不安を抱え、迷い続ける 〜“生活者の探究”の探究 Vol.3〜
「たんきゅう」と読む、ふたつの単語がある。
「探究」と「探求」。
辞書を引くと
使われている漢字からも分かるように、探求は「求める=手に入れて終わる」という側面を持ち、探究は「究める=継続し続ける」という側面を持つ。
意識しないと混在してしまうけれど、僕が勝手に掲げる“生活者の探究”は、「探求」ではなく「探究」であると明確に意識している。
その意識がはっきりとしたのは、“生活者の探究”に「迷う」という側面を付け加えたい…と思うようになったから。
きっかけは一冊の本を読んだことだった。
正しさに傾倒しない
『なぜ人はカルト宗教に惹かれるのか』という本がある。著者の瓜生崇さん自身、とある宗教団体に属していた過去があり、脱会を経て、いまは脱会支援も行っているとのこと。
そんな著者が、カルト宗教に惹かれる心の移ろい、さまざまな問題点、信者とそれ以外の人たちの共通点…などなどを語る本のなかにおいて、印象に残った部分がある。
本書を読むと、カルト宗教の信者は、もともと真摯に人生を迷っていたんだな、と知ることができる。生き続けてもいつか死んでしまう運命のなか、なぜ生きるのか。「それは死ぬときに分かる」や「生きるんじゃなくて生かされているんだ」など、“気休めの理屈”では自らを誤魔化せず、迷いが心に巣食い続ける。そして、その迷いから這い出るために、真実とされるものを真実と思い込み、カルト宗教に傾倒していく。
著者も言っていたが、これは「正しさへの傾倒」と理解できる。虚ろに迷うなかで、踏ん張れる足場を探し求め、差し出された正しさに傾倒していく。良く言えば信心深く、悪く言えば盲目的に。
こうして「正しさに依存して真実を抱きしめる」ようになった信者に対して、著者は「正しさ・真実を捨てて迷いに帰る」ことが脱会だと語る。
ここでは信者にフォーカスしているが、著者は「信者と信者じゃない人たち」に大きな差はないと語ってもいる。
信者は「教団の教え」を正しさだと信じているが、信者じゃない人たちも「常識」を正しさだと信じたり、「絶対の正しさはない」という正しさを信じていたりする。
要は、正しさの矛先が異なるだけで、多くの人は正しさに依存していると言える。
そうなったとき、特段“脱ける”ものはないとしても、「正しさに依存して真実を抱きしめて生きている信者が、それを捨てて迷いに帰ることが脱会である」という言葉は、信者じゃない人たちにも当てはまるのではないだろうか。
迷いに帰ろう。
本書から、僕が勝手に受け取ったメッセージだった。
自信が抱き得る“正しさ”
迷う。それは「向かうべき方向が分からない」という状態、と言える気がする。道に迷うときも、露頭に迷うときも、人生に迷うときも。少しの狼狽が含まれている。それは、目的地がぼんやり見えているにしろ、見えていないにしろ、どこにも辿り着けないという未来が予測されるから。
そう思うと、迷い続けるのには結構体力がいる。迷うということは、宙ぶらりん=寄る辺がない、ということ。そこには、不安、疑心、焦りがある。
向かう“べき”と書いた。きっと、迷いに巣食う不安などを簡単に消し去るのが、正しさへの傾倒なんだと思う。
「あっちに行けばいいんだよ!」という道標。それさえあれば、あとは走るだけ。疲れたら休めばいいけれど、そのときも迷ってはいない。目的地への道は分かっている。休んだ後に、また走り出す。信じる終着点に向かって。
もしかすると、迷いのなさは「自信」と言い換えられるのかもしれない。
迷わないこと。自信を持つこと。
それは、正しさへの傾倒と紙一重。
…みたいなことを考えていたときに、頭のなかで“生活者の探究”と繋がった。
迷い続けるために
前回、「分からない」が増えることが“生活者の探究”なのかも、と書いた。
と先ほど書いたように、「迷う」と“生活者の探究”は、「分からない」という紐で繋がっている。
分からないことがたくさんある。永遠に増えていく。それでも、「分かったかも?」をひとつずつ積み上げていく。いくら積み上げても、この世界が分かることはない。終着点はない。それでも、積み上げていく。どこに向かっているかも分からずに。
この営みを駆り立てるのは、正しさではない。寄る辺のなさはそのままに、不安・疑心・焦りも側にあり続ける。それでも積み上げる。この世界を迷う。迷い続ける。
それは、「探求」ではなく「探究」と呼ぶものだと思う。
*****
本書を読んだとき、大きく感じるものがあって筆をとった。けれど、上手く言葉にできず。少し寝かしていたら、より思考が発散して、よく分からない着地点になった。
そう思うと、この文章を書くこと自体が「迷う」だった気がする。
実際、書いてはみたものの、「これでいいのか?」「あれはどうなんだろう?」「なんかちょっと違うかも?」と疑心だらけになっている。
それこそが、正しさには辿り着けない“探究”なのかもしれない。
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