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夏が来た。


今年も夏が来た。
この温度この湿度、この夏特有のまとわりつく空気が、走り回っていたあの頃を思いさせる。

🏃‍♂️


私は中高6年間陸上(走り幅跳び)をしていた。
今思うとよくあんなに頑張れたなぁと思うぐらい、毎日走って、跳んで、練習に励んでいた。

中学の時は、県で2番になった。

その夏の大会で人生で初めてのゾーンを体験した。
思い返すと今でも、灼熱の競技場に自分が立っているような感覚になる。

何百という観衆、競技場に響くアナウンスの声、本当はたくさん音が鳴っていたはずなのに、自分の鼓動の音と、自分の息づかい、跳躍の前審判に向かって言う「いきまーす!」の声に呼応してくれた仲間の返事、この3つの音しか聞こえなかった。助走を始めた瞬間にいけたと思った。踏み切るまでの18歩のリズムと、地面を一歩一歩確実に捉えた足裏から体幹に伝わる心地よい反動を今でも覚えている。踏み切ったあとどうやって着地姿勢に持っていったかは覚えていない。踏み切った瞬間に全部わかった。
1センチをベストを更新するのも難しい陸上の世界で、私はこの時20センチ以上ベストを更新した。


それまで県で入賞できるかどうかのレベルだったのが、急に県のトップ選手の仲間入りを果たした。
それからはトントン拍子とはこのことかと思うほど全てがうまくいった。
自分が頑張った分がそのまま結果につながった。毎日努力することが全てだと思っていたし、自分の努力が結果に繋がることが当然だった。
結果を出せない人は努力が不足しているのだとも思っていた。努力をすることが楽しかった。


🏃‍♂️


このゾーンの感覚を忘れられないまま、高校でも当然のように陸上部に入った。
同じ陸上部には県で1番だった選手も入部した。

5m14cm 中学のベストのこの数字を高校の3年間でどれだけ更新できるだろうかとワクワクしていた。


伸ばせるものだと思っていた。自分を信じて疑わなかった。


結果、3年頑張ったが、1cmも更新することができなかった。


苦しかった。
頑張ったら結果につながると信じていたのに、頑張っているのに、どうして思うように跳べないのか。
体重が増加したことも関係していると思い、夜は米を食べず、スープだけにしたり、鯖缶がいいと聞いては毎日鯖缶を食べたりした。
自分と同じメニューに取り組んでいる同級生たちが当たり前のように結果を出し、東海大会、全国大会に出場していくのを見ているのが辛かった。
大会のたびに不甲斐ない自分に泣いた。
努力は楽しいものではなくなった。

🏃‍♂️

夏が来るとなぜか、ゾーンを体感した陸上人生最高の日と、結果を出せず泣いていた最低の日、頑張ることを楽しいと思えていた夏と辛いと思っていた夏をどちらも思い出す。


今となっては高校時代の挫折があって本当に良かったなと思っている。

頑張ってもどうにもならないこともある。

夢は叶わないこともある。

努力しても結果に繋がらないこともある。


そもそも努力するためにはそれに取り組めるまわりの協力や環境が不可欠だったことも知れた。自分の成し遂げることは自分だけの力じゃないことを知った。

だけど、何かを成し遂げようと思うとき、それが結果につながるかどうかはわからないけれど努力を積むことは必要だということも知った。あと、ただがむしゃらに頑張れば結果が出ることなんてそうそうなくて、努力を向ける適切な方向を知ることも大事だった。


中学のままトントン拍子で進んでいたら、今の自分にはなっていなかっただろうなと思う。

結果が出ない中もがき苦しんだ日々だったし、笑うより泣く方が多かった高校時代だったけれど今でも大切な時間として記憶の中に残っている。


この夏はどんな夏になるだろう。

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