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偶発性を取り戻そう〜パーソナライゼーションの次の世界〜

僕はいま、「偶発的消費」「セレンディピティ」というものをとにかく主張し続けているのだが、まだ正直、時代が追いついていない感をすごく感じる。

その重要性に気づいている人は、感覚的には10人中1〜2人くらいで、まだあまり腑に落ちていない人が多そうだ。

マーケティングにおいても、必ずその波はやってくる。パーソナライゼーションがいまのデジタルマーケティングの超主流だが、今後その世界はゆるやかに衰退していくだろう。そして、その次にやってくるのは、偶発性の世界だ。

3rdパーティCookieの廃止は、単なる広告業界におけるリターゲティングの終焉というくくりの出来事ではない。そこには、デジタルという世界にうごめく「プライバシー」に関する大きなゲームチェンジの様相を呈している。加えて、「情報過多」社会という側面も影響し、複雑な糸と糸が絡み合い、「偶発性」の重要性が徐々に姿を現しているのだ。

デジタル化された社会において、大量の情報が溢れ出す世の中になった。いまや自宅にいながら、世界中の街の様子をストリートビューで楽しむことができる。VRヘッドセットをつければ、もはや海外旅行を疑似体験ができる。また、あらゆるニュース、あらゆるコンテンツが生産され、目に見えるようになったことで、人は常に情報と触れ合うことになった。

一昔前は、情報は享受するものだった。価値のあるものだった。新聞や雑誌、テレビが主導権を握り、人々に情報を「教える」ような感覚だった。しかし今では新聞や雑誌、テレビはもはや時代遅れのメディアとなり、SNS、ネットメディアが情報社会を席巻する。それにより、あらゆる情報が膨大に膨れ上がり、新鮮さは徐々に失われていく。そして、大量のコンテンツパターンが生成されることで、情報リテラシーも高くなり、いつしか人は、情報というものに対して価値を見出しづらくなった。

一つ、とても重要な示唆のある記事を紹介する。

落合陽一さんの記事である。ここに、重要な「偶発性社会」のヒントが隠されている。引用して紹介しよう。

落合陽一さんは本アイデアについて、「基本的に、ジェンダーバイアスやフィルターバブルといった世の中で起こっている大きな分断は、AI作りにも影響を及ぼしていきます。はたまた、偶発的に何かに出会わないセレンディピティが低い世の中は、withコロナ以降はすごく活発化していきます」と話す。「社会のなかに偶発性をどのように取り戻していくのか。ある種の祭りなど、突然起こるようなことをどのように入れていくのか。どのようにしてバイアスや差別が起こらないようにするのか。大きな課題ではあると思います」

私の解釈によると、ここに書いてあることの意図はこうだ。

過度に情報化された世の中において、情報リテラシーをつけた人々は、自分の趣味嗜好、思想哲学をある程度自分の中で顕在化することができた。身の回りのあらゆるコンテンツを、その顕在化した自分の思考によって直接解釈できるようになった。しかし、あらゆるものが表面化したことで、我々は何かに見たり触れたりするとき、「確認する」というだけの行為に陥ってしまった。大げさに言えば、比較・検討することで世の中を判断する世の中になってしまったということである。そこで、思いもがけないものに出会う体験=「偶発性」が、相対的に高い価値を持つようになった。本来人間特有のスキルである「インスピレーション・発見・発明」といった部分に焦点をあてるべきであり、AI化された時代において人間が最も必要になるものは、その「偶発性」を取り戻すことである。

表面的な価値観に沿うのであれば、「パーソナラーゼーション」は有効である。しかし、あらゆる情報・コンテンツと接している人々の心を揺れ動かすのは、もはやパーソナラーゼーションではなく、偶発的に起こされる「無意識へのアプローチ」である。

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