないし、彼の出演作もまだ見終えてはいない。
「古参」「新規」については、個人的に色々と思うところがある。
わたしには、「古参」ファンとして応援しているグループ(15年は古参って言っていいよな…?なんとなく、もっと長い人が多いイメージだから気が引ける)がいる。
どちらのグループが好きか、と聞かれたら、咄嗟には答えられない。「好き」の方向性が全然違うのだ。長年応援しているSMAPに対して家族や身近な人を思うような安定した愛情を持っている一方、最近好きになったばかりのキスマイに対しては恋に落ちたばかりのようなドキドキやときめきを抱いている。だから、古参の方が好きの度合いが強いとか、新規の方が好きの度合いが強いとか、そんなの一概には言えないことは身にしみて分かっている。
ただし、「新規キスマイファン」としては「古参」の人に引け目みたいなものを感じている。もっともっと前から知っていたかった、デビュー前後からの彼らを見ていたかった。その気持ちは、ファンをしている限りはずっとなくならないんだと思う。テレビや雑誌で見せる顔が全てじゃないことは分かっているし、タレントの全てを知ることなんか絶対に不可能なんだけど、それでももっともっと見たい・知りたいと思うのはファンとしての本能みたいなものだ。
だから新規ファンは、一生懸命昔の資料を探す。インタヴュー記事を探すし、NAVERまとめで自担のエピソードを漁るし、少年クラブの映像を探す。現代ってすごく便利な時代だ。インターネット上には、たくさんの情報が落ちている。その大量の情報の中からちょっとしたエピソードを見つけ、一喜一憂する。例えばあじの開きが好きだとか、甘いものが苦手だとか、泳げないとか、そんなどうでもいい情報(ごめんね!でも正直わたしが生きていく上では特に必要ない情報なんだ!)を知るだけで、嬉しくなる。自分との共通点があれば「わたしも泳げない!」とテンションが上がるし、自分と相容れないところがあれば少し凹む。わたしが生きていく上でその情報を活用する機会なんて、決してないのに。
この作業は、とんでもなく楽しい。楽しい一方で、すごくもどかしいし、切ない。だって、わたしが初めて知って一喜一憂しているその情報は、きっと誰かにとっての常識だから。わたしが今知って「何これ可愛い」と悶絶したそのエピソードは、紛れもなく過去だから。
上記ツイートは三宅健くんのラジオ(の文字起こし)に寄せられたメッセージを目にして思ったことだけど、要は、出会う前の君を知りたい、と思うのだ。それは過去を埋めるプロセスであると同時に、ある種の「怖いもの見たさ」でもある。
わたしが君を知って応援し始める前に、君がどんなことをしていたのか。どんな表情をしていて、どんなことを話していて、何をしていて、どんな風に今の君になったのかを知りたい。そう思って、情報を探す。少しでも、知ろうとする。
知れば知るほど思うのは、今の二階堂さんになる前に出会っていたら、わたしは彼を好きにはならなかったのかもしれないということ。デビューしてから自分が得たものは「笑顔」だと謳い、「ガヤ担当」を自認するキスマイの元気印。真剣に何かに取り組むとなぜか口が開き、美味しいものを食べれば目をキラキラさせ、面白いことがあれば顔をくしゃくしゃにして笑う。コロコロ変わるその表情から目が離せなかったわたしは、カッコつけてた頃の二階堂さんを見ても好きにはならなかっただろう(今となっては、「わぁこんな風にカッコつけてたんだ、可愛い」という盲目っぷりだけど)。尖っていた頃の二階堂高嗣という人を知りたいと思うけれど、二階堂さんの笑顔が大好きなわたしは、その頃の彼と出会っていても彼の魅力には気づけなかったかもしれない。そう思うと、わたしが二階堂さんと出会ったのは奇跡のようなタイミングだった。
この気持ちは一体何なんだろう、と未だにふと考える。「担当」ってこういうもんなんだろうな、というのはいいかげん分かってきたけれど、他の言葉に置き換えると何になるのだろう、って。
自担のふとした表情にときめいてしまうこの状態を、ある人は"恋"だと言うのかもしれない。
何をしても可愛いと思ってしまう様子を、"愛"だと言う人もいるかもしれない。
こんなにずっと自担のことを考えている状況はただの"熱"のようなものだよ、という人だって居るだろう。
まあ、でも正直、何でもいいや。恋だか愛だか熱だかなんだか知らないけれど、こんなに毎日が楽しいのは久しぶりだ。まったく、呑気なものである。
ちなみに、古参SMAPファンとして新規SMAPファンに何か思うところがあるかというと、特に何もない。強いて言うなら、「ようこそ、底なし沼へ!」とでもいったところか。あ、でも、中学生とか高校生とかの若い子がSMAPを好きだって言ってるとすごく嬉しくなる。「この時のこの曲がよくてね」「この年のこの番組がよくてね」と、いろいろ紹介したくなる。そんなふうに頭の中にデータベースを持っているというのは、長年ファンをしているからこその強みなのかもしれないな。リアルタイムで見てきているし、ずっと背中を追い続けてきているから。
だけど、どれだけ長期間見てきたとしてもそれは「アイドル」としてのSMAPや5人の姿である。「あ、今の表情、木村くんっぽいな」「慎吾くんらしいこと言ってる」と思ったって、それはきっと鉤括弧つきの「木村」っぽさであり、「慎吾」らしさ。インタビューやらメイキングやらを見たって、そこに映っているのは"素顔"そのものではないんだろうな、と思っている。たぶん別に、全てを知りたいわけではないのだ。「アイドル」として「ファン」に見せている表情を好きになったんだということは重々承知しているし、それでいいと思っている。それでも、まだまだもっと知りたいと思うし、知れば知るほど好きになる。ここ最近はキスマイのせいで、SMAPが30代になる直前のことにしょっちゅう思いを馳せているけれど、「ああ、こうだったな」と思い出すこともあれば、「え、そうだったのか」と新たに気付くこともある。相乗効果でSMAP熱もこの数ヶ月だだ上がり中。これも一体どういう感情なのかよくわからないけど、楽しいからなんでもOKです。
脈絡がなくなってしまうけど少しだけ、キスマイツアー当落の話。一昨日の夜からずっと当落結果確認の電話がつながらず、昨日は朝から仕事どころではなかった。今日も朝6時から電話をかけては繋がらず、寝落ちては意識を取り戻し、電話をかけ…を繰り返し、10時前にようやく当落確認をすることができた。自分の名義ひとつでの勝負だったのでひょっとしてダメかなと思ったけれど、無事に1公演だけ確保することができました。9月17日、東京、北山宏光30歳誕生日公演に行ってきます(午後休取れんのかな…)。
わたしの当落結果はこんな感じ。大阪、行きたかったなぁ。正直、諦めがついてるかついてないかで言えば、あんまりついていない(上記ツイートの通り積極的にチケット探す気はないので諦めるしかないんだけど笑)。でも本当に、会えることには決まったので良かった。しっかりみっくんのお誕生日をお祝いして、Double Upを目に焼き付けてこようと思います!どうか9月17日がわたしの命日になりませんように!笑
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?