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コロナ禍での 終末期ケア から感じたこと。

※個人情報にあたる部分はフェイクを含んでいます※

毎日、一県あたり数百人の感染者数の報告…
増えたり減ったり、数字に一喜一憂したり…
第五波の時ほどではなくとも
医療の現場は、多くの影響を受けている。

今、ほとんどの病院では、コロナ対策で面会を原則禁止にし、医師や看護師からの説明も電話での説明が主となっていると思う。

私の勤務する病院もその一つ。
基本的に面会ができるようになるのは、患者が危篤状態になった時。
そして、病院が指定した流行地域に居住している人は、2週間の自宅待機後でなければ、面会できない事になっている。

そんな状況の中、がん治療を終了し、緩和中心の治療に切り替え、最期はうちの病院で…と希望された患者さんもいらっしゃる。

年齢も、がん腫も、治療歴も、異なる患者さん達だったが、ケアに難渋した点は同じだった。

たくさん面会したい
色んな人に合わせてやりたい


これらは家族から訴えられることが多い言葉。

この言葉を聞くたびに、心が痛む。

患者さんが、病院で最期を迎えると決めた背景には、家族との関係性や、社会的背景や、経済的理由など、沢山の事情があるのだろう。
近年、在宅医療機関も増えてきており、自宅でのお看取りも不可能ではなくなっている。
それでも、病院で最期を迎えると決めた患者さんの真意なんなのか。

物理的に介護できる人がいない(独居や老老介護など)場合は、原因が明らか。
でも、側からみればマンパワーが充足していて、自宅介護も可能そうなのに、病院での最期を希望する方もいる。

その患者さん達がよく話すのは
「家族に迷惑をかけたくない。」
「家族の負担になりたくない。」
ということが多い。


最期の療養場所を決める時、がん患者さんの多くは、急激に体力が低下したり、病状が悪くなったことがきっかけとなることが多いと思う。
がん患者さんは、亡くなる数ヶ月前までは比較的元気に過ごされていることが多いからだ。
(もちろん個人差はあるし、価値観の違いもあるので一概には言えないが。)

なので、緊急入院→そのままお看取り方向となる患者さんも少なくない。

数年前から、厚労省でACP(アドバンス・ケア・プランニング)が提唱され、「人生会議」という言葉も話題に出るようになっている。
(たくさん批判を浴びてしまっていたが…)

日本では(田舎だと尚更)まだまだ死に際のことを話題に出すのはタブーとしている人がおおく、患者さんがうちに秘めた思いを、家族に伝えられず、亡くなる方も少なくない。


コロナ禍で、入院してしまうと、
患者・家族が人生会議をするハードルが益々高くなってしまう。
物理的に会うことが出来なくなることも要因の一つ。
そしてまた、医療者と患者、医療者と家族がそれぞれの思いについて話す機会も減り、コミュニケーションのずれで様々なトラブルとなる事もある。


ある患者さんは、
がん治療を数年していたが、治療変更をきっかけに急激なADLの低下・病巣の進行あり。
医師は、積極的ながん治療を中止し、緩和治療中心に切り替えることを提案した。
患者さんは、長年の治療経験から、もう完治はない事・予後が限られていることを理解し、治療の中止を希望されたが、
家族は、治療の中止に納得がいかない様子だった。
治療をしない=患者の死を早める
という認識だったのだろう。
家族は、入院後の患者の病状をイメージ出来ず、まだ治療を頑張れるのに医者の傲慢で治療しないつもりか!と、電話口で怒鳴ることもあった。

患者さんは、家族に自分の気持ち(積極的な治療を辞め、療養したい)を伝えるが、
それも、医療者に言わされているんだ!と思い込んでしまっていた。

患者と家族がどうすれば話し合い合えるのか。
どうすれば家族が受け入れられるのか…
何度も何度も他職種でカンファレンスを行い、様々な対策を講じた。

しかし、最期の時、家族は
「まだあの人は頑張れたのに、治療を辞めさせられた。私が毎日面会に来れていたら、あの人は頑張れたのに。」
といい、エンゼルケアにも参加せず、足早に帰宅されてしまった…。

とてもショックだった。
家族のいうように、家族の面会によって、精神安寧が保たれ、もう少し長く患者は生きられたのかもしれない。
でも、積極的な治療のやめ時は、身体的苦痛を考えれば、決して早すぎるものではなかったし、患者さんも望んでいたので、間違えではなかったと思う。
しかし、実際には、こんなにも意見の乖離が生じてしまった…。

コロナ禍を機に、ACPの必要性と重要性を再度実感した。
具体的に〇〇な状態になったら、治療をやめよう。とか、救命が困難な場合となったらDNARにしよ。とか。
一から十まで決める必要はないし、希望が変わってもいい。ちょっと話題にしておくだけでもいい。
これは、患者自身のためだけでなく、家族のためでもある。

今回の事例の患者さんは、最期ギリギリまで意識状態が保たれていたので、患者の望む治療終了時期や、緩和治療への切り替えについて相談することができた。
しかし、意識状態が早々に低下し、患者自身が意思決定できない状況となる場合もある。
そうなった場合、家族が本人に変わり治療などについて決定していかなければいけなくなるが、元患者の思いや希望が分からず、治療終了を選んだ場合、「自分のせいで早死にさせてしまった…」と自分を追い込んでしまう方もいる。
そんな苦痛を家族が味わうことがないようにするためにも、早期からのACPが必要となるのではないか。と思う。

最期を迎える頃の話は
とっても話しづらい話題だが、とっても大切なこと。
大切な家族だからこそ、たくさん話し合って、いざという時に納得した最期が迎えられるように…。

そして、医療者は、患者・家族の思いを汲み取り、ケアできるように、意識していくことが大切だ。と改めて思う。

日本医師会
◆アドバイス・ケア・プランニングについて
https://www.med.or.jp/doctor/rinri/i_rinri/006612.html

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