「自分を大切にする」と「自分勝手」の違い
こんにちは。
「自分を大切にすることと、自分勝手の違いってなんなんだろう?」
これは、子供のころから大人になるまで、自分を大切にすることや自分を愛することをナチュラルに(しかも正しく)できている人にはない悩みなのかもしれません。
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自分を犠牲にして他者に尽くすことがまあまあ当たり前で、
それが「よい人間になる」ことだと思ってきた。
泣きたいときにも笑って
辛いときにも「大丈夫!」と言う。
人生の中でそんな時代を過ごした人が、
「自分を大切にすることが人生において大事だよ」と言われ、
「自分が幸せでなければ、人を幸せにすることはできない」と気づく。
そして、それ(自分を大切にすること、自分を幸せにすること)を努力して実践し始める。
だけれど、ふと「自分を大切にすることと、自分勝手の違いってなんなんだろう...」と疑問をもつ。
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今日はこの「違い」について書きたいと思います。
「概念」という考え方を取り入れる
「自分を大切にする」ことの定義とはなんだと思いますか?
「自分の時間を大切にする」「自分の感情を大切にする」「自分の自由(いつ何を選択するか)を大切にする」「自分の命を大切にする」
いくつも考えられると思いますが、ここでは仮に「自分の時間を大切にする」と定義してみたいと思います。
この、時間。
そこに、「自分の」という部分をいったん外して
「時間という概念が大切なのだ」と考えてみるのです。
そうすると、「自分を大切にすることと自分勝手の違い」が見えてきます。
例えばAさんという人が部下のBさんに、「昨日メールで送ってくれた資料、もう一度送って」と依頼したとします。
その理由は、メールを探す「自分の時間」がもったいないから。
どう思われますか。自分を大切にしているか、自分勝手か。
自分の時間は節約しているけれど、Bさんの時間を浪費させているという点では身勝手だと言えます。
これは「(だれのものであるかを問わず)時間という概念を大切にしていない」と思いませんか。
もう一つ。
両親に養ってもらっているCさんというニートの人がいるとします。
Cさんは一日中部屋でゲームをして遊んでいて、本人としてはそれが「幸せ」で「自分を大切にしている」と思っています。
だけれど、両親にとってCさんを世話する手間や経済的負担が人生の重荷になっていて、自立を願っています。
これも、「(誰のものであるかに関わらず)時間という概念を大切にしていない」と言えます。両親の時間を浪費させているからです。
この「概念」という考え方を取り入れると、
他者との I'm ok, you are ok. なコミュニケーションの基準が明確になります。
I'm ok, you are ok. とは、簡単にいえば「わたしもたいせつ。あなたもたいせつ。」ということ。win-winともいいます。
もちろん、人間である限りいつでも完璧にできるわけではないかもしれませんが、コミュニケーションの基準が明確になると、決断や行動に迷いがなくなってきます。(=根拠のない自信がつきます。)
自分を大切にしていて、他者からも「素敵な人だ」と思われる人は
(誰のものであるかを問わず)時間や自由、感情、資質や魅力など、"ヒトや人生を構成する概念" を大切にした結果、I'm ok, you are ok.なコミュニケーションができるようになり、仮にそれが叶わない条件下では勇気をもってno-deal(取引不成立)にできるから。なのです。
ここから余談なのですが、
家族(特に子供)をもつことで急に「自分を大切にする」とか「自己肯定感」で悩まなくなる方がいらっしゃいます。(このパターン結構多いです。)
これは、自分を顧みず自分の子供を愛したり世話をしたり、一見すると「自分を大切にする」ということにはなっていないようにも見えますが、
「子供を愛する」ということが「その人の固有の魅力(という概念)を愛する」ということに繋がり、「誰のものであるかに関わらず、一人ひとりが持っている魅力って素晴らしい」という考え方をその人の中につくります。
「一人ひとりが持っている魅力って素晴らしい」とはもう社会通念のようなもので、みんな頭ではなんとなく理解しているけれど、愛する人を身近で観察することで、それがより身体性を伴って実感される(腹落ちする)のではと思います。
そして(家族ですから)愛し愛されることで、そのエネルギーをフィードバックしあうことになるのです。
余談が長くなりましたが、
「概念」という考え方、ぜひ取り入れてみてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。
また次回に!
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