考える覚悟を持て。
ここ最近、本を読めなくなってしまった。興味のある本はいっぱいあるし、手にとって開いてもみている。けれど、文字が上滑りして、内容に没頭できない。読み進めることが苦痛になってしまって、20ページそこらで本を閉じる。けれど、読みたい本はあるから、また手を伸ばす。そして、また閉じる。そんな繰り返し。
ふと気付く。わかりやすい救いを、本に求めてしまっていることに。
「こうすればいいよ」
「こう考えればいいよ」
そういったわかりやすい救いを、無意識的に求めてしまっていた。
それは、僕が敬遠していたものだった。
だってそうだろう。わかりやすい救いなんてありゃしない。自分の頭で考えて、考え抜いて。その先で、ようやく自分だけの道を選ぶことができる。わかりやすい救いは、他人の人生に乗っかるだけだ。いくら楽だといっても、他人の人生を生きて終わりたいと思うほど、僕は人生を諦めていない。
そんなことを思っていた、いや今でも思っているからか、僕が興味を持つ本には、わかりやすい救いは書かれていない。考えるきっかけや問いが書かれているだけで、僕の頭で考えないといけない本ばかりだ。
だから、本を読めなくなったのだろう。わかりやすい答えを求めて本を開いては、“考える”を拒否してしまう。
長らく、考えてこなかったことで、頭が錆びついてしまった。即物的な救いを求めるようになってしまった。
救いを外に求めているうちは、救われることなんてないと知っているはずなのに。
自分の頭で考えろ。
わかりやすい救いを手放して、考える覚悟ができたとき、僕は本を読めるようになるのだと思う。
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