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愛をする人 (10)


 男と女の初めての夜

 奥さんの葬儀の翌日、俺は葬儀屋への支払いや市役所、奥さん名義の口座の名義変更の為の書類を貰う為郵便局や銀行などを回った。
 娘は今日一日休み、明日帰ると言う。夕食は最近嵌っているチャンポンを作るからと、俺の車の助手席に座りスーパーへ買い出しに付き合わされた。
 夕方、娘が夕食の支度をしている間、奥さんの通帳を見た。
 生活費などは、俺の給与振り込み指定の銀行口座があるのでそのまま継続。
 奥さんの実家の固定資産税や維持費用、義両親からの相続分などは郵便局に入っている。
 【これは名前だけ変えてこのまま、置いておこう。俺は使えないし、娘に渡すと重荷に感じるかもしれないしな。】
 奥さん個人の口座もあった。見るとかなりの額の残高がある。
 実家保有の土地を貸し出してある地代が毎月、毎年入金されている。
 それが積もり積もって相当な額になっている。
 【これは娘だな。大学に通う為に必要な額は十分にある。バイトも少しなら経験だが、しなくても良いならしなくていい。ただ、遊んでは欲しくはないな。】
 娘が作ってくれたチャンポンを食べながら通帳を見せ、
 「これをお前の名義にするから、、、ただ相続税が掛かる金額を超えているから、来年俺の分と一緒に申告する。納税分は減るから。」
 「無くてもいい。困ればパパに言うし、バイトもするし、、、取っといてよ。将来の為に。」
 「将来の為って何だ?、、、事業でも始めるか?」
 「ううん、そうゆうんじゃない、、、良く分かんないけど、何かの為。今は要らない。」
 「名義だけは変えておくから、、、通帳や印鑑はこっちへ置いておく。カードは、、、持ってっても良いし、ここに置いておいても良いし。」
 「うん、そうして。」

 もしかして、、、娘は将来、婿養子を迎える気があるんじゃないかと、俺は思った。
 来て貰うとすればそれなりの支度金が必要だと母親、奥さんに言われたんじゃないかと思う。
 そんなこと考えなくても良いのに、、、と頭を過る。
 「昨日も言ったが、お前はお前がやりたいようにしろよ。その為の保険だと思っておけよ。」
 「ハイハイ。」
 面倒臭そうな顔をした娘は、直ぐに薄笑いを浮かべチャンポンを啜った。

 【娘、いや奥さんもそうだったが、女の考えてる事は分からんな。】
 慎重で心配性で堅実さを求めるかと思えば、思いつかない発想で突飛な行動に出る事がある気がする。
 よっぽど男の方が着実に堅実なのかもと思う時もある。
 いや、俺そのものが冒険を考えない、しないだけなのかもしれない。

 ”お疲れ様 疲れていませんか? 
  ひとまず終わりました
  いつか 慰労会したいね ”
 娘が戻った日の夜、俺は亜希子へそうラインした。
 ”おつかれさん  こっちはだいじょうぶだよ
  そっちこそ たいへんだったね つかれてない?
  慰労会 いいね いつでもいいよ ”
 少ししてからの返信に、ほっとした。癒された気持ちになった。
 相手を思う気持ちと、心から応えようとする気持ち。これが 支え なんだと思えた。

 しかしその一方で、都合のいい考えを俺はし始めている。
 それぞれが重い荷物を背負っている。実家の事や相続の事だ。今後の維持管理、名義変更、登記の届出、固定資産税納付の長期計画、、、
 俺にはその上、自分の実家の事も上乗せになる。
 考えるだけで気持ちが沈んでしまう。
 何もかも捨ててしまえば楽なのに、、、
 いや、逃げられないのであれば、、、癒されるなにかが、、、もうちょっと頑張ろうかと励みになる何かが、、、欲しくなる。
 それを亜希子に求めてみたい。
 亜希子が背負っているものを、俺が代わりに背負う事は出来ない。無理だ。
 癒されたいんだ、、、僅かな時間でも良いから、、、

 本当に都合のいいことを俺は今、、、思っている。

 「お疲れさん。ちゃんと眠れてる?」
 以前、そばを食べに行った時に待ち合わせた公園駐車場で、俺の顔をみた亜希子が直ぐに心配してくれた。
 「眠れてるよ。亜希子こそ眠れてるか?」
 「うん、大丈夫よ。っつっても朝5時には目が覚めるけど。」
 「同じだな。5俺も時には目が覚める。仕事が午後だから、それから俺と二度寝になるけど。」
 「私は畑に出るの。なにかおかずになるもの、出来てないかな~ってね。」
 「ああ~、畑も良いな。今度俺もやってみるかな。」
 「教えてあげるよ。」
 「うん、頼んだ。」

 「慣れない事ばっかりで大変だったろう。」
 海沿いの海鮮料理のお店へ行こうと車を走らせた俺は、おそらく二回目であろう亜希子が仕切った葬式の対応を労った。
 「うん、大変だった。色んな事を聞かれても、お任せするしか無いし、これが良いとかあっちの方が良いとか全然分かんないし、、、
 会葬のお礼とか供花の一つか一対か、、、料理はどの金額で幾つ必要かとか、、でも、帳場は互助会の方が引き受けてくれたんで、助かったわ。
 家族葬ホールでやったんだけどね、近くの親戚だけ呼んで、、、後で御香典確かめたら、、、、金額だけ書いてあって、お札が入っていないのがあったわ。
 電話したけど、、、ちょっと気不味かったかな。伯父さんが表をかいて伯母さんがお札入れる様に準備してたんだけど、慌ててて入れ忘れたって、、、大笑いしてた。」
 「あるあるだよな。俺も経験ある、、、忘れてますよって言わなかった所もあったよ。」
 「健夫も大変だったでしょ。娘さん手伝って貰えた?」
 「そこそこね。俺今回で5回目なんだ、、、葬式を仕切るのって。俺の親父とお袋、奥さんの両親、、、そして奥さん。5回もしてたら、何をしないといけないかなんて、もう分かってるし。」
 「5回も~、、、葬儀屋さんに就職できたかもよ、即戦力で、、、、ウフフ。」
 「そうだな、、、これから考えようかな。アハハ。」

 それぞれが家族を見送った直ぐ後だと言うのに、二人とも明るかった。
 肩の荷が一つ降りたからなのか、、、少なくとも俺は、現実逃避だと思うが亜希子の笑顔が何より嬉しい。
 その笑顔が癒しになっている。
 【離したくない、、、離れたくない、、、】
 「ん?、、、どうした?」
 顔を見つめたまま視線を動かさない俺を亜希子は、少し照れたように顎を引き上目使いに俺を見返している。
 「あ、いや、、何でもない。行こうか。」
 車は、走り出した。

 「あのね、、、柴田淳って知ってる?」
 「知ってるよ、、、日本で一番暗い歌を歌うシンガーソングライターって人だろ。」
 「20年くらい前かな、、、お昼のドラマの主題歌を歌ってたじゃん。そのドラマ、見てたのね、、、
 私も二人目が生まれて、いろいろ考えちゃってて、、、いろいろあって、、、毎日そのドラマが楽しみって時あったのよ。
 それでレコード屋さんへCD買いに行ったのね、乳児検診の帰りに。ジャケット写真見たらさ、、、、、私じゃんって驚いちゃった。」
 「紅蓮の月だよね、その主題歌。暗い歌だけど、なんか気になってたのを覚えてる。他の曲も、内容は明るいのに、聞けば暗いって言う、、、
 その頃、流行し始めたブログかな?、、、それ見た時、亜希子に似てるって、俺も思った、、、、それから亜希子のこといつと思い出す様になった、、、」
 「私もだよ、、、それから健夫の事、思い出し始めたのって、、、」
 「今聞くか?、、、アプリから曲流して、カーオーディオから聞けるよ。」
 「うん、、、聞く。」

  淋しさも愛しさも 君がいたから    君がいたから、、、(by紅蓮の月)

 海岸沿いにある和食処。水槽を泳ぐ魚を網で掬い、それを捌いて食べさせてくれる料理屋さん。
 忌中のあいだは肉や魚を食さない様にと昔は言われていたが、最近では祝い事への出席や神社への参拝を控える程度になっている。
 相手を労う、正直な気持ちに従えば、傍にいたかった。
 慰労会と称して、顔を見たかった。
 少なくとも俺はそうだ。多分亜希子もそう思ってると感じる。
 女心が読めない俺だけど、そう思っていたい。それが勘違いであったしても、今こうして傍にいる現実がある。
 それが何より、嬉しいんだ。

 近くの農水産物直売所へ寄り、魚の干物、練り物などを購入し、行く宛の無い車をまた、走らせた。

 「どこか行きたいところ、、、ある?」
 「……ない。」
 「遅くなっても良いか?」
 「…良いよ、、、帰っても一人だから」
 「連いきてくれるか?」
 「うん。」

 今朝、目的地へ向かう途中に横目で見た、国道から少し入った川沿いのラブホテル街へ俺は向かった。
 ここ30数年、ラブホテルに行ったことは無い。
 入ろうとするホテルが、どんな作りで支払いはどうするのか全く知らない。
 でも、不安はない。
 亜希子ともう少しの時間、一緒に居ることが出来る。
 長い間、思い慕っていた亜希子が、俺のこの腕の中に抱きしめることが出来る。
 あの柔らかい、そして暖かい亜希子の中へ、、、
 よしんばそれまでに至らなくとも、、、

 この人の傍に、、、俺は居る。

 あの夏の日の夜、後悔の一つとなった ”あっという間” にはならず、亜希子は今、俺の腕の中で微睡んでいる。
 亜希子の髪や身体から立ち上る香りが、心地良い。
 あの頃に比べふくよかになったとは言え、亜希子の身体は華奢で、胸とお尻はやや大きく、何よりも美しい。

 「あのさぁ、、、中学の頃の話だけど、、、、筆箱とか上履きとか拾ってきたの、俺だったのかなあ、、、思い出せないんだ。」
 「忘れちゃったの?、、、あれっ、そう言えば机の上にあっただけだったかも、、、、誰だろうと思って見渡したら、いつも健夫と目が会ってたからてっきり健夫かと思ってた。」
 「あ~、、、俺、いつも亜希子の事見てたからな、、、でもさ、机を一種に運んだのはよく覚えてる。」
 「うん、へっぴり腰だったの覚えてる。どうしたのかなってその時は不思議だったけど、今なら分かるわ、アハハハハ。」
 「そりゃあ、下半身が膨らみそうで恥ずかしいし、でも手は離せないし、、、俺、焦って、、、」
 「その時の印象が強くって、全部健夫だったって思っちゃったのかねえ、、、そうかもしれない。」
 「思い出って、結構都合よく変わるから、、、」
 「そう言えばねえ、、、、高校受験失敗した時電話したじゃん。あれって、、、最初から無理、落ちるって思ってたからそんなにショックじゃ無かったのよ。
 私、頭良くなかったし、その頃の県立商業って倍率高かったし、、、先生も多分無理だからって私立の家庭管理課にしとけって言われてたし。」
 「そうか、、、でもやっぱりその時、亜希子の傍に行けばよかった、、、今でも思う。」
 「ウフッ、ありがと、今でも嬉しい。」

 その日は宿泊料金になる前にホテルを出て、朝の待ち合わせ場所へと帰って行った。

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 思い出が美化されることはよくあるらしい。
 辛い出来事があり被害者だと思っていた事が、加害者でもあった事は忘れてしまうらしい。
 悲劇のヒロインやヒーローに成りたがり憧れるのは、人のさが
 後先を考えず、おんなを貪ったりおとこを咥えたりするのは、、、人のごう
 お互いに股間に頭を埋めている二人は今、、、業の炎の中で見悶えている。
 焼かれても焼かれても、灰にはならない事を二人は知っている。

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