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⑩今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

ちょっと「レッド・ブロンクス」の

アメリカで公開されていた時代の事を集中的に調べまくっているのですが

アメリカでの公開日は1996年2月26日

日本での公開(1995年8月5日)から、アメリカでの公開までにあった出来事、公開後の話も見過ごせないものばかりなんですよ。

今回はその辺りの事を書きたいと思います。

こちらの記事で、87年にニューヨーク映画祭で「ポリス・ストーリー」が特別上映されたのは、バート・レイノルズが大きく関わっているという内容を書きましたが

90年代のハリウッドにはアイデア不足、人材不足の状況の中で香港映画が注目されていたような動きはあったようです。


しかしアメリカでは見逃せない、もう一つの動きがありました。


レンタルビデオの台頭。

マンハッタン・ビーチにある「マンハッタン・ビーチ・ビデオ・アーカイブ」

高校を中退し地元の劇団で演技を学び、このレンタルビデオ店で同じくスタッフだったロジャー・エイヴァリーやお客さんと映画について語る日々を過ごしていた人がいました。

彼の名はクエンティン・タランティーノ

アメリカのテネシー州で生まれた彼ですが、

彼の観た映画はアメリカの作品だけではなかった。

西洋の映画だけでなく、東洋の、しかもマニアックな作品を多数見ている

日本の監督だと三隅研次や鈴木清順、塚本晋也、深作欣二(敬称略)作品への造詣も深い。

香港映画ではジョン・ウー作品も好きだそうで。

このようなレンタルビデオ店が、香港やアジアの映画作品をアメリカの人々へ広まる事にひと役買っていたのだと思います。

95年当時、クエンティン・タランティーノといえば飛ぶ鳥も落とす勢いのあった監督

「パルプ・フィクション」で数々の賞を総なめにしていました。


そんなクエンティン・タランティーノが

1995 MTV Movie Awards 生涯功労賞(ジャッキー・チェン)のプレゼンターとして登壇

正直、動画や記事が無いのには参ったわ

このあたりの様子は、クラシック喜劇研究家でありライターのいいをじゅんこさんがブログに掲載されています。

フィジカルコメディ史としてジャッキーの「奇蹟」から、95年MTVムービーアワードのタランティーノのスピーチの内容ほか、ジョルジュ・メリエスやダグラス・フェアバンクスにも言及されています。

確かに名だたるアクションスターの中で「フィジカル・コメディアン」としても通用するのはジャッキーだけだし、タランティーノがジャッキーをそのように称している所が面白いですね。

タランティーノは90年代のお気に入り作品に「Supercop(ポリス・ストーリー3)」を取り上げています。

タランティーノだけでなく、西洋での「ポリス・ストーリー3」の評価は高いようです。(さーみぃ調べによる)


いやしかし、疑問しかないのだけど

まだ「レッド・ブロンクス」が公開していないはずの1995年にアメリカでジャッキーはなぜこのような賞を受賞しているのか?

その謎には、こちらの方が関係ありそうですね。

しかしここからは私の妄想に過ぎませんが

1995年の初めにニューライン・シネマが「レッド・ブロンクス」をアメリカで配給するという契約が成立したのですが

~この契約の一部として、ニュー・ラインはこの映画と僕の宣伝のために全力を尽くすことを約束した。 
マーケティングの担当者が「アメリカの観客に映画を紹介するだけでなく、ジャッキー・チェンを紹介するのが大切なんです」と言った。  ーI AM JACKIE CHAN 僕はジャッキー・チェンよりー

カルト的なファンは知っている名前でも、全く知らない人達にジャッキー・チェンという名前、存在を知ってもらうには十分すぎる戦略ですよね>MTVムービーアワードでの受賞

受賞スピーチの前に、ジャッキーの過去作からピックアップしたトリビュート映像が流れたようです。>いやタラちゃんもめっちゃ喜んでいたみたいだけどね。


上記引用のニュー・ライン・シネマとの契約が成立した時にジャッキーは

とあるささやかなお願いをしたようなのですが

それがこの1996年2月26日 ロサンゼルスで行われたプレミア上映。(上映後にレセプションも行われたようです。)

そして週末興行収入1位の快挙。

あ、ちなみに主題歌はAshというバンドの「Kung Fu」だったという

聞きなれた「對得起自己」とは全く違うテイストの曲ですね。>無駄に明るいw


アメリカでの大ヒットを受けて、このような場所へも呼ばれています。

1996年 第68回アカデミー賞
短編実写映画賞
短編アニメ映画賞のプレゼンターとして登壇。

横にいるのはバスケットボール選手でもあり「死亡遊戯」にも出演、ブルース・リーと対峙したカリーム・アブドゥル=ジャバー

身長の差コントをやっていますがw

プレゼンターであるジャッキーを紹介するアナウンスにも「Rumble in the Bronx(レッド・ブロンクス)」がしっかり入っています。

このようにジャッキーはアメリカでの知名度を上げていったのですね。


いや、私は正直勘違いしてました。

「レッド・ブロンクス」がアメリカで公開されてから爆発的な知名度を上げて、MTVムービーアワードに繋がったと思っていたのですが

実際は逆だったのですね~受賞の方が先だった

ああーーこの辺りの話でもう2,3個記事が作れるw どうしようw


最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)


私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos