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2020、と、おはよう2021
あけましておめでとうございます。2021年になりました。
2021年、数字が0から1に増えるのを見て、色々なものの再生や、明るいスタートを望む自分がいて、どうか今年は「幸が、0よりも多い、1以上あるように」と願いました。
大きな話をさせてくださいな、2020年に感じてきたことと、2021年の心意気的なやつです。
2020年という年は不思議な年でした。
東京オリンピックの開催が決まってから、「2020」を目指すように社会が動いていたように思います。日本全体が2020年よりも前から、「2020」の切りが良い4桁の数字を見てきたし、意識してきた。様々な場所で、土地の開発や整備が行われていました。
頭の中の想像も膨らみました。
2020年は、日本、東京という場所で、世界的なお祭りをすること。世界中の人が集まる、みんなハッピーなお祭り。
そして誰かとくっつきあって、喜んだり、泣いたりする様子に、また画面や音声を通し誰かが喜んで泣いて感動するというような景色を思い浮かべて。
私自身、大学の近くの道路がマラソンのコースになる予定だったこともあり、ぜひ行ってみたいと思っていました。友人が、ひいては日本が喚起する様子を、カメラに収めたいと思っていました。
しかし、目指していたオリンピックという景色は、この2020年で見ることはありませんでした。
2020年を目指して想像の中で創り上げられた期待感と、「コロナウイルス」という未知の領域に怯える構図。「天と地」というのは、このことか。
私は思い描き続けた理想と想像を絶する現実とのギャップに、なんと言えばいいのかわかりませんでした。今も感じる感情や色を、ことばにすることができません。しっくりくる言葉を見つけられない。
そして誰もが期待していたオリンピックというお祭りが、命や生活と天秤にかけられる様子は、心苦しかった。比べられない、それぞれに、いろいろな人がいるのに。
2020年は、正解の基準が見えなくなった年で、「最適解」を自分の気持と区切りをつけて、生きていったように感じます。
そこから私が学んだことは、世界にはわからないことしかないということ、そして正解はどこにもなくて、常に最適解を探すしかできないことでした。
さて2021年。
これからも、我慢を強いられるのだろうと思います。今できていないことが続くかもしれない。
でも、それでも人間は、誰かと喜ぶこと、楽しみを分かち合うことはできると思います。自分で創り出して工夫すれば、望んだ100%の理想でなくても、「楽しかった」「嬉しかった」と感じられるのだと思う。
人は、賢い。できなかったを数えることもできるし、できたを数えることもできる。
私は2020年、見ることができた、分かち合うことができた喜びや楽しみを忘れない。
あなたがいた時間を、あなたといた時間を大切にしたい。
そして2021年も、どうか、面白がっていこう、2020年の波を掻い潜った私たちは、きっと強いぞ。
今年も、あなたがいることを、噛み締めて、私も生きていることを自覚していきたい。
笑って、12月31日に会いましょう。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。
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