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断腸の思いの断乳

全然、断乳するつもりじゃなかったのに、
予告もなく、
ある日突然、断乳せざる得ないことになりました。

経緯

もともと次女には、卒乳(本人の意思で授乳をやめる)のつもりでいました。
だから、保育園の入園前面談でも確認し、「授乳はやめる必要、全くありません~」と言ってもらい安心していました。

しかし、入園させて4日目。
給食をほとんど食べないことを理由に、慣らし保育の延長断乳を打診されました。
私の復職日が4月下旬である為、給食を食べないことを理由に慣らし保育を延長されたのは、まだいいのですが、(いや、内心はよくない。私のフリータイムが目減りしていく…涙)ただちに断乳するように言われたのは心外でショックでした。

もともと授乳をやめなくてもいいと言われていたのに、
担任の先生からは、断乳をお願いされ、
園内の担当者による回答の違いにモヤモヤしました。

いつも利用する育児支援センターのプレイルームで常勤の保育士に相談するも、「ちょっとそれは担任の先生が強いね~」という反応で、
理論上、「断乳が卒乳より悪」というわけではないそうですが、
ネットを見ても、断乳は母親の意志が大事だと書いてあり、
私自身、担任の先生が決めて強要されたことに嫌な気持ちがしました。

しかし、給食を食べないのも事実であり、そんな日々が続くと慣らし保育が延長され続け、復職に影響してもいけないし、とっさに断乳を決めることにしました。

思いっきり泣きました

でも、やっぱり、辛かったです。
今思い出しても涙が出そうです。

その時、思い出したのは、昨年会いに行った元上司が
「子育ては最後がいつかわかんないんだよ~。『ママ、だっこするのは今日が最後だよ』だなんて教えてもらえないまま、気が付いたら一生できなくなってしまうんだよ~」
という言葉。

朝、何気なく適当に授乳して保育園に預けに行ったのが最後。
もう授乳できないことになるなんて、想定外でショックでした。

「今晩の寝かしつけまで授乳して、明日から断乳すればいいや」
と頭をよぎりました。

しかし、夫にも相談したところ、断乳による夜間の泣き声を平日に持ち込んでほしくないとのことで、金、土、日の3日で断乳を完了させてほしいと言われ、夫の言い分も理解できたし、半日以上、授乳を我慢していた手前、リセットするのも面倒になり、このまま断乳を決行することにしました。

授乳を我慢する間、
担任の先生が憎く感じたりもしました。
自分が保育しやすいように、授乳の因子を取り払って楽をしようとしているんじゃないかとか。

でも、その時のその先生の顔は、
真剣に保育をしており一生懸命だったんです。

だから、担任の先生を信じることにしました。

たしかに卒乳のつもりだったけど、復職後も夜間の授乳を続けることに少しの不安もあったし、タイミングとして育休最後にスッパリ断乳してしまうのも勢い任せに悪くないと自分で断乳ゴーサインを出すことにしました。

翌日の出来事

金曜の晩、授乳をほしがる次女に断固として拒否。
「どんなに泣いてもあげられないんだ」と説明しながら自分も一緒に泣いていました。

辛い。
寂しい。
でも仕方がない。

そのエンドレス。

せめて長女の時のように、(本人が理解するかは別として)前もって予告して心の準備をしておきたかったとだけ思いました。

そして、土曜の昼下がり。
急に断乳したせいで、右胸にしこりができてしまい、搾乳しても自分ではしこりが取れず痛み出してきました。
「月曜に病院に行くしかないかなぁ」と断乳の身体的不快な症状にげんなりしていました。

でも、
その時、私は、確かに自分の心の声が聴こえてきました。

「これは、次女に飲んでもらって助けてもらいなさい」と。

そして、次女に
「最後に1回だけ右胸だけ、これが本当に本当に最後だよ。」
と言って、右胸だけをごく短時間ですが吸ってもらうことにしました。

次女は左胸も欲しがりましたが、
約束通り、右胸だけ。

最後の最後。
お互いに認識しながら、
これが最後。

授乳なんて顔も見れないし、
短い髪の毛の小さな頭しか見えない。
でも、いつもの角度で、いつもの飲み方。
私と次女だけの秘密の時間。

慣れない新生児期、
痛くて痛くてヒリヒリして授乳なんて嫌だったし、
歯が生えてきた頃、
噛みつかれて痛くて思いっきり頭を叩いて怒ったこともあったし、
いいことばっかりじゃなかったし、
相手にするのが面倒で泣いたら授乳して黙らせてきたこともあったけど、
最後の短い授乳は幸せな時間でした。

何より、最後の儀式というか、
次女にとっても、これが最後と分からずに、
大人の事情で切り止めるということにならなくて、
それが本当に母親としての救いになりました。

わけもなく次女に感謝しました。
何がどう有難いのか分からなかったけれど、
授乳させてもらうことが当たり前じゃなくなる、その前に、
感謝したくてたまらない感情が込み上げてきたのかもしれないです。
やっぱり、「感謝の反対は当たり前、当たり前の反対は感謝」なのです。


そして、右胸のしこりが取れ、
次女は最後の授乳を終え、
あれだけ泣いていたのに、
聞き分けよく、
それから次女が欲しがって泣くことはほとんどなくなりました。

1才5か月でも、
母親の言わんとすることが伝わったのではないかと、
そう思います。

傾聴で現実を変えられた?

大袈裟ですが、
傾聴で現実を変えられた気がしています。

保育園の先生の話を聴き、
子育て支援センターの保育士の話を聴き、
夫の話を聴き、
自分の心の声を聴き、
次女の話だけ聴けなかったのですが、

あの時の自分の心の声は、
神様のふりをした次女の声だったのではないかと思うのです。

あの時、
自分の心の声が聴けたことで、
頑固な私が断乳を決断して決行していたのに、
応急処置的に、柔軟に、最後の授乳ができたこの現実は、
傾聴で現実が好転した、

とても面白いエピソードだと思います。

自分の心の声を聴きたければ、
普段から周囲の声に耳を傾けておくことが大事なのかもしれないし、
他人の声を聴けるその深さでしか、
自分の心の声も聴けないのかもしれない。

そして、
主張したくても主張できない弱者の声は、
時として、
自分の心の声に混ざって教えてもらえることがあるのかもしれないし、
母子の不思議な繋がりは本当にあるのかもしれません。


どちらにせよ、断腸の思いで行った断乳
こんなに深い感動的なエピソードになりました。

これだけの思いで断乳したわけなので、
今後、「断乳の思い」で取り組める仕事があるといいな。
「断腸」ではなく。笑





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