貨幣を考える旅に出ましょう(4)
こんにちは。今日も旅を続けましょう。「貨幣を考える旅に出ましょう」の(2)と(3)で、貨幣の成立ちとか人間社会での位置づけを辿りました。今日は、そうして成立った貨幣の、いまも進化を続けている貨幣の姿とそこから沸き起こる疑問点について書きたいと思います。
まず「貨幣を考える旅に出ましょう(1)」で箇条書きにまとめた旅程の見出しだけを、下に目次としてコピーしますね。
VIII. 結局貨幣とは? 貨幣として成立つものは?
「貨幣」について調べようと色々な本を読むと、貨幣って捉えるのがむつかしい、という記述に沢山行き当たります。例えば吉沢英成は『貨幣と象徴』で、貨幣は人々が貨幣と思うから貨幣でありうる、と書き、『貨幣論』を書いた岩井克人は『情況』という雑誌での対談で、人々は貨幣とは何かという問いを発する、だが、実はそういう問いは発してはいけない。。。貨幣とは何かという問そのものに貨幣には本質があるという先入見が既に含まれてしまうのです、と言っています。
こういう議論について『貨幣の謎を解く』で紹介した降旗節雄はその著書の中で、今日、貨幣とは何かという本質を探っていっても答えが出てこないのは、現実に金本位制が完全になくなってしまっているからです、と書いています。
確かに貨幣を銀行に持ち込めば、金に換えてもらえるという金本位制の中では、貨幣は、希少価値のある金という手触り感のあるものに裏打ちされている感覚があります。でも、金だって大きな価格変動もあるし、宝飾、半導体回路のメッキ材料という限られた用途以外に大して何か実際の役に立つ金属でもないし、その本質と言っても、やはりよく分からないところもあると思います。
岩村充は『貨幣進化論』で次のような説明をしています。貨幣の数字上の価値を(パンや自動車といった)実物の財に結びつける役割を果たす仕組みをアンカーというが、金がアンカーとして機能していた。そして金本位制期の世界の金資源のほとんどに関与できる英国が、中央銀行の金準備保有を増減することで需給を調整していた。
金の需給を安定させるのは、金の価格を安定させるためです。金と、パンや自動車といった他の実物財全部との相対価格を安定させるためです。そうして金本位制というシステムを支えていたのです。
確かに金の価格が安定しないと、金と結びついている貨幣で交換できるパンや肉の量がその都度変わってしまい、困りますよね。そんな貨幣、使えなくなりそうです。
金本位制度もそれを支える国への信頼があってこそ、やはり成り立っていたのだと思いますが、金本位制度を廃止して金というアンカーをはずした後は、貨幣はひとえに、それを支えるシステムというかメカニズムへの信頼で成り立ってきたことが分かります。
VIII. 結局貨幣とは? 貨幣として成立つものは?
貨幣として成立つものとして「貨幣を考える旅に出ましょう(1)」で以下の状態や条件を挙げました。
• 誰でもが喜んで受け取るもの
• 信頼の上に成立しているもの
• 安定がその持続発展の基盤
• 発行と利率操作による特権
• 社会の経済と政治構造に組み込まれ、密接に関係するもの
最初の3つについては、上に書きました。最後の「社会の経済と政治構造に組み込まれ、密接に関係するもの」については「貨幣を考える旅に出ましょう(3)」に書きました。
「発行と利率操作による特権」について、少し書きたいと思います。「貨幣を考える旅に出ましょう(2)」でシニョレッジについて、次のように書きました。貨幣を作り出すときに製造者が得られる貨幣発行益を「シニョレッジ」といいますが、現在でも貨幣を発行する中央銀行は「シニョレッジ」を得ています。
日本の中央銀行は日本銀行ですが、日本銀行が日本国政府の発行する国債を買うことで通貨が生まれます(政府発行の国債を日本銀行が直接引き受けるのには制約があります。)つまり、日銀は貨幣を渡す代わりに国債を受取りますから、国債を資産として持つことになります。
この国債から利子収入がありますが、その見合いとして渡した貨幣(日銀券=私たちが使っているお金)とのさやが日本銀行の収益になります。日銀券には(現在のところ)利子はつけないので、結局国債からの利子収入が通貨発行益(シニョレッジと呼びます)となります。諸費用を引いた残りの通貨発行益(日銀の収益)は、国庫納付金として政府に納められます。
政府の発行する国債残高が増加しても、その利息支払いは、日銀が保有する分については結局政府に戻ってくるわけです。ですから、国債の利息支払いのために政府の財政が悪化するという点では、この部分は差し引いて考えてよいのだと思います。
少し話は変わって、金利操作についてです。中央銀行の活動は多面的なものであり、すべての人が受け入れる唯一の中央銀行の定義はないそうですが、一応、17世紀半ばに創立されたスウェーデンのリクスバンクが世界最初の中央銀行と呼ばれたりします。
しかし、私たちもイメージするような中央銀行の成立は、イングランド銀行が、1844年に制定されたピール銀行条例で、銀行券の独占的な発行権を得た時と言えるでしょう。イングランド銀行の仕組みは大英帝国の世界制覇と共に世界の標準となり、日本もそれに倣って1882年に日本銀行を設立します。中央銀行の歴史はそれほど長くないのですね。
中央銀行という仕組みがスタートすると、平価つまり貨幣の価値を維持するという仕事は、いつの間にか中央銀行の責任の一部とみなされるようになった、と岩村充は『貨幣進化論』で説明しています。最初は、金準備を守る目的で金利操作というのは始まったらしいです。
そのメカニズムを利用して、次第に貨幣の量や金利を操作することで景気にインパクトを与えようという動きが生まれたのです。
IX. 貨幣が崩落するとき:貨幣の崩落とは?
VIII.で、貨幣として成立するのは、誰でもが喜んで受け取るものであり、誰でもが喜んで受け取れるのは、それに対する確固とした信頼があるからで、そのためには貨幣の価格は安定していなければならない、と書きました。
そして、貨幣は社会の経済と政治構造に組み込まれ、密接に関係するものであることを「貨幣を考える旅に出ましょう(2)」で見てきました。中央銀行は、その中でのメイン・プレーヤーであるわけです。
ですから、そのような前提が崩れると、貨幣は崩落します。貨幣が崩落するという現実は、貨幣というものがなくなることではなく、貨幣の価値がめちゃくちゃになることです。それは、ハイパーインフレーションという形になって現れます。
では、ハイパーインフレーションはどのような時に起こるのでしょうか。それに関連する情報をいくつか見たいと思います。
X. 現実:貨幣(マネー)と実体経済の乖離
1971年にニクソンがドルと金の交換を停止すると声明を出したときに、金本位制度は終わり、通貨の交換に変動相場制が始まりました。
その経緯は、第二次世界大戦後アメリカがマーシャル・プランに基づいて、戦争で経済の破壊された国々に膨大な援助を実行したところから始まります。背景として共産主義を信奉するソビエトの影響力の広がりを防ぐ目的がありました。
結果、経済の回復した国がアメリカの外でドルの蓄積を始めます。反対に途上国経済は著しく悪化し、社会不安から社会革命の危機をはらむようになったので、アメリカは先進国援助から途上国援助へと、ドル支出の方向を転じます。これがまた西ヨーロッパに還流してしまいます。
一方、50年代後半になるとアメリカの国際収支は赤字続きとなり、インフレ政策のため、金1オンス=35ドルのレートを維持するのが難しくなりました。ドルに対する不安が起こると、ドル所有者は金と変えようとしますから、ドル不安はますます進み、1960年ころからドル危機が始まりました。
IMFとアメリカはドル防衛策を取りますが、ついに力尽きてニクソンの声明となったのです。(降旗節雄『貨幣の謎を解く』参照)ドルに対して金が足りなくなったのですね。
それは色々なインパクトがあり、重要な意味を持つものだったのですが、貨幣について言えば、その量に対して見合うだけの金が必要という重しが取れてしまった訳です。それでも、1990年代ころまでは、世界のマネーの増加は実体経済の成長とほぼ軌を一つにしてきました。
それが、リーマン・ショック後はマネーがGDPの伸び率を大きく上回るようになり、乖離は年々鮮明になっているのです(日本経済新聞2017年11月14日朝刊)
XI. Modern Monetary Theory (現代貨幣理論)
そういう中での、現代貨幣理論です。
MMTは「Modern Monetary Theory」の省略形で、日本語には「現代貨幣理論」と訳されていて、よくご存じの方も多いと思います。その主唱者の一人である、ニューヨーク州立大学の経済学の教授、ステファニー・ケルトンが日本はMMTの成功例だと言ったのが、2年ほど前に日本でも結構話題になりましたよね。
様々なメディアでその主張を聞くと、「変動相場制で自国通貨を有している国家の政府は、税収や自国通貨建ての政府債務の大きさを気にすることなく、インフレの問題が起こらない限り、いつでも通貨発行することで支出ができる」というところが強調されています。
この主張に対して各方面からの批判も展開されているものの、日本政府の政策を見ていると、MMTの主張に則ったものではないか、と思われる場合も多いです。実際、金本位制度が採用されていたころでさえ、戦争時などには、一時的にその制度を放棄して戦費をねん出することを、多くの国で常套手段として行われていたようです。
それを考えると、日本国政府も、コロナ禍は戦時と同様の特殊な危機なのだから財政収支を無視した政策を取るのはやむを得ないとしているのかな、とも思われます。しかし、忘れてはならないことがあると思います。
MMTは、貨幣とか、金本位制度を放棄して移行した管理通貨制度とかいう、人類得意の想像力を駆使して作った人工のメカニズムの話をしているに過ぎない、ということです。自然のメカニズムは、人が畑で作物を育てたり、物を作ったりという経済活動から生まれる実際の‘富(価値)に見合った量の貨幣と共に回っていく。ここまで読んだり集めたりした情報や知識からは、そのように思えます。
しかし、実際の‘富’とお金の量は、どんどん乖離して行っているのですね。それと共に、バブルとバブル崩壊の振幅も大きくなってきたのではないか、というのが、私が資産運用の実務に就いていたときの実感でした。
VII. 1930年代の「高橋財政」以降の昭和史
昭和恐慌と呼ばれた時代について書かれた週刊エコノミストの2016年4/5特大号からも、少し抜粋したいと思います。財政赤字と経済政策の歴史を振り返ろうと、改めて読んでみたのです。馬場直彦(ゴールドマン・サックス証券日本経済チーフ・エコノミストと書いてあります)の筆になります。カッコ内は、私の注釈です。
1930年代のいわゆる「高橋財政」以降の昭和史。高橋是清蔵相は、昭和恐慌以降の重度の景気悪化とデフレから脱却するための積極財政を支援するという大きな目的もあって、1932年11月に日銀による国債引き受けを開始した(つまりMMT的発想でお金を創出)。
高橋蔵相は(その副作用についても承知していたので)、これを「一時の便法」と位置付けていた。しかし、高橋財政で日本経済は息を吹き返したにもかかわらず、「一時の便法」だったはずの日銀引き受けは脈々と続けられた。
軍部が軍事費要求を強め、公債漸減方針を主張する高橋蔵相との間で強いあつれきを生んだあげく、高橋蔵相は36年の「2.26事件」において暗殺された。
第二次世界大戦中、国家財政は悪化の一図をたどり、44年に政府債務はGNPの2倍強に達した。終戦時点では、政府債務のほとんどが国内消化だった。終戦直後の46年には、巨額の財政赤字による通貨膨張に物資不足が重なって、年率数百%というハイパーインフレが国民生活を襲った。
他の関連記事として、週刊東洋経済の2016年4/2号にでていた英国金融サービス機構(FSA)元長官のアデア・ターナーのインタビュー記事からも抜粋します。ターナーは、日本では過去にマネーファイナンスの成功例がある、として「高橋財政」に言及しています。
そして、たとえば国民の銀行口座に一人につき10万円を入れる、というヘリコバクターマネーを提言しています。ハイパーインフレの恐れは?という問いに対しては、「穏やかな秩序ある金額で実行すれば(ハイパーインフレではなく)インフレ率を2%まで押し上げられる可能性がある」と言っています。
しかし、「ただし、政治リスクがある。いったんこれが可能であると認めてしまうと、政治家は常に繰り返して大きな金額で行おうとするからだ。マネーファイナンスは薬と同じで、決まった量を飲めば効くが、過度に飲めば死に至ることもある」と続けています。
どちらも5年前の記事ですが、1944年当時、日本の政府債務はGNPの2倍(200%)強であったこと(2020年の日本の政府債務はGDP比で約240%)、ヘリコプターマネー(昨年コロナ禍の中で国民一人につき10万円の給付が実行された)のことなど、比較可能点も多いです。
今日の旅はここで終わります。お付き合いいただきありがとうございました。