格差社会とスニーカーと僕らの未来 映画「スニーカーヘッズ」

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今日は、仕事終わりに渋谷PARCOのシネクイントでレイトショー上映されている洋画「スニーカーヘッズ」(ビーズインターナショナル)を観て参りました。
国内でも、吉本所属の芸人たちによるスニーカー同好会というイベントが開催されたりと盛り上がりつつありストリートカルチャー。
劇場のロビーには、いかにもなヘッズたちが集結。ファーストデイだからですかね?

内容に入る前に、僕の原体験ならぬ原スニーカー体験の話をしましょう。それは、おそらく小学6年生の時です。僕は一人っ子ということもあるのか、高価なものを買ってもらっていて、“靴”に関しては両親も“道具”として考えており、ナイキのハイカットのシューズを買ってもらったのが最初です。
しかし、劇中に登場するヘッズはその域を逸脱し1000を超えるコレクションを持つ人ばかり。はああ、自分がスニーカー好きを自負しているのが恥ずかしくなってきました。
僕も好きでよく通うセレクトスニーカーショップ、atmosの社長本明秀文さんが登場して、自分の生い立ちや初めてのスニーカー体験を告白する中で、とっても印象的だったのが“日本人は例えそれがレアなスニーカーでも、服とトータルで合わせてマッチしていないと買わない”という話。日本人は、本場のアメリカのヘッズたちには理解できない洗練されたものを持っていると。確かにそうだなあと思いました。劇中に登場するデザイナーたちが「ここは俺が好きな●●を入れたんだ」って話をするのですが、「あんたの好き嫌いなんて知らねえよ!」って思うし、日本人のセンスってそうじゃないですよね。もっと公のものさしでセンスが統一されてる気がする。
映画は、何編かの構成に分かれていて、スニーカーには避けては通れないであろう「エアマックス狩り」。日本でははるか昔の話ですが、アメリカでは今でもスニーカーが発端で毎年死者が出ているそう。日本がそうでないのは、経済が安定して若い世代でもそれなりの収入があるからじゃないでしょうか。スニーカーが欲しいからという簡単な問題ではなく、そこには人種的な問題やアメリカで常々話題にされる貧困格差の陰りを感じずにはいれません。
それまで、ただただ自分のヘッズとしてのマニアっぷりを披露するだけの登場人物たちが、スニーカーによる死者について真摯に問題提起する姿が、この映画の唯一の救いだと思います。

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ちなみに僕は、Reebokのpump instaが大好きです。

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