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POOLOフェス 言葉のない国で現代アート的自画像を

先日、POOLOの方が企画してくれた、
「ない」世界を体験することで、自分にとって必要なものを見つめる、「POOLOフェス」に参加してきました。

「ない」世界の1つ、「言葉のない」国で体験した絵を描くワークショップにて、
作っていただいた場に助けられ、初めて憧れていた現代アート的な自画像を描けた気がしたので、書いてみる。

現代アート的自画像とは

私は現代アートが好きなのだが、その中でもアーティストがたまに作品にしている「自画像」に憧れがある。
それは、写実的な自画像ではなく、自分の状態に目を向け理解するものとして描かれている。

例えば、現代アーティストの村上隆さんは村上さんのアイコンである「DOBくん」を定期的に描き、
そこにのせる色や模様などから自分の状態を理解するそう。

こちらがDOBくん。


私は長らく喜楽至上主義で生きてきたので、哀の感情を自分でも気づかないうちにうまく心の奥底にある壺の中に隠すのが得意なのである。

去年突如貯めすぎた哀が壺から溢れ、心が浸水し、水が引くまでの約1か月間結構大変な思いをした。
そんなところから、哀とうまく付き合いたいものの、私の前頭前野が哀を偏桃体に伝えずに、心にしまう習性があるのでまあ難しい。

そんなわけで、自分の状態を理解する術を持っていることに憧れるのである。

私の自画像

それが、これです。

私の自画像。

何に見えますか?(笑)

もやもや、野生の色違いのスチールたわし。などなど。

どれも、正解。
私も「これを描こう」ではなく、環境を起点に出てきた自分の中にあるものに身を委ねて、描いてみたものが、今の自分に思えて、そう捉えただけなので、そもそもこの絵に正解はない。

個人的に、アートはこう見ると面白いかも!という見解を描いてみているので
よかったら見てみてください…!

現代アートは旅のよう


過去の経験・思考から人それぞれかけているメガネは違うので、
その違いを楽しめたら、という後付けの思いが1割と、
憧れていた現代アート的な自画像が初めて描けたから聞いて!が9割の思いで、描きながら思ったことを書きます(笑)

描いてて見えた自分

POOLOフェスのワークショップの場で
絵を描くときに流してくれていた曲が心の奥底にある、壺を刺激する。
そこから、期待の裏に隠れていた、不安や悲しみが入り混じったものが顔をのぞかせる。

壁に向かった私は、目の前に何かあるわけでもなし、"何か"を描こうとするのではなく、この音楽に身を任せてみよう、と思えたのである。

波の激しくない大海原をゆらゆらと漂うヨットのように、音楽に浮かぶ。

もじゃもじゃっとした、ぐるぐるが現れていた。
これは、私の心の中なのかもしれない、と思った。

13歳からのアート思考 の探求の根の話が好きだ。
興味の根があちこちから出ている。
出始めのものもあれば、少し伸びているものもある。
しかしまだ花を咲かせていない。
もじゃもじゃが、今の状態の自分とリンクした。

1色じゃ寂しいので、赤色ものせてみる。
自分の心に表れたもう1色は、きっと論理で、先にいるのは、直感。

直感ベースだった自分に、論理が加わったのは最近。
直感ベースで論理があまり追いつききれていないものも、バランスがだいたい取れているものもあるのかな。論理先行はきっとないな。笑

直感で根が伸びたものの、固い地層にぶつかってしまい、花を咲かせることはできないのでは、という不安に、論理が手助けにきてどうにか別方向に根を伸ばすのか、固い地層を突き破って進んでいくのか、わからないけど。

今の私は、そんなところなのかな?

何かを描こうとせずに描き、見えてきたものから自分の状態を読み取ってみる。
まさに現代アート的な自画像が描けた気分。

部屋の壁に向かい、ある意味何もない空間に対峙して音楽に身を預けることで、壺からあふれてきたものを、うまく扱えたのかな。


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