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ヤギの頭突きと父の長話の類似性

こんにちは。
あなたの人生のエキストラ、よくいる佐藤です。ヤギよりは猫派です。

はじめに

先日、祖父が亡くなった。96歳だった。
ゴルフが趣味で、エイジシュート(年齢より少ない打数で18ホール周る)は300回達成を最後に数えるのをやめたそうだ。
つい1ヶ月前まではゴルフをしていたというのだから良い人生だったと思う。
今回の記事は祖父の葬儀の後、九州の実家で過ごす中で体験したことをもとにしている。祖父からの頂き物と思って丁寧に書こうと思う。
とはいえ、あなたにはぜひ気楽に読んでほしい。

ヤギとたわむる

祖父の葬儀も終わり、1年2ヶ月ぶりの実家ということもあって近所を歩いていた。開発が進んでいる地域で毎年のように景色が変わっていく様子に少し寂しさも覚える。

自宅からそう遠くないところを歩いていると「メェエエエエ」という鳴き声が聞こえ、振り返ると丸々としたヤギがいた。(サムネイル参照、あごひげがクルエラみたいで可愛い)

私は小さい頃から生きものが好きだ。祖父にも何度か乗馬に連れて行ってもらったのを覚えている。一度きりでなかったのは、幼少期は無口だった私があまりにも多弁に喜んだからだろう。

当然、今だって道端にいるヤギにも挨拶くらいする。とりあえず近づいて臭いを嗅がせてみる。正しい方法かは分からないが、はじめましての動物には上手くいきやすいように思う。

非常におとなしいヤギだったのですぐに打ち解けて体をなでさせてもらった。角も触った。ゴツゴツひんやりとしていて結構気持ちがいい。5分ほど臭いを嗅がれたり、甘噛みされつつ、道端での触れ合いを楽しんだ。

そろそろお暇しようかという頃、ヤギが私の脚に頭をこすりつけてきた。可愛いなと思いまた撫でようとしたら次はコツンと頭をぶつけてきた。思いのほか力が強い。その後2回ほど同じ強さでぶつかってきた後、ヤギが5、6歩後ずさりをした。

次の瞬間、前脚を上げて大きく立ち上がった。
その刹那、私は思った。
あれ、これ、マジのやつじゃない……?
そして後ろに飛び退いた。
ヤギはその場ですっと四足歩行に戻った。少し寂しそうに見えたような気もする。おそらく気のせいだ。

父と話すということ

私の父は話が長い。
話が長過ぎるのに私が辟易して喧嘩になり、2年近く実家に帰らなかったことがある。それくらい長い。

そんな父とも最近はそこそこ仲が良い。父の話の聞き流し方を覚えたからだ。私は心のノイズキャンセリング機能と呼んでいる。父以外にも使えて意外と便利である。

実家に帰ると当然親子で食卓を囲むことになるが、会話の文字数を整数の比で表すと父:母:私=90:5:5くらいだと思う。相変わらず話は長い。

父の長話に関して、これ以上書くことはない。
なにせノイズをキャンセルしてしまっているので……

※勘違いしないで頂きたいのだが、私は父にも母にも同等の愛情をもって接している。ただ父の話が長いのだ。

本と出会う(インターネットで)

ヤギと戯れた日の夜22時半ごろ。父も母も就寝し、私は祖父の部屋でスマートフォンを眺めていた。実家を出て約10年、すでに私の部屋はないのでこれからはここが私の部屋になる。帰省したとき限定で。

ほんの2週間前までこの部屋で祖父が普通に暮らしていたのだと思うと少し涙腺も緩んだが、気がつくと、私の頭の片隅にさっきのヤギがいた。
とりあえずスマホで「ヤギ 頭突き」と検索してみる。

するとこの本が検索にかかった
小林朋道 著 『先生、頭突き中のヤギが尻尾で笑っています!』

タイトル、表紙、帯、今の私が求めている何か、全てに深々と刺さる1冊と感じ、即kindle版を購入した。買ってすぐにタイトル部分の章を読んだが、気づけば端から端まで、時間も忘れて読み込んでしまった。
今回はヤギの話にだけ触れたい。

すごく要約『ヤギの頭突きと尻尾の動き』

詳細はぜひ実際に読んでほしいし、私自身素人なので正しく理解している自信はないが、この続きを書くために要約させていただく。

ヤギは子どものころよく遊ぶ。成獣もそれなりに遊ぶ。
そのひとつに「頭突き」がある。お互いに本気でないことを示し合わせた上で頭をぶつけあう。人間にぶつかってくることもよくあるらしい。
一方で「頭突き」は本気の闘争にも用いられる。群れの中での順位付けや繁殖期の雄同士の争いが代表例である。

遊びと闘争における「頭突き」の違いがひとつある。それが「尾ふり」である。遊びのときは尾をふりながら、闘争においては水平ちょっと上方向、後方へ伸びて固定されている。筆者の推測ではあるが、闘争の際は「頭突き」のみに神経を集中する必要があり、遊びにはある程度のゆとりがあるということなのだそうだ。

また、「尾ふり」は相手に対して本気ではありませんよという意思表示になる。あくまで遊びなのだから相手と楽しみ、続けたい。だからヤギは遊びで「頭突き」をする際に、セットで「尾ふり」をするのだという。ちなみにこれは人間の「笑い」と共通する部分があり、なぜヤギは「尾ふり」で人間は「笑い」なのかということに関する仮説も本書では述べられている。続きは書籍で。

父の長話って……

何度でも言う。父の話は長い。
だがヤギの「頭突き」について読む中で私は思った。父の長話とヤギの「尾ふり」そして、人間のコミュニケーションにおける「笑い」は近しい構造を持っている。

遊ぶことは楽しい。だから長く続けたい。
それゆえにヤギは尻尾をふりながら頭突きをするし、人は笑いながら遊ぶ。そして父は長話で物理的にコミュニケーションを延長する。

だが、大きな違いもある。ヤギの尾ふりと人の笑いはコミュニケーションとして相互的なものである。それに対して父の長話はコミュニケーション亜種と呼んでもよい、一方的なものである。

北風と太陽よろしく、「実際に長く続ける」という目的を果たしたいとき、有効なのはヤギと人の方だろう。
そういう意味で父の長話ってヤギ以下なのかもしれない……

まあ、ヤギの頭突きに対しても尻尾の動きという予備知識がない私は「やめてくれ」と思い行動したのだから、ヤギ以下というよりはヤギの尻尾以下という方が正しいのかもしれない。むしろヤギの頭突きと父の長話は構造やそれに抱く感情も含めてよく似ている。

※勘違いしないでいただきたいのだが、私は父を1人の人間として愛情をもって接している。父の長話はヤギの尻尾以下かもしれないが、それでも父は1人の立派な人間である。人の親である。

最後に

小林朋道先生の『先生、シリーズ』は2022年11月現在で16作が発表されており、『先生、頭突き中のヤギが尻尾で笑っています!』は15作目にあたる。本シリーズ以外にも多作で、ご自身の体験や研究が大変充実していることが窺える。今後もぜひ愛読させて頂きたい。

あと、あのヤギが尻尾をふっていたか思い出そうとしたが無理だった。私はヤギの顔ばかり見ていた。表情も無いのに。『先生、頭突き中(以下略)』を読んだおかげで人間と動物のもつ世界観、コミュニケーションの違いについて身をもって体験することができた。

最後に、96年の生涯を見事に全うした祖父へ。

私が物心つく前から常に大きな愛情をもって接してくれてありがとう。私に結婚祝いを渡したいというのがこの数年の口癖になっていたそうだが、良い報告ができずごめんなさい。長生きしたがゆえに同年代の友人が年々減り、20歳、30歳下の友人が増え、それにより考え方が年々アップデートされてゆくあなたの存在は孫の私にとって誇りだった。最期の1か月まで趣味を堪能できた人生は憧れである。大正の世に生まれ、激動の昭和を生き抜き、平成、令和と多くの家族に囲まれながら過ごした人生は、まさしく波瀾万丈だ。欲を言えば、もう少しあなたと話したかったが、文字通り天寿を全うしたのだからそれは贅沢というものだろう。昨年、あなたに「稼げる仕事もよかけど、好きな仕事ばできたらよか」と言ってもらったのを今思い出している。端的で適切なアドバイスだ。今後大切にさせてもらいます。
何歳になっても家にいる時間が一番短いような、いつも活動的な人だったけれど、どうかゆっくり、心穏やかに休んでください。おやすみ。

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