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わたしの看護の原点は…?

看護師歴10数年。

小学生の息子に先日
「ママは何で看護師になったの?」
と聞かれた。

その時はサラッと「人の役に立ちたかったからだよ。」と答えたが、
そのあとに「人のためってなに?ママは人のために生きてるの?」との言葉が飛んできた。

最近鋭いことを言ってくる小学3年生…。

でも、息子に聞かれて
(なんで看護師になったんだっけ?何で続けてるんだっけ?)と頭を巡った。

コロナの影響もあり、毎日毎日「忙しい」ばかり口にしていて、子供にもなぜ母はそんな嫌な仕事してるのか?と思わせてしまっていたのか…。

将来の夢って…?

最初に将来の夢を聞かれたときは、たしか
お花屋さん になりたい。
と言っていたと思う。
近所にあった花屋のお姉さんが優しかったから。

その次に聞かれた時は
パン屋さん になりたい。
といった。パンが大好きだったから。

とても単純に 好きなこと を仕事にしたいと思っていた。

自分の中の一番古い記憶で看護師になりたい。と言ったのは、確か小学2年生の頃だったと思う。

ある看護師さんとの出会い

8歳の年。人生の転機の年だった。
両親が離婚して、関西から東北に引っ越してきた。
方言が違うことでたくさんからかわれ、いろんなストレスからか、よく風邪をひいて休んでいた。
母は、シングルマザーとして私と弟を育てるために必死で、よく体調を崩す私は祖父母に預けられる事が多かった。
ある日、風邪をこじらせて入院することとなった。
私は、数日後に控えていた校外学習に参加しなくても良くなったことを喜び、久しぶりに母を独り占め出来ることに浮かれていた。
(今考えれば母は物凄く負担だったと思う。)

入院病棟は小児科が空いておらず、お年寄りが多い病棟だった。
個室に入り、ほとんど部屋から出ることはなかったが、シャワーの時は部屋から出れた。
いつもバタバタと走る看護師さん。
目つきの怖いお医者さん…。
完全看護ではなかったので、日中は一人で病室で過ごしており、病院の異様な空気に圧倒されていた。

ある日、若い看護師さんが、折り紙を持ってきてくれた。
「〇〇ちゃん、いつも何してるのー?看護師さん今手空いてるから、一緒に折り紙でもしない?」
(えー。看護師さんって暇なんだ〜。)
と思いながら、30分ほど折り紙を折りながら、家のこと・学校のこと・病気のことなど、いろんな話をした。

関西訛りが抜けきれておらず、家族以外にはほぼ単語でしか話していなかったが、看護師さんは黙って話を聞いてくれた。

そして最後に「〇〇ちゃん。頑張ってるね。病気もお友達とのことも、大変だったね。辛かったね。」と言ってくれた。

子供ながらに、頑張ってることを認めてもらえ、共感してもらえたことが、とても嬉しかった。
あ、この人になら普通にしゃべっても大丈夫だ。とも思えて、そのあとは関西弁丸出しで話すようになっていた。

10日ほどし、病状はすっかり良くなり退院。
母から聞いた話では、まだ入院していたいー!と泣いたらしい。笑

この頃から、漠然と 看護師 という職業に憧れていた。

その後、いろんな職業にも興味を持った。
でも、頭の中にあの看護師さんの優しさと笑顔が残っていて、高校卒業後の進路を決める時期にはまた、看護師になりたい。という思いが生まれていた。

ある患者さんとの出会い

看護学校に入学し、様々な分野の実習を受けた。
難しい専門用語、厳しい指導者、膨大な記録、眠れない日々…
同級生は頭の良い子が多く、いつも劣等感を感じていた。
何度も何度もやめようか…退学してしまおうか…
と悩みながら過ごしていた。

終末期実習のとき。
受け持ち患者さんから発せられるネガティブな言動(死にたい、辛い…)が辛く、学生として何もできない不甲斐なさを感じていた。
そんな時、病棟指導者から
「解決しようとするのではなく、寄り添いなさい。受け入れられなくてもいいから、受け止めてあげなさい。」
と言われた。
その時は指導者の言っていることがピンとこなくて、でも、話を聞くことなら出来るかも…と思い、患者さんの元へ行った。
患者さんは、いつもの様に「もう疲れたからいいんだ。早くお迎え来て欲しい…。」
と学生の私に話していた。
いつもは無言になり、数分後に退室…という流れだったが、その日は
「⬜︎⬜︎さん、そう思うくらい身体が酷いんですね。」と声をかけてみた。
いつも天井を見ていた患者さんが、目を見開き私を見た。
「そうなんだ。特に足が怠くてね。」と、浮腫でパンパンになった足を布団から見せてくれた。
ささいな一言だったが、患者さんの気持ちが聞き出せた瞬間だった。
指導者へ、皮膚がテカテカと光るほど浮腫んだ足をどの様にケアすれば良いのか相談し、午後に足浴を行った。
「ありがとう。気持ちいいね。」と言ってくれた顔が今でも忘れららない。

翌日、実習に行くと、患者さんは夜に亡くなったと伝えられた。
指導者から「学生さんが帰った後も、気持ちよかった。ありがとう。って何度も言っていたんだよ。」と声をかけられ、涙が止まらなかった。

最近忘れかけていた看護への思い

私の思いを表出させ、心を開くきっかけをくれた看護師さん。
患者の思いを知るために必要な事を教えてくれた看護師さん。
この2人の看護師は、私が看護師を目指す上で憧れの人としてずっと心の中に残っていた。
そして、自分が看護になってからも、患者とコミュニケーションをとるときに思い出す姿である。

ただ黙って話をきくだけでなく、
患者がそう発する言葉の裏側は何なのか?
その思いの背景はなんなのか?
どんな価値観で生活してきた人なのか?
患者の全てを理解することは不可能でも、相手を知りたい・知って寄り添いたいとする思いや言動は、患者とコミュニケーションを発展させ、安心してもらう事ができるのではないか?
そう思いながら、日々看護をするようにしよう。
そして、私を看護の道に導いてくれた看護師さん達のようになろう。
と、決めて日々看護をしていたことを思い出した。

最近は毎日毎日業務が多すぎて、患者さんの話してくれそうなタイミングに気づいているのに時間が作れず、中にはPPEフル装備で関わらなければいけない患者さんもいて…。
HALOをつけていると相手の言葉が聞こえづらく、一方的な言葉かけになったり、物理的にも寄り添う事が難しく、短時間でしか関わらないこともある。
あ〜…私の理想としていた看護はなんだったんだろう…と心が少し荒んでいたけど、
子供からの言葉がきっかけで、原点に戻れたきがする。

私は私の看護を忘れない。
忘れてはいけない。

自分の看護の原点はなんですか…?





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