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「レイジング・ファイア」感想書いてみましたーー

いやーーー!!!やっときた!!書ける日が!!w
ずっと書きたいと思っていたのですが、ここまでのびのびになっている原因は

イラストを描きたかったから

なんですけどもw すみません💦
1枚2枚で済めばよかったんですけどもね~済まなかったのよw
書ききった!!それではスタート✨

逃れられないものからのうごめきと苦しみ

最初に観た時に一番感じたものがこのようなものでしたね。ほどこうとしても決してほどけないもの。さらに強く巻き付いたりするのかも知れない。作品中何度も「香港」を感じさせる景色があり、監督も数々手掛けてきたお馴染みの「香港映画」のオマージュのようなシーンもある。今までより強く香港を感じたのですが

今までと決定的に違うのは鑑賞後の爽快感、充実感がなく胸に楔(くさび
)を打ち込まれて、痛みと血の滴りが長く残る作品
だなと

「香港」という大きな括りで捉えやすくはあるけれど、私はこの作品が一番ベニー・チャン監督の心情とリンクしているんじゃないのかな?と思っています。


ンゴウは最初から死ぬ気だったんじゃないか

行動が良く似ているんですよね~「NEWポリス・ストーリー」で警察と対時する犯罪グループのボス、ジョーと。

ミスを犯した仲間に警告をし、その後身バレのきっかけになった時に自ら手をかけたり。警察をあざ笑うかのように堂々と敵地に乗り込んでみたり、その上で更なる犯罪を犯したり。

ちょっと話がそれますが無差別殺人は男性特有のものらしく、女性はほぼいないようなんですけどもンゴウ率いる犯罪グループもこの枠の中に入ると思います。最初は個人的な相手への恨みから個人への攻撃なのですが。そのうち街中で堂々と犯罪を犯すようになり、罪のない人々までもが巻き込まれ死んでいく。

きっかけは副総監から受けた指示だと思うんですけども実行する事により自らの人生の歯車を狂わせてしまった。昇進、結婚も決まり順風満帆になるはずだった人生。指示を受けた時点で彼はその先に広がる未来が想像できてすでに絶望していたのかも知れない。

自らに対する死への衝動を引き金として周りを巻き込み、自身をも滅ぼしていく。犯罪と死でしか自己を表現する事ができなくなった者がンゴウであり、この作品の真の主役ですよね。そして彼の絶望感、悲しみも劇中で痛いほどわかりますよね。
ジョーと同じく、心置きなく死んで行ける場所を探しているように見えました。

正義の元に起こした言動の先にあったもの

ボンは自らの中の正義に正直に行動する。上層部の息子の犯罪の隠蔽を持ち掛けられるも、しっかり突っぱねる。しかしその代償ともいうべきか、長い間追っていた事件の捜査から外される。

しかしこの作品では、正義という名の元にどれだけ清く正しい振る舞いをしても救えないものがずっと存在していて。ボンも正義を貫く事により、仲間を救う事ができず罪人にしてしまったという。後悔、自責の念のようなものをずっと持っているように見えました。もしかしたら犯罪者になってしまったンゴウと、刑事としてそれなりに幸せな家庭を築いていこうとしている自分に対し、かなりの葛藤があったのかも知れないですね。

そういう部分が捜査の途中怪我をして帰り妻、盈(ying4)に手当てをしてもらいながらつぶやく「これが最後だから」などの台詞に出ているような気がします。「刑事」としての人生を終わらせたかったのかも知れない。

ベニー・チャン監督にとって女性とは

監督の作品を全て見ているわけではないのでわからないんですけど、私が観てきた作品の中では女性はだいたい主人公を支える、家庭を守る存在として描かれているような気がするんですよね。「プロジェクトBB」のパッインくらいですね。少し外れた描かれ方をしたのは。そして主人公と一緒に行動はしない。

監督にとって「女性」ってどんな存在だったのだろう?男性は作品に登場し、危険な目に遭いながらも先へ進むことができているけども
危険な目に遭わせたくない?男性が守らなければいけない存在?>女性を危険な目に遭いわせたくないがために劇中のような危険なシーンには登場させられない?のかな。

ベニー・チャン監督の女性の描き方って安全領域、言うなれば聖域のような感じなのかも知れないですよね。汚されたくない場所であり、自身(主人公)が安らげる場所。だから危険な場所、シーンには重要人物として登場させられないのかもと思えてきました。今作も確かに爆弾騒ぎには巻き込まれていますが、その他のハードなアクションのシーンにはほぼいないんですよね。部下の女性が1人いますがそこまで重要視はされていないですし。>それがベニー・チャン作品なのだから女性の活躍増やして欲しい!!と要望する気はないんですがw 改めてちょっと気になりました。


静かなる戦い

アクションだけじゃないんですよ。堂々と警察署内にのり込んできたンゴウを取調室で迎えるボン。2人の会話、演技でのやり取りはすでに戦いです。
互いの信念、正義をぶつけ合う。しかもンゴウは警察の手の内をよく知っているし。アクションと並び見ごたえあります。

絶望を感じた場所をおちょくる存在へ変えた事で、ンゴウ自身は生きる時間が少々引き延ばされたのかも知れないですね。ハリボテの自尊心を手に入れて。


紛れもなく「ポリス・ストーリー」

ショッピングモール、モール内の時計台、踏み込む前に行う会議、裁判でのやり取り、敵の懐に飛び込んだ相手との対決、銀行、爆弾、銃撃戦などなど
「NEWポリス・ストーリー」以外にもジャッキー作品を彷彿とさせる場所やシーンが出てきます。出ていないはずなのにジャッキー・チェンを感じる。

今作では、ドニーさん演ずるボンが車に轢かれそうになる子供を助けるシーンがあるのですが、今までのドニーさん作品ならそんなシーンは入れてこないと思うんですよね、とてもジャッキーっぽいんですよ。>でも母ちゃんはもう少し気にかけてあげて!!とは思いました(;´Д`)

ジャッキー・チェンへのリスペクトを感じながらも、廃墟と化したショッピングモール、広場にあった時計台が壊れる様などを観るとベニー・チャン監督にとって同じ映画監督として越えなければいけない人、それがジャッキー・チェンだったのかなと思います。

それでもってお話も現代抱えている問題に沿った形でのポリス・ストーリー。浮き彫りにされた問題と「正義」に翻弄される者、自責の念に駆られる者がうごめいている。濃厚なストーリーとアクションを共存させられるのはベニー・チャン監督ならではだと思います。


怒涛のアクション

銃撃戦、カーアクション、マンクワイのアジトでのドニー無双、ラストの肉弾戦などなど息もつかせぬアクションのオンパレードで迫力もさることながら、アクションシーンにだけはやりきった感、爽快感がある

今作では複数のアクション監督がいて、パート別に手分けして作品の世界観を作りだしているようです。その中の1人、ラストバトルの肉弾戦のアクション監督谷垣健治さんによると敵役、ンゴウの強さを引き立たせるボン(ドニーさん)の受けの演技が重要だったようですね。迫力ありましたしハラハラドキドキしました。

そして作品中、ずっと「怒り」で燃え続けていたストーリーを経てラスト一気に爆発する。正に燃え上がる炎のような「怒火」
2人の男の意地がぶつかり、クロスオーバーする様がカッコ良かったですね。

いやー、ンゴウのバタフライナイフさばき。世が世なら瞬時に完売するよね。雑誌のうしろあたりの通信販売とかでw

というわけで私自身の妄想多々ありきなのですが、感想を書いてみました。
まだ絞り出したら書けるかも知れないw
それだけ心に残る作品、素晴らしい作品でありましたね(^^)>新作が観れないなんて寂しい。

最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)

私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos