妄想爺のとんでも史観 (35) 巫女さん
妄想爺のとんでも史観 (35)
巫女さん
もうすぐお正月。(記事を書いているのが年末という事だけです。)
人出の多い大きな神社には、おみくじやお守り、破魔矢等を売る巫女さんが居ます。
常時在駐し、舞を舞って下さる巫女さんも所々にはいらっしゃいます。
舞を舞える巫女さんも少なくなってきているのでしょう。
お正月に売り子として座る方々のお母さん世代の巫女さんが目に付きます。
巫女の舞に興味をもたれる若い方が、減ってきている気がします。
ベテランが座を譲らない。とも思えません。2,3名とか数名で一緒に舞えば良い事ですので。
巫女さんの起源は、天岩戸の前で踊った天の鈿女(あまのうずめのみこと)と言われています。
その昔、ある場所に人が集まり飲食の場となり、大事な事を聞いたり話しあったり、決め事を確かめたりするところには、女性が居ました。
その場所で、神楽を舞い祈祷を行い、占いや口寄せを行う。
他に、神を鎮める行為、神を自らの身体に宿す神降しや神憑りを行ったそうです。
それらの儀式を巫(かんなぎ)と言い、それを掌る女性が巫女さんとなったと言われています。
目には見えない神や、隆々とした生身の神も居たのでしょう。
以前から書いている女性特有の能力の「変化に気付く」は、天候予測と航海の先読みや、相対する人の体調の事に通じます。
気圧、湿度の変化が肌や感覚で分かり、経験に基づき雨や嵐を予測出来ていたり、相手の目の動きや仕草、動作の【いつもとちゃうやん】とか気づいていたと思います。
一定周期の移り変わり。は自信の身体と月の満ち欠けとの関係、季節と暦の管理に通じます。
冬から春にかけて、いつ頃から畑を耕し種を蒔けば良いのかを知らせます。目安は月の満ち欠けです。毎年、最適な時期の月の形がズレています。今年はこうだよと言って貰えると、助かります。
栽培採取は、目的別の作物種類の区分けと調理。穀物はエネルギー、野菜などの葉物は体調管理、酸っぱい果実は調整役。病や怪我にはこの植物の葉や根が良く効く。と言った知識と調理加工スキルが蓄積されて行きます。
日々の暮らしを、安心で安全でより豊かにしてくれる男と言う神々も居ます。
「神を鎮める行為、神を自らの身体に宿す神降しや神憑りを行う。」
この国の神は、八百万の神です。最高神1人しか優遇されないと言う事はありません。
ありとあらゆる神に、ありとあらゆる巫女が付いてくれます。
特定の相手のみと言う神や巫女さんも居たでしょう。
帰らない相手より、来てくれる神々を迎えた続けた巫女さんも居たでしょう。
旅する神に付き従い、ともに旅した巫女さんも居たでしょう。
多い少ないの差こそあれ、色んな形があったと思います。
『こうでなければならない。』という決まりは、時代により変化していきます。
現代の神社に居る巫女さんの形(神職の補助業務)は、明治時代に出来たそうです。
その直前には、神社から巫女さんを追放する動きもあったそうです。
神霊の憑依による神託は、近代国家にそぐわないから。なんだそうですが、憑依されない舞踊として続けたそうです。
明治以降この国に入って来た近代化の文化の中には、男女間の関わり方や役割、立ち位置、存在価値を『こうでなければならない。』と規定する物が多く含まれていた様です。
それまでこの国の決まりと言えば、幕府や朝廷の発する暮らしや産業に関する事。仏教、儒教、童子教などの生き方や考え方に関する事。
色恋、恋愛事の決まり等は、地域や施設毎に決めた「法度」とか「風習」が有った様です。
この国独自の神道には、決まり、教義、教えは無いそうです。
諸外国からは原始的宗教と蔑まれましたが、一周回って最先端というかそれで良いのではと思えるのです。
神の言葉を伝える立場から、体系としての決まり事として物事が進むと、巫女さんの役割も変化していきます。
平安時代の白拍子、室町時代の歌舞伎踊り、神社のイベントで舞う巫女の舞、選ばれし巫女の接待、もあったのではないでしょうか。
中世では流巫女として、勧進や芸能としてのアイドル稼業になって行きます。
接待もある程度はしたでしょう。したくない女性はしなかったでしょう。個人の意志と立場や目的で選択したと思います。
管理された組織内でのそう言う接待は、別な女性が担っています。
役割分担だと思うのです。
この妄想爺のとんでも史観シリーズは、巫女さんの写真を多用しています。
憧れの存在なのです。衣装と髪型、物腰、立ち居振る舞い。
アイドル押しのおタクに近いのかもしれません。
巫女の舞が、能や狂言、歌舞伎、日本舞踊と同等に人気が出て、承継者が沢山出る事を願っています。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。
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