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今だからこそ考えてみたいシリーズ

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ジャッキー・チェンがなぜハリウッドで成功したのか?アメリカへ挑戦した作品と共に、自分なりに考えてみたいと思います
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#ラッシュアワー

⑯今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

前回の記事はこちらになります~ 今回はですね、「シャンハイ・ヌーン」がアメリカでどのような評価を受けているのかを書きたいと思います~ なかなか興味のあるサイトに出くわしたので、こちらをご紹介。 「シャンハイ・ヌーン」は2000年の5月23日にアメリカで公開されたんですが、週ごとの興行収入になるのかな?のデータが公表されていますね。 初登場で第3位✨その後もトップ10以内をキープしているのがわかります。 1位の「ミッション:インポッシブル2」はさすがとしか言いようがな

⑬今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

前回の記事はこちらになります。 案外「ラッシュアワー」の時の資料が残ってないのなーーーー こりゃ困ったなとなっておりますw 当事者の声が拾えるのが今のところDVDか来日した時のインタビューくらいしかないのねん この時代のジャッキーが来日した時の出演したテレビ番組などを録画されている方、それはきっと後々とても貴重な資料の一つになると思います。>是非とも保管してくださいますよう祈っています。 私はコレクター気質とか、推しのアイテムを揃えるという事に興味がなかったもので💦

⑫今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

前回の記事はこちらになります。 さて、ラッシュアワーを語りたい が!!!! ジャッキーのインタビューはあっても、クリス・タッカーとの2人でのインタビューがないな~ 2からはあるんだけどな~ 今回は、ジャッキーがハリウッドで「映画人として」どのように受け入れられて、「ラッシュアワー」が作られていったかの話。 ある日シルベスター・スタローンから、自分のプレミア上映に来て欲しい(たぶん「クリフ・ハンガー」)と招待されてアメリカへ行ってみると、スタローンは「デモリションマ

⑨今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

『レッド・ブロンクス』で、スタンリーと僕は、できるだけ「国際的な」香港映画、つまり東洋だけではなく、西洋の観客にも受け入れられるような映画を作ろうとした。 ーI AM JACKIE CHAN 僕はジャッキー・チェンよりー 「ポリス・ストーリー3」で初タッグを組んだスタンリー・トン監督。この作品でも十分世界の方々には受け入れられる要素はあるとは思うのですが いかんせん当時はまだまだ無名の1アジア人。 そこはジャッキーもよくわかっていたはず ポリスト3には、次回の大本番へ