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受動と能動

為末大さんのこのnoteを読んで、色々腑に落ちたのでメモ代わりにnoteに残しておきます。

特に頷きまくったのはココ。

能動の我慢と受動の我慢の違いは解決を目的とするかどうかです。能動の我慢は最終的に困難の解決を目指すので、我慢しなくていい状態を目指して我慢をしています。一方受動の我慢は、環境の改善に向かって努力するわけではありませんから基本的に我慢をし続けることを前提としています。ゴールがあるのかないのかの違いは大きいです。ゴールがない場合はいちいち心が揺れていたら耐えられないので、本質的に自分の内側に取り込まなければなりません。

私はデジタル活用推進や支援をメインとして活動しているわけですが、その中でよく言われる「改善したいけど思うように進まない」というのは、「不便を強いられている」という状況と要因が「受動・能動」のどちらに分類されるのかごちゃごちゃにしていることが多いなと感じています。

もう少し掘り下げると、なにかを「改善」する時は、勘違いと思い込みも含めた経験値から来る「受動・能動」と、事実としての「受動・能動」を分けて考える必要がある…要するに「どうしようもない我慢」と「どうにかできる我慢」を整理して、前者を制約として位置づけた上で後者の対応を考えるという作業が絶対に必要になります。

ことデジタル技術においては、この我慢の「受動・能動」が技術革新や社会情勢によって簡単に入れ替わるという特徴があります。

それまで「自治体では無理無理無理無理ぃ!!」と散々言われていたテレワークやオンライン会議がコロナウイルスひとつでころっとひっくり返ったことなどはその典型例ですが、個人的には「あんなに言っても『それは受動的我慢せざるを得ません』と言われていたのに、結局能動的我慢が受動的であるという隠れ蓑を被って、やれない理由を並べてただけじゃんw」とアホらしい思いで眺めていたものでした。

というか、そういう彼らの思考は2種類あって、
①思考停止的に100%「受動的我慢」と思いこんでいる
②「ここがこう変われば実現できるのに…」と思いつつ仕方なく言っている
のどちらかだったろうと想像しています。
そして、①に関しては「はい失格♪」ですが、②に関してはまだ救いがあると思いつつ、その人達も①的態度を取り続けた結果、本当に①に転んでしまうことが多いので残念だなと思うところです。

そう考えると、自分が曲がりなりにも「改善」としてやってきたことは正に「その我慢って本当に受動的なものですか?」というのを相手に問い続ける作業だったわけですが、その時に必須だったのは「自分の中にある受動・能動の判断ゲージを緩くしておく」ということだったなと為末さんのnoteを読んで、すごくスッキリと腑に落ちました。

デジタルトランスフォーメーションというのは単なるデジタル活用ではなく、組織変容及びその結果としてのユーザー体験向上活動を指すわけですが、それに関わる人全てにこの問いを一日一回は思い出していただければと思います。

「あなたが今感じている我慢は、本当に受動的なものですか?」