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セレンディピティとアジアの関係性

awoo Japanのブログで最新の台湾デジタル事情を書いたが、少し書ききれないこともあったので、このブログで補足したい

アジアの底力の源泉にある「雑多性」

「豊かなノイズ」とも言うべきか。アジア諸国は、訪れてみると様々なノイズが町中に溢れている。

高層ビルの隣には、古くからある木造の一軒家で果物屋があり、
ピカピカと煌々と照らされたネオンの看板が道の両側に軒を連ね、
おしゃれな若者に人気のコーヒー屋さんもあれば、その隣には、老夫婦が営む電気屋さんがある。
ヨーロッパのようなシンメトリーな街並みとは真逆で、あらゆるものが雑多に配置されている。

それは日本も同様だ。外国人観光客は、皆、東京を訪れると驚きを隠せないという。代々木公園周辺の閑静な住宅街を抜けると、突然ファッションの中心地原宿が姿を表せ、10代の学生たちが最先端のトレンドを追いかけている。また少し歩くと国道246号線にいきあたり、ラグジュアリーブランドが一斉に顔を出す。そこから青山方面に少し歩けば突然外資系のIT企業が並んだビジネスの中心地が現れる。

ちょっと歩いただけで、こんなにも街並みが変わるものなのかと、観光客はその多様性に衝撃をうけるようだ。

少し前まで、日本人はこの雑多な雰囲気を少し斜に構えて見ていた気がする。ヨーロッパの街並みはとても綺麗なのに・・・とか、もっと整然としてデザインも統一したほうが・・・とか、街路樹や公園をもっと整備して欧米っぽくしたいとか。

しかし、その考え方はもう古い。実は、この雑多なアジア特有の街並みこそが、アジアの経済パワーの源であり、今後デジタルトランスフォーメーション化する世の中において、必要なトレンドであるということを、そろそろ意識しておいたほうがよい。

セレンディピティに長けたアジア

セレンディピティ、それは様々な偶然の出会いの総称であり、思わぬ幸運が訪れたとき、それをセレンディピティと呼ぶ。

実はいま、このセレンディピティというものが2020年代以降、最も重要なファクターとしてクローズアップされようとしている。

その理由はこちらに書いてあるので割愛する。

情報が溢れかえった昨今、人々は、もはや新しい情報を手に入れるだけでは満足しない。すでに大量の情報パターンが生成されたおかげで、情報リテラシーも高くなり、ちょっとやそっとのことでは驚かない。

人々の感性は、情報を上回った。

この情報過多の時代において、必要なもの。それは新しいものの発見であり、体験である。自分の趣味嗜好の外側にある世界を発見することである。

自分の価値観を刺激するものを見つけるのは、なかなか難しい。なぜなら、それは顕在化された意識のなかにはないからだ。潜在的に眠っている自分の価値観のなかにこそ、刺激する存在がある。それを引き出すことができる者が、人生を豊かにする。

もうそろそろお気づきだろうか。

アジアの雑多な街並みこそ、セレンディピティを誘発するのに最適な環境である、ということだ。街を歩けば、あらゆる人生、あらゆるデザイン、あらゆる環境が目に入ることになり、その体験が「個性」を生み出していく。膨大な掛け算が生まれ、膨大な出会いがそこには創出されるのだ。

人工知能が間接的にもたらしたセレンディピティの重要性

人工知能によって、人の行動ははるかに「効率化」することができた。

ほとんどの事務作業は、今後AIが運用する世界がすぐやってくるだろう。そうなったとき、人々は何を思うだろうか?

AIを敵とみなし、その効率化作業を人間が取り戻しにいくのだろうか?残念ながら、人間はミスする生き物であり、AIのほうが優秀であるためそうはいかない。

AIにはなくて、人間にしかないもの。それは創造性(クリエイティビティ)だ。

で、先ほどの話に戻る。

情報がありふれた世界。大量のコンテンツパターンが生成される世の中において、何が生きがいになっていくのだろうか。

SNSで見た・聞いたものを確かめに旅に出るのと、まったく見聞きしたことのない新たな発見を偶発的に見つかるのと、どちらが幸福度が高いだろうか。

セレンディピティ。それはデジタル化した社会において、最も重要な人間の幸福のテーマであり、人生を彩る新しい発見なのである。



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