私とうつと
うつ病とかの精神疾患が少しずつ社会で理解されはじめた。今回書くのは私のうつ病の話。
うつ病と言ってもひとそれぞれあるから、私の場合だけをただ書き連ねていく。
私がうつ病になる前は適応障害という診断が降りてた。始まりは高校生ぐらいからかな。とりあえず高校は何とか卒業して、大学に進学した。
大学では精神保健福祉の分野を勉強して精神保健福祉士を目指していた。
精神保健福祉士の病院実習が残り1週間になった時、心が壊れてしまった。耐えきれなかった。
いつも乗ってた電車が苦しくて、苦しくてどこかの駅で降りた。その時に「あっ、死にたいな」と一瞬思った。ホームに吸い込まれかける感じがした。
でも、何とか耐えて最寄り駅まで引き返してかかりつけの精神科で「適応障害」と診断書が出た。
ここから生活は少しずつ変わっていった。コロナ禍もあったけれど。今までやれていたことがやれなくて、ただただしんどい気持ちでいっぱいの日々だった。集中力もあんまりないし、楽しくない。
かと言って家にひきこもっていてもいい事がある訳じゃ無かったから、外来の作業療法に通うことにした。
作業療法ではレザークラフトをやっていた。レザークラフトは病院実習中に見た患者さんの作品がとても素敵だったからやってみたいと思った。コースターにキーケース、小物入れなど時間はかかったけれど色々と制作した。
カウンセリングも受けてたし、定期的な主治医の診察も欠かさずに受けていた。
ここまではとりあえず大学生の間の話。
季節が少し回って春が来た。
大学を卒業して、とりあえず障害者枠で新社会人になった。この時には精神保健福祉手帳、俗に言う手帳は持っていたので。
新社会人の生活はただしんどくて、3ヶ月で音を上げた。そこからはアルバイトという形でゆるやかに働いていた。ここら辺で「うつ病」という感じで診断がではじめていた。
穏やかに暮らせていれば良かったが、家庭環境も悪く、病状も悪化して一時は精神科入院を提案されていた。社会では理解されつつあると初めに書いたが、私の場合だが同居の家族には理解されなかった。特に父親。
「俺は障害とか持ってないから分からない。俺には甘えてるようにしか見えない。」と言われたのが結構ショックだった。母親は元々から仲が悪すぎたので私が諦めていた。
うつ病は休養が大切だとネット記事とかでも見かけるが、休養できるであろう家、自室では安心して休養には遠かったと思う。
また季節は回って社会人2年目の年になった。その年はそれなりに安定してアルバイトをこなしていた。
そして、秋には彼との同棲のため家を出た。苦痛で逃げたいと思っていた場所から逃げ出すことが出来た。
新しい家はとても静かで、穏やかだった。そして、何よりも自由だった。家事をこなすのは少し大変だったが、慣れてこれば何とかなることも学んだ。
そして、今。今は新しい家の広いベッドで横になりながらこの記事を書いている。
先月下旬から2〜3週間、やる気が出ず、気分は落ち込み、なんだか分からないが泣きたくなり、体もしんどく、少し動いただけで疲れてしまうという感じで不調が続いていた。
かかりつけの担当医には「うつ病の傾向が出始めてますね」「今は休む時です。自分を責めずに休みましょう。」とドクターストップが出た。
正直、この体と心はめんどくさい。病気だから仕方の無い事だと分かっていても、なんだか情けない気持ちでいっぱいになる。もし、うつ病とかじゃなかったらもっと働けてたのだろうかと思ったりもする。
そんなことを考えていてもこの体と心とは当分、いや、長い間付き合わなければいけない。それなりに何とかやれればと言うよりも息をしていればとりあえず花丸ぐらいで過ごして行きたいと思う。
最後に、メンタルの不調は後々大変になるので、できるだけ早めに心療内科とか専門の所に行った方がいいと思う。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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