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妄想爺のとんでも史観 (12) 宇佐

 宇佐

大分県宇佐市 宇佐神宮 日本各地にある八幡神社の総本山。
 主祭神は、八幡大神(はちまんおおかみ) -誉田別尊(応神天皇)、比売大神?(ひめのおおかみ) -宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)、神功皇后(じんぐうこうごう) - 別名として息長足姫命

応神天皇は、神功皇后と武内宿禰との子供。いえ、仲哀天皇との子供だとされています
 応神天皇はヤマト物部に呼ばれて天皇として祀られた。とされています。
 その後、ヤマト物部は全国に八幡神社を整備して、、、、役所の役割を担いました。今年の農事暦。新しい決まりの周知。村にいる人の把握(住所録、戸籍管理)、非常事態に備える、食料や武器、道具の保管と配布。
 ヤマト物部に利用されたのかな。
異常事態鎮静化の為に、、、
世の中の仕組み維持の継続の為に、、、

応神天皇自体は居なかったと思っています。
 応神天皇はヤマトの物部氏の元へ来たとされた時、武内宿禰と共に敦賀の気比神宮へ行って、そこの神と名前を交換したそうです。
 気比神宮は越後まで勢力圏内だったと言われています。気比の大神は別名、武内宿禰だったりして。
 「この人が応神天皇だと言う事にしよう。」って事にしたのでは、、、
 三位一体。
 各地で交易、土木事業、農地開発、農業指導を進めて来た、物部と出雲、越の勢力。
 「色々あったけどさ、、、そういう事も有るけどさ、、ここに残ったみんなでさ、どうにかしようよ。」
  って最前線で色々あった人達ではない割と穏やかな各地の人と言うか、物部ヤマトの地に居る出雲、越の国出身者たちの、、、それぞれの思い。
 一先ず鎮静化を図った。と言えますね。

その後、南九州に隠遁した神功皇后と武内宿禰の一族は、在地の豪族と繋がりまた一族が出来ます。その子達が異名、神武天皇と呼ばれます。

数十年?経った時、半島情勢はさらに逼迫し大量の難民が押し寄せたのではないでしょうか?
 昔、助けに来てくれた武内宿禰や神功皇后一族は海を渡ったところにいる。迎え入れて貰おう。大丈夫さ、同じ仲間だし。
 で、九州、山陰、越、を訪ねます。でも、難民を養えるだけの農地も、暖を取り煮炊きが十分に出来る山も乏しいので、噂になっている所を目指します。
 そうです。ヤマトです。物部氏や出雲、越の連携で広大な農地を確保し、吉野山系や熊野山系を背後に持つところです。
 仲間もいます。頼って行こうと、各地から人が集まります。

何故、奈良のヤマトが当時憧れの土地になったか、次回書いてみます。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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