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ははが がん になりました。〜治療計画~

母からの乳がんを伝えられた1ヶ月後。

予定通り実家に帰省。

週末に家族みんなで帰省する予定だったが、金曜日に主治医からのIC(インフォームドコンセント/治療等を一緒に考える面談)があると聞いたので、私だけ参加する事に。

ICの前に一般的な治療経過について再確認した。

<乳がんの治療の流れ>

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日本乳癌学会編「患者さんのための乳がん診療ガイドライン2019年版」(金原出版)より作成

乳がんの確定診断を付けるために、術前に、乳腺エコーやマンモグラフィー、組織診(針生検)、CT、MRI等の検査をしていた。
(組織診は太い針を直接、腫瘤部位に刺して細胞を取る検査。打たれた!という感覚らしい。その位針を刺したときに衝撃があるようす。)


その結果から、術前で分かっていたサブタイプ(乳がんの顔つきともいわれる)は
・ホルモン受容体:陽性
・HER2(ハーツー):陽性
・Ki67(ケーアイろくじゅうなな):高値
・肺転移の疑いあり(!!)
(なぜ疑いだったのかというと…母はヘビースモーカー。肺結節のわずかな腫れだったので喫煙による影響かも?とのことだった)

だった。

ガンの場合、多臓器転移(腫瘍のがんの部位以外にがん細胞が飛んでいること)がある場合、病期に表すとステージⅣ期に分類される。
初期の確定診断の時は”肺転移の疑い”で、腋窩(わきの下)のリンパ節の腫れがなかったので、ステージⅡB期の診断だったそう。

             <乳がんの病期分類>

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ただ、最終的な病期は、センチネルリンパ節生検をしてみないとわからない。と言われていたそう。

●センチネルリンパ節生検とは
乳房内からがん細胞が最初にたどりつくリンパ節をセンチネルリンパ節といいます。触診や画像診断などで腋窩リンパ節への転移がないと判断された場合や、リンパ節転移の有無がはっきりわからなかった場合には、手術の途中でセンチネルリンパ節生検(センチネルリンパ節の一部を採取して調べること)を行います。
センチネルリンパ節生検の結果で、センチネルリンパ節に転移がないか、あるいは転移があってもわずかであるとわかった場合は、リンパ節郭清をしなくてよくなります。リンパ節郭清をしない手術は郭清をする手術より体の負担が少なくなるため、この検査は重要です。
            出典:がん情報サービス/乳がんについて

サブタイプ分類を見る限り、術後の母の治療は
①抗がん剤治療+分子標的薬
②ホルモン剤治療
が必須になるんだろうな~と考えていた。

          <乳がんの性質による薬剤の分類>

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・・・ここまで色々書いたけど、「乳がんです」と宣告されてから、こんなにも多くの情報を提供されて、治療選択をしいられるんだな・・・と衝撃を受けた。

IC前に情報を整理できたところで、母と再会。

母は「もう~来なくてよかったのに~。迷惑かけてごめんね~。」
と、ずっと私への申し訳なさを訴えていた。
いやいや…こんな時も私の心配しないでよ…
苛立ちと、一番不安だったであろう時に力になれなかった悔しさと、これから支えていこうという決意と、いろんな気持ちを抱いていた。

ICで初めて主治医と対面。
地元には、大きな病院は1か所だけ。手術ができる・抗がん剤治療ができるのもこの病院だけ。
乳腺外科の医師は、この主治医のみ。
私の勤める病院は、がん拠点病院だったのでちょっと心配ではあった。
でも、主治医は母の目をしっかりみて話してくれ、聞いたことは隠さず詳細に教えてくれる先生だった。

主治医から、術後すぐに母と継父には、リンパ節転移について等説明は住んでいたが、改めて私にも説明してくれた。
・センチネルリンパ節生検は陽性だった。よってリンパ節郭清をした。
・手術組織の断端検査でがんはなかった。手術で取りきれた。
・頸部リンパ節にもわずかな転移がありそう。放射線治療をした方がいい。
(乳房全摘だったので勝手に放射線はしなくていいと思ったけど、違った)
・まず抗がん剤(FEC療法4クール→アブラキサン療法4クール)
 放射線治療はここの病院ではできないから、通院に1時間かかる病院で
 1カ月位通って治療する。
 分子標的薬を(ハーセプチン)18クール(約1年半)
 その後ホルモン剤を5年~10年内服する。

やっぱりそうだよな~と思っている横で、母はショックを受けていた。
「先生、私60とか70才になっても乳がんと付き合うってことですか?」
主治医はさらっと「まぁそうなりますね。肺の方は転移かまだはっきりしないから…転移だとしても同じような治療になります。長く付き合いましょう。」
と、母に伝えた。
母は、手術して抗がん剤をちょっと頑張れば治療が終わる。そう思っていたようだ。
話は進み、2週間後から抗がん剤治療が始まることとなった。
同意書を数枚記載し、帰宅。
うちの病院だったら、ここで看護師のフォローや説明が入るのに…なんて少し比べてしまいながらも帰路についた。
この感じだとがん専門の薬剤師等もいないだろう。
病院が違うと患者さんが受けられる医療もここまで変わるのか…と実感した。

母は落ちこみを見せながらも「やるしかないもんね~。抗がん剤っていったらあんたの得意分野だもんね。心強いわ。なにが必要か教えて。」
と、前向きな発言をしていた。
「うん。やるしかないね。一緒に頑張ろうね。」
ここからが病気との闘い。
長距離マラソンを走るように続いていく。でも、きっとゴールがある。
一緒に頑張ろう。それしか言えなかった。

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