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妄想爺のとんでも史観 (28) 縄文から弥生

妄想爺のとんでも史観 (28)

 縄文から弥生

 最近では縄文時代と弥生時代の区別が曖昧になっています。
 以前では、稲作の始まりを弥生時代としていたのですが、新しい発掘や調査で縄文時代のかなり前から稲作が始まっていた事が分かっています。
 稲作が出来る人達がこの国へ来た時や、この国の人が持ち帰ったのが始まりなのでしょう。イコール大陸で稲作が始まった時期とあまり変わりが無い。とも言えます。
 交易だったり、避難だったり、新天地開拓だったり、それぞれの理由でこの国へ渡ってきています。
 大陸から台湾へ、先島諸島へ、九州へ四国へ本州へ、直接九州への場合も有ったと思います。
 風や潮の流れに乗り、道中の食料を携え舟に乗ってやってきたと思うのです。

 渡航率はかなり低かったでしょう。半数以上は大海に飲まれたのでは無いでしょうか。
 一説には、安全に多数の人が乗れる(数十人以上)船はいわゆる構造船を待たないといけない。日本に構造船が現れるのは、紀元後である。んだそうです。
 しかし、木の骨組みや板で作られた構造船が、エジプトでは紀元前1500年頃には作られていたそうです。
 という事は、、、大陸側ではその数十年、数百年後。この国でもその少し後には、構造船を作ることが出来たのでは無いでしょうか。
 しかし道具が無いと、木を板状にするにはなかなか難しい。
 鉄の出番、のこぎりの発生が想像できます。
 割って板状になるスギやヒノキが大陸に乏しくなっていたとすれば、この国を目指す人が居たはず。交易人の噂や自慢話に、聞き耳を立てた人は多かったと思います。憧れが募っていきます。
 文化や技術の伝達は、人の歩くスピードで伝わります。何も仕組みや決まり事を整えてから、恭しくやってくることはありません。
 文化技術の伝搬は数百年単位で、大陸から半島経由でこの国に来たという今までの教育と言うか常識は、一先ず置いておいた方がよさそうです。
 筏(いかだ)や丸木舟を数艘並べて板を渡した台船の様なものもあったとは思うのですが、切れない紐や抜けない釘が必要です。
 やっぱり鉄の出番です。鉄を作るのに木が必要です。その木も高温になる炭が重宝されます。

 
 刳舟の材料となる針葉樹の巨木が自生していたこの国。
 食料となるドングリや木の実が成る広葉樹が広がるこの国。
 森林に住む小動物や鳥が、信じられないくらい生存していたこの国。
 夢と技術を持った人たちが目指したこの国。
 戦いが無かったと言われるこの国。
 過酷な自然の中で、助け合い生き残った人達のみ居るこの国。
 稲も自生していたかもしれない湿地帯の広がるこの国。
 木が周りに無くても、放っておいても一年で大きくなり、干せば燃料になる草が、嫌と言うほど生えるこの国。

 宝の島です。この国は。

 先程、戦いが無かったと書きましたが、意見や目的の食い違い、諍い、争いは、いつの世でも人がそこに集まれば、発生します。
 相手を殲滅するような戦いが無かった。起きなかった。起こしても続かなかった。それよりも生き残ろうよ。そんな国だったと思います。
 相手を皆殺しにしようと追い詰めても、山に逃げられれば探せません。海へ逃げられれば追いつけません。
 そこまでする必要も無い。そこまでしたら自分たちが、後々困る。繰り返し襲われる自然災害の中で生き残るには、協力し合って防いだり、被害を最小限にしたり、逃げたりして生き残らないといけません。
 生き抜いた知恵を持つ人たちを追い詰めたら、知恵を持たない人は生き残れません。
 今でいう多様性を認める人が生き残れたと思うのです。
 外見や言葉、風俗風習が違えど、自分の持たざる物を持つ隣人は大切にしたと思います。
 例えば、山菜や木の実。そのまま食べるとアクがあり美味しくなかったり、体調不良になったりするものがあります。
 それを美味しく食べられる様にする技術を持つ先住民へは、そりゃ優しくなりますわな。

 戦いの歴史は農業の歴史だ。と何処かで聞きました。
 農作物の余剰が交易を促し富を生み、人口が増え更に余剰が増える。
 ひとたび、農作物が取れなくなったら家族に死の恐怖が迫る。
 恐怖から逃れる為に、近隣地域へ行き農産物の蓄えを奪う。その地の人を食料にする。農地や山を我が物にする。近隣地域への恐怖と化す。
 着の身着のまま、大陸や半島から渡ってきた人達が、生きる為に恐怖と化す。
 それが弥生時代だったとすれば、邪馬台国辺りから奈良時代はまだ、弥生時代だったのかもしれません。
 平安時代は雅な時代。というのは一部の人だけの話です。
 今の京都の様な街並みが平安京に有った。と勝手なイメージを持っていると思います。ん?持ってないって、、、。
 綺麗に手が入り、掃除が行き届いていたのは塀の中だけだと思います。
 塀の外と言えば百鬼夜行、魑魅魍魎、異様、異形、異質な妖怪が跋扈する街。(一説にはうん○だらけの街っだとか)
 色んな所から来た人が居たんだと思います。
 新しくやってきた人、前から居たけど住んでいた所から移ってきた人、色の黒い人や白い人、背の高い人や低い人、真ん丸な人、痩せすぎな人、、、、、
 そりゃあ、多民族国家ですから、、、、

 結局、縄文から弥生、飛鳥、奈良、平安って誰かの都合。って事だよね。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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