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妄想爺のとんでも史観 (31) 間引き

妄想爺のとんでも史観 (31)

 間引き

 秋から冬にかけて、大根の間引き菜がおいしい季節です。
 大きく美味しく成長して貰う為、大根になりかけの白い細長い根っこと柔らかい葉の、ちびっ子たちを抜いていきます。
 塩漬けにしたり出汁醤油で煮たりすると、ご飯との相性は、抜群です。

 その昔、村々では生まれたばかりの子供を”間引いていた”と、お聞きになっていたかと思います。
 生まれてきても育てられない。食わしていけない。貧しいがゆえに、、、、
 河島英五さんも歌っていらっしゃいました。「てんびんばかり」と言う曲でしたっけ。ほんのちょっとのフレーズですけど、、、
 思うのです。生まれてきた子供が、3歳になれるのは約半数しかいなかった時代、そう簡単に死なせはできません。
 子供が欲しい。子供を育てたいと思う人はたくさんいます。保有する財産を継承させるためだけでは無く、自分たちが生きていく為に、支えとなって貰う為に。
 ある年齢になり奉公に出すのは、教育と子供の将来を慮っての事。副次的に”支度金”の臨時収入もあったかもしれません。
 飢饉が続いた室町時代、隣の村で亡くなった人が出たと聞けば訪ねて行き、『肉を分けていただけませんか、、、』と頼んでいた。とある書物には書いてあったそうです。その時代の僧侶が書いていたそうです。
 家族が生きていく為には、何でもしてきたと思うのです。特に親は。
 生まれてすぐ、その命を絶つ事も無かったとは言いません。それぞれの事情があります。その家族で困難なら、村の中で、他の村で育てられる家族を探します。
 生まれてすぐに、濡れた布を被せられるのは、、、察してください。その方が良いと誰しもが考える事情です。
 間引きをされる子供は、その理由があります。許されないとは思いますが。

 飢饉、天候不順、寒冷期で作物が育たない時代は確かにあったと思います。
 自分の家で穀物の貯蔵や作物の栽培が、出来なければどうしたでしょう。
 男は出稼ぎに行きます。仕事が無ければ、強奪も有ったでしょう。
 女はありとあらゆる植物を食そうと挑戦します。
 子供は川の中や沢、池に生息する小型生物をとにかく採取します。
 年寄りは山へ入ります。蔓が木に巻き付く根元を掘り返します。芋があったりします。また子供と協力し、小動物を捕まえます。中型、大型の動物はわなを仕掛け捕まえます。
 ありとあらゆる方法を取り、生き残ろうとします。

 姥捨て山。楢山節考と言う映画もありました。
 年老いたから自分の歯を折り、自分を捨てろと息子に背負われて山へ行く。
 健康体の人や、知恵や知識を持っている人は、自らはそうしないし、周りもそうさせません。
 やはり何かしらの事情が有り、そう望んだ人はそうしたでしょう。
 間引きしたらしい跡がある人骨も出てきている。と言う方もいらっしゃいます。
 どんな事情があったのかには言及していなくて、親によって手にかけられた証拠だ。と言われています。

 考えるに、間引きや姥捨山って、人にそう言った方が都合の良い人の誇張だったと思うのです。
 それに 人伝ひとづて の話は膨らみます。話すときも盛って話します。可哀相な話がみんな好きです。耳目を集め、持ってきたものを売る行商人は、エンターテイナーです。
 聞く方も【そうならないで良かったね】って、安心します。そうならない様に家族と暮らしていきます。

 現代も同じような状況ですよね。
 ある事無い事、面白おかしく、注目を集めた方が勝ち。
 真実はとりあえず何でも構わず、誰が悪者にふさわしいかを特定しそれを叩き、貶め、自己正当化で安心する。
 人って、自分より可哀相な人や恵まれない人を見ると安心するじゃないですか。
 可哀想な人の傍に行き、寄り添って一緒に泣いてあげて、【心優しいあたしって、、、好き。】とは思っていないでしょうが、マウントを取る人って一定数いるような気がするんです。
 これを読んでいる貴方方ではありませんよ。
 イジメって、脳内物質の放出であって、自分ではコントロール出来ない依存症に似てる気がします。
 それも『病気』だとしたら、罪には問えない。って結論なんですかね。
 人に迷惑かけたり、危害を加えたりするのが楽しくてしょうがない人、自分ではどうしようもない『病気』だとすれば、、、
 そんな子供を持ったら、、、、そんな子が近所に居たら、、、、、

 「間引き」って、防衛のための攻撃。正当防衛って考えていたのではないでしょうか。

 危険思想でしょうね。リアルに人には言えません。酔っ払ったら言うかもしれませんが、友人を無くしますかね?

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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