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黎明の蜜蜂(第21話)

その情報は、この度も章太郎からもたらされた。

「どうやら島袋常務が関わっているらしいです」
「島袋常務? リテール部門西日本地域の支店が管轄の?」
「そうです。彼は年齢的にも頭取コースは既に外れてしまっていますから、次の行先を探すのに躍起になっているらしいです」

「そういうことは私も聞いたことがあるけど。支店への業績向上プレッシャーを強くかけるのは、天下りの条件を良くしたいという思惑もあってだとか。でも、支店長は例の不動産売買を自分から引いたのよ」

「そこなんですよ。高島さん、その案件に関してコンプライアンス部門に相談しようとしませんでしたか? そのことを支店長に言いませんでしたか?」
「ええ。でも支店長はその時は激怒したけど、あくる日には考えを変えたと言われたわ」

「しかし、そうではなかった。あの不動産案件は、金額もそれなりに大きく、低金利下で収益源の減少を挽回するために強化しなくてはならない手数料ビジネスの好例としてアドバルーンを上げる効果もあった。同様の不動産アドバイスを他の支店でも進めたいということもありましたしね」

「ここで水を差されたくないと?」
「支店長は実績を引っ提げて次の転勤を有利に運びたかったし、常務と動機は共有していた。それで、高島さんを他に飛ばして、その間に案件を進めてしまおうとしたんですよ」

「それは、あり得るわね。でも、決裁書の偽造話が今頃表に出てきたのが解せないわ」
「彼らも、当初は表に出す、あるいは出ることまで想定していなかった。決裁書は偽造したが、その書類自体は支店内で保管する以上の必要はなかった。彼らはアドバイス・ビジネスの実績だけを上に報告すればよかった」

「実際、そうしたのね。私はゆうゆう銀行に来たから、あの不動産取引が結局は履行されたのも知らなかった」
「しかし、それを主導した島袋常務も、大澤頭取が高島さんに注目し、ゆうゆう銀行の長期経営戦略に対して意見を求めるとは考えていなかった」
「確かに、調査部の一調査部員に頭取が意見を聞くなんて異例のことではあるわね」

「そこで、高島さんはゆうゆう銀行の合併戦略に反対しませんでしたか?」
「反対という訳ではないのよ。ただ、世間では地銀の合併がまるで流行のようになっているけれど、慎重に考えるべきとは言ったわ。それだけのことよ」

「いずれにしても、その辺りから頭取の考えが変わった。少なくとも島袋常務はそう感じた。彼の情報ネットワークは、ゆうゆう銀行にもありましたから、そんな話を聞いたのでしょう」
「そうなの? でも、ゆうゆう銀行の頭取の考えに、M銀行の島袋常務が、何故関心があるのかしら? ゆうゆう銀行の頭取の席は、後数年は空かないわよ」

「いや、彼の狙っているのはもっと大きい獲物ですよ。地銀を派手に合併して大きくなってきている例のスーパー地銀のことは、ご存じですよね?」
「ゆうゆう銀行も、そちらに合併させたいと?」

「そうです。彼はスーパー地銀側とも懇意で、合併の橋渡しをしようとしている。その手柄を持って、彼はそのスーパー地銀の役員として迎えてもらおうとしてるんですよ。そこで実績を積めば、その上に将来のキャリア・アップの可能性だってある」

「ところが大澤頭取の考えが変わってきた」
「それで危機感を持った島袋常務が、高島さんを排除しようと動いたのです」

「じゃあ、私が決済をしたということにしたアドバイス・ビジネスが実は怪しい取引だったと、逆に利用したということ?」
「そうです。それも元々は、局部的な問題として済ませようとしていた。スマホ・ニュースに書かせ、コンプライアンス部門に支店長から訴えさせたのです。高島さんの引き起こした問題だとし、高島さんを追いやり、そこでうまく幕引きを図るつもりだったのでしょう」

「そうね。私がコンプライアンス部門に話す前に支店長は取引から引いたと言われたので、結局それで済ませてしまっていたから、コンプライアンス部門は、支店長の話を信じ込んだのね」
「しかし、その情報に週刊誌やNHKまでが興味を示し、問題が拡大した。それは、彼らの計算外だった」
「本当に大騒ぎになったわね」
「今やM銀の上層部は、対外的にどうやってこの事件を納めるかで躍起ですよ」

「でも、分からないのは、私が押していないハンコを誰が押したか?」
「印影は一致したのですか?」
「ええ。決裁書に押されたハンコの印影はコピーされたものだし、私のハンコそのものは手元にないから百パーセントの証明にはならないけれど。でも、私が押印したのでもないのに、ここまできれいに印影が一致するなんて、全く同じハンコがもう一つ存在しなければ考えられないわ」

「じゃあ、ハンコそのものが偽造されたんですね。まったく同じものが作れるなんて、M銀指定の業者しかできないんじゃないですか?」
「他の業者じゃ難しいでしょうね。でも、行員の業務用個人印は重要なものだから、注文も厳重に管理されているわ。業者自身が偽造する動機もないでしょうし」
「誰が注文ルートに忍び込んだか?ですね」
 

章太郎との話は、そこで終わったが、間島が連絡をしてきたときにその話をした。それからしばらくして、今度は真一から連絡があった。

「高島さん、分かりましたよ。誰が高島さんのハンコをもう一つ作ったか。M銀の島袋常務ですよ」
「本当に?何故そうだと分かるの?」
「実は僕の中学の時のブラスバンド部の後輩が、M銀の総務にいるんです。彼女、一年生で入部してマゴマゴしているところを僕が助けたんで、今でも感謝を忘れないって言ってくれるんです」
「意外なネットワークがあったのね」

「ラッキーでした。彼女は行員のハンコ注文の書類を一手に処理する係なので、聞いてみたんですよ。するとその頃、不思議なルートで申請書を要求されたことがあったって」
「ハンコ申請の用紙は決まっていて、上司の承認印も必要でしょう?」
「ええ。それが、ある日秘書室の子が用紙を貰いに来て。その時は彼女、その秘書さんがハンコを注文したいのだと思ったそうですが」
「そうではなかったの?」

「秘書さんから申請書は出なくて、彼女も忘れていたんだそうです。しばらくして行内便で封書が届いたので中を開けたら、高島さんの名前で申請書が書かれており、大阪浪速支店長の承認印が押されていたそうです」

「そこまでしたのね。まだ支店勤務だった私の名前で、上司の支店長の承認印が押された申請書ならだれも不思議に思わないわね」
「そうなんです。だから申請用紙をどこで貰ったかは分からなかったが、僕の後輩も沢山の書類を処理する中で、その申請書に特に疑問は抱かず処理したそうなんです。」
「それは、そうでしょうね」

「出来上がったハンコの送り先が支店長宛てだったことも含めて。新しいハンコは上司が確認してから渡すことになっている部署も多いらしいから」
「違和感のない流れだったのね」

「今回のネット・ニュース騒ぎは知っていたけど、そこに高島さんの名前は出ていなかったから、結びつけることもなかった。高島さんがゆうゆう銀行に行かれたのも知らなかったくらいですから」
「でも、乾さんから言われて思い出したの?」
「そうなんです。それを知って彼女は泣き出してしまったんですが、僕は内部告発制度を使って真相を話すべきだと説得したんです」

「比較的最近できた制度のことね。その制度を使えば、告発者が後で不利な扱いを受けないで済むようになっているから」
「そうです。どうなるか、しばらく見ていてください」
 

それからしばらくして、涼子はM銀行の広報担当役員が囲み取材に応じているのを昼のニュースで見た。
*    この度世間を騒がせている不動産取引へのアドバイスについては、少なくとも道義的な面から疑義の残るものであるという認識をしている。
*    そのような取引へのアドバイスに関わりを持ったことは、M銀行の社会的役割を考えると誠に遺憾である。
*    しかし、実際はこの取引へのアドバイスは、その内容への疑義のため中止するはずのところ、若干名の職員の背任行為のためアドバイス続行という結果をもたらした。
*    背任行為に関わったものは懲戒処分としたが、調査の結果によっては刑事告発も視野に入れている。
*    いずれにしても、世間をお騒がせしたことを申し訳なく思っている。今後は全力で再発防止策を講じて行く。
                       (第22話へ続く)
黎明の蜜蜂(第22話)|芳松静恵 (note.com)

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