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半分寝てる小熊さん

純喫茶リリーの近くに、大きな会社の小さな支店がある。
そこに勤めているひとりの女性が毎朝リリーにやってくる。
大きめのべっ甲のメガネをかけて、チリチリのパーマ頭、背が高くて細くて猫背。年は30代半ばくらいの小熊さんだ。

騒がしい店内に、1人ぬぼーっと黙って入ってくる。
一言も喋らない。
目が覚めるような真っ赤な口紅と真っ赤なマニキュアを塗っているのに、雰囲気はすごく暗く、話しかけるなオーラ全開。
うつむいたまま、4人がけのテーブルの端っこに座る。
ママは、小熊さんが来ると「あ、夢遊病がきた」と笑いながら、熱々のおしぼりとお水を置く。

小熊さんは黙ったまま、バッグの中からピンクの平べったい缶をとりだし、その中の裸できれいに並んで入っているタバコを1本咥えて、テーブルの上のマッチを擦り、タバコに火を付ける。
タバコの端っこには、小熊さんの真っ赤な口紅がべっとりとつく。

律子はいつもカウンターから、そのべっとりした口紅がついたタバコを興味深そうに、じーっと見ていた。

そしてママがツッカケをコツコツ鳴らしながら、いつものホットコーヒーとジャムトーストを運ぶ。
朝のざわざわした店の中で、ひとり静かに赤い口で赤いジャムトーストを頬張る。それが小熊さんなのだ。
独身で大きな会社に勤めているからか、お客さんの噂好きなおばちゃんたちはこっそり「オードミス」と呼んでいた。
律子は「オールドミス」という言葉の意味は知らなかったが、おばちゃんたちの言い方で、なんとなくいい言葉ではないんだろうなぁと感じていた。

お昼休みになると、襟の尖った白いシャツに緑のチョッキ、そしてスカートも緑のダサい制服姿をした小熊さんが来る。
お昼はナポリタンかピラフかたまごサンドイッチのどれかを注文する。
小熊さん、朝は一言も喋らないけどお昼に来た時は、ママと楽しそうにおしゃべりをする。あ、他のお客さんがいない時だけ。

律子は、小熊さんに興味があった。
まだ6歳の律子に、子供を相手にしている話し方をしないんだ。
ちょっと素っ気ないけど、好かれようとしていない感じが律子には心地よかった。
いい会社で働いて、いいお給料をもらって。なのにすごくダサい制服を着て毎朝眠そうでつまらなそう。
小熊さんは、ずっとこの先もつまらないのかなぁと律子はぼんやり考えていた。

そういえば、いつかママが言ってた。
「小熊さんは低血圧で、朝はいつも夢遊病みたいに半分寝たままで来るけどねぇ、夜になるとよく喋るんだわ。ありゃ、二重人格だわ」って。
ママが夜に街に呑みにいくと小熊さんにたまに会うらしい。
夜の街で会う小熊さんは、マシンガントーク炸裂で大きな口をあけて笑って、朝とは別人なんだって。

律子はますます興味が湧いた。
夜の小熊さんをのぞいてみたいと思った。

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