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妄想爺のとんでも史観 (24) 言の葉

妄想爺のとんでも史観 (24) 言の葉

 言の葉

 日本の正史は『日本書紀』『古事記』の二つだと言われています。
 それ以外は偽史。ホツマツタエ、ウエツフミ、九鬼文書、竹内文書、先代旧事本紀、帝紀、、、
 神代文字、シュメール語、漢文などいろいろな書体で書かれていたり、無理っこ漢字にして記録していたり、、、
 「日本で見つかった古代の石文もこれと同じようにウル語・シュメール語、セム語、ハム語・エジプト語の混合」とおっしゃっている方もいらっしゃます。その通りだと思います。

 縄文時代、氷河期の頃この国は大陸と地続きでした。
 大陸の北から西から人が、獲物を追ってやって来たそうです。
 氷河期が終わり海水面が上がり、海で隔てられた大陸とこの国と間は、大木の刳り船で行き来し始めます。
 この国は宝の山だったのです。
 新石器時代の磨製石器。神津島の黒曜石が重宝され、交易品になっていた様です。日本各地は当たり前で、大陸内部シベリア地方でも発掘されているそうです。
 山には小動物、木の実を実らせる広葉樹。刳り船に適した様に真っ直ぐ伸びた大木。
 山の麓に広がる湿地帯。大雨に流されなければ、食物の栽培には適しています。ヒエや粟、豆、麦、そして稲(米)。
 大陸で頻繁に起きる人や虫の侵略。もっと暮らしやすい所はないだろうか?考える人が居ました。
 生まれ育った所を出てきた人々。追い出された人々。今が旅の途中なのか決められない人もいた事でしょう。
「日が昇る海の向こうに、理想郷があるよ。ほら、これのあれもそこから来たんだよ。」交易人のおしゃべりが気になります。
 「行ってみよう。」
 歩き、働きながら船に乗せてもらい、海の道を進みます。
 大陸から台湾島へ、先島諸島へ、そして南九州へ。火や煙を噴く山が目印です。
 他にも北から南から西から。文字を持った所からも来たと思います。
 そこには、飲める水がありました。食べられる木の実がありました。小動物が走り回っています。
 そこにはもう色んな人が居ました。目の色が黒い人、茶色い人、青い人。肌の色の白い人、黒い人、黄色い人、話す言葉が分からない人、何となくわかる人、同じ言葉を話す人。
 住める場所を探し求めます。山に入れば雨風がしのげる場所があります。
 そう言う事が何百年、何千年と続きます。色んな所から人が来ます。
 同族と思われる人達が集まります。違う所から来た人が気になります。繋がります。繋がった証が産まれ育ちます。繰り返します。
 そう言う中で、自然災害が頻繁に起こります。助け合わないと生き残れません。今度助けて貰う為に今、助けます。
 色んな所から来た色んな文字を持った人が文字を残します。色んな文字が混ざり合います。変化します。話す言葉も変化します。分かり易い言葉が共通語になって行きます。

 この国の人達は少し前には、”大和民族”だと聞いていました。そんな民族はいませんでした。
 この星の至る所から人が来ていたと思います。また。この国からこの星の反対側へも渡っていた様です。
 縄文土器が南米で発掘されています。ネイティブアメリカンは縄文の名残を色濃く残しているそうです。
 その後、大量の移住や避難民の受け入れで、人々の特徴の傾向が大きく傾いたのだと思います。
 縄文時代晩期からの高度成長時代と大陸や半島の激動の時代、情報が増えます。
 その情報が錯綜します。人から人へ伝わると少しづつ変化します。知らない言葉を知ってる言葉に変換します。
 その情報をまた人に話します。また変化します。
 「あれ、おんなじ話だと思うけど、あの人とこの人とちょっと違うな。」交易先で話を聞いて貰い、興味を持って貰い有利に交渉したいなら、信用されないといけません。
 文字を使える人が纏め始めます。色んな所で色んな言葉で纏め始めます。多人数の交易人が同じ内容を話せば共通性が生まれ信用して貰いやすくなったんだと思うのです。

 この国の文字も言葉も話し方順序も、人々と一緒で多民族言語だったと思います。
 その中で、言い切る事は選択しませんでした。様子を伺う事を優先しました。
 「私は、あなたが苦手かな。なんか、、、はっきりしないその態度がちょっとね、。」
 「私は、嫌いだ。あなたの事が。はっきりしないその態度のせいで。」
 継続したいが改善を求めたい関係性と、決別も止む無しと思わせる関係性。
 いざと言う時には助け合わないと生き残れない、助けて貰えないこの国で、どちらを取るか、、、

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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