「わ、これ楽しそうやからやってみたい!」でもいい
どんな仕事を増やしていこうか。最近は、そんなことばかり考えている。いまはライティング・編集をメインでやっているけれど、どうやらそれだけでは満たされないものがありそうだぞ、と気付いてから、模索を続けている。
そして、思う。なにかを新しく始めるって、もっと自由でいいのにと。
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おぼろげながらのやりたいことや、在りたい姿はあるので、それに繋がるような活動を新しく始めたいと思っている。さて、ここからどうしたもんかいのぉと腕を組んでいる最近だ。
いろんな方ともお話させていただいて、言語化は進んでいる。それ自体はいいことだ。解像度が上がっている。
でも。なんだか、解像度が上がった自分の想いに縛られ始めた気もしている。具体的になればなるほど、それ以外の道を切り捨ててしまうというか。在りたい姿に繋がらない、と判断するスピードが異様なほどに早くなっているというか。
それ自体はいいことなのかもしれない。最短距離で目的地に行くには、大切なことだと思う……けど、なんだか息苦しくなっているのも事実であって。
僕は、やりたいことや在りたい姿に突っ走りたいんだっけ?直線的に向かいたいんだっけ?
そう考えると、首を傾げる自分がいる。頷こうとする自分もいるので、ややこしいのだけれど。
最短距離は、無駄がない。そして、無駄がないとは、余白がないということ。予想外のものと出会ったり、新しい出会いが生まれたり、目的地自体を問い直したり。そんな諸々が生まれなくなってしまう、ということ。
そうやって辿り着いた先は、本当に僕が望む場所なのだろうか。
もっと、いろんな刺激に自分を開いて、何度も何度も自分に問いを投げてみて、やりたいと在りたいがどんどん深まっていく。そのプロセス自体を味わいたいんじゃなかったっけ。
だったら、もっと気軽でいいのかもしれない。想いを言語化して、解像度を上げて、「これなら合うはずだ」と捻り出すんじゃない。
きっと、「わ、これ楽しそうやからやってみたい!」でもいいんだ。
そうやって、やってみることで気付くことはいっぱいあると思うから。
なにかを始めるのに、大きなものが要らないときもあるんだろう。純粋な「やってみたい」に素直になったら、見たことない景色を味わえる気がする。
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