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『なんで僕に聞くんだろう。』を読んだ。


写真家、幡野広志さんの『なんで僕に聞くんだろう。』を読みました。



寄せられている1つ1つの相談が、かなりヘビーだ。

「家庭のある人の子どもを産みたい」「親の期待とは違う道を歩きたい」「いじめを苦に死にたがる娘の力になりたい」「ガンになった父になんて声をかけたらいかわからない」「自殺したい」「虐待してしまう」「末期がんになった」「お金を使うことに罪悪感がある」「どうして勉強しないといけないの」「風俗嬢に恋をした」「息子が不登校になった」「毒親に育てられた」「人から妬まれる」「売春がやめられない」「精神疾患がバレるのが怖い」「兄を殺した犯人を、今でも許せない」


世の中こんなに悩みのバリエーションがあるのかと驚くぐらいには多種多様な、悩みが書き連ねられている。


そしてそれに対する幡野さんの、忖度のない回答。

私は幡野さんの他の本も読んだことがあるけれどこの本がダントツで1番好きだった。

なぜなら、幡野さんのやさしさが詰まりに詰まっているから。



幡野さんの「やさしさ」は、ただ温厚だとか言葉が柔らかいとかではない。

相手のことを本気で想うやさしさだと私は思う。



相談者さん自身が自分を偽って、自分を綺麗に見せて、しあわせは誰かが運んでくれると信じているところに、ぼくは疑問を感じます
なぜあなたを黙らせたいかというと、あなたの話がすんごくつまらないからです。誤解しないでほしいんだけど、あなたの話でストレスを感じるということなの。なんか誤解を解こうとして、余計キツイこといってるね。


本当に忖度がない。

素直すぎてこっちが心配になるぐらい素直に、ズバッと言う。

こういうズバッとした文章がこの本の中にはたくさんある。中には、相談者に対して「読まないほうがいい」と幡野さん自身が言うぐらい厳しい指摘も書かれていたりする。


でも、これは相手に対して嫌がらせをしようとか、悪意をぶつけているというものではない。

読んでもらえればわかるのだけど、必ずどの相談も最後に「道」が見える。どんなにズバッと言っていてもその人のことを想っていることが伝わってくる。幡野さんが言葉通り、自分の残りわずかな命を削って、本気で答えてくれているその本気度と、本当のやさしさから綴られた言葉に、なんとも言えない気持ちになる。そして少しのユーモアにふふっとなれたりもする。


特に私は自殺についての相談と回答から本当にやさしい人なのだと感じた。


「思い返せば物心ついた時から自殺したかった」という相談者さんに対しての幡野さんの回答がとても好きだ。

ぼくは自殺をまったく否定しません。(中略)「自殺したらダメだ」という言葉って一見綺麗だし、倫理的にも正しいですよね。でもこの言葉で、自殺したい人はさらに追い詰められるだけなんです。だって、ただの否定と押し付けだから。(中略)ぼくも同じですよ、自分で自分の肯定をして、自分で自分のことを愛しています。それから自殺せずにぼくはたまたま生きています。それでも安楽死という手段を持つことで、いつでも死ねるという切り札を持っています。あなたにとっては自殺が切り札です。誰かに否定されて切り札を捨てる必要なんてありません。それがあなたを生きやすくしてくれます。いつでも死ねると思うと、不思議なことに生きやすくなります。


私は普段NPOの仕事で不登校・引きこもりの生徒の進路相談に乗っている。その中で出会う生徒や、普段の生活で自殺願望のある人と関わる機会がある。友達にも自殺したいと言っている人がいる。


「死にたい」

そう思っている人が世の中にこんなにたくさんいること、最近まで知らなかった。のうのうと生きてきた私にとっては結構衝撃だった。だからこの相談も自然と目に止まった。


何度か、知人に「死にたい」と言われたことがある。今でもどんな言葉をかけることが「正解」だったのか分かっていない。あの時の私には「そうかぁ。最後に決めるのはあなたの自由だから私が何かを言える立場でも無いけれど、私はあなたが死んだら悲しいなぁ」そう伝えるのが精一杯だったし、今同じ状況になっても、その人を楽にできる言葉なんて自分の引き出しにはないなと思う。だから幡野さんが自殺を切り札として残しておいていいと言っていたことがとてもいいなと思った。その言葉に救われる人もたくさんいるだろうなと思ったから。

自殺をしたい人の本当のしんどさや辛さを、私は理解できない。私はその人ではないから。でも、その人の自殺したいという気持ちを否定はしたくないし、出来るだけ受け止めて、もし可能なら一緒にそのしんどさを減らす方法を考えていきたいなと思う。


この本を読み終わった時、あの人に読んでほしいな、幡野さんに相談してみてほしいなと思った人がいる。


それは、私のマンションの隣の部屋に住む人だ

この1年、毎日朝と夕方、隣の部屋から男性の叫び声が聞こえる。

そんなに薄くない部屋の壁を越えて私の部屋にも響く声なので大声とかではなく、まさに「叫び声」

いつもは、「うわー!」とかあまり内容のない言葉だけど、たまに意味のあることを叫んでいる。(昨日は「うんこーー!!」って言ってた。笑)


叫んでいることに対して、私は別に「怖い」とは思っていない。最初はびっくりしたし、今でも戸惑いはあるけれど、怖くはない。

でも今日の朝、

「死にたいーー!!」

そう聞こえてきた。

怒っているような、悲しんでいるような、声だった。


実は同様の叫びは以前も聞いたことがあり、今回で4回目ぐらい。初めて「死にたい」とはっきり聞いたときは、びっくりした。できれば聞かなかったことにしたいと思った。聞いたからには何かしないといけない気がして。

一度だけ、マンションの中でこの人だと思われる男性とすれ違ったことがある。どこにでもいそうな気弱そうなおじさん。

この人にこの本を読んでほしいなぁと思った。少しは何か楽になったりしないかな。

ベランダに投げ込んでみようかと思うけれど、流石にそこまでの勇気はない。

3月に仕事の関係で引っ越すことになった。隣の叫ぶおじさんともバイバイだ。(なんだかこの人をこのまま置いといていいのかモヤモヤしています。誰かアドバイスをください。。)


…脱線したけれど、本当にいい本だったなぁ。

幡野さんの写真と文章に出会える人生でよかった。


こちらの担当編集者の裏話も面白いです、ぜひ。





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