危険運転致死傷罪 高速度類型(報道メディア批判篇)

高速度類型危険運転致死傷罪に関するまとめ。

重大な交通死傷事故で、危険運転致死傷罪で起訴されないこと、危険運転致死傷罪の判決が下されない裁判を報道系番組が取り上げることがある。そのとき、取材記者やアナウンサーや出演コメンテーターが、危険運転で起訴されないとおかしい、危険運転の判決がでないとおかしい、そのように語ることをしばしば見る。

そういった番組に対する考えを含めて、法的解釈をまとめた。まとめたところ、20,000文字を超える長い記事となったため、2部に分けることとした。

前半記事では、高速度類型危険運転致死傷罪の法解釈を示したものとしている。後半記事(本記事)では、近時の事故裁判、それに対する報道の取り上げられ方を示す。

前半記事での法解釈を理解していることを前提に、本記事を記している。そのため、前半記事の理解なく本記事を読んでも、得られるものはないだろうと思う。

この一連の記事群は、過去に書いた以下のつぶやきを掘り下げるものでもある。


考えのまとめ

考えのまとめを冒頭に記しておく。

報道メディアは、立法趣旨も含めて解説をしてほしい。
立法上の問題をあたかも司法上の問題であるかのように報道しないでほしい。
法治国家、罪刑法定主義を破壊する行為は避けるようにしてほしい。

法的解釈

法的解釈は、別記事にまとめた。

報道の具体例

高速度類型危険運転の適用が焦点となる近時の例として、2023年2月の宇都宮の事故を示しておく。
報道事例は意図的に、後にまとめて示す。

最初に

誤解を防ぐために事前に記しておく。

被害者遺族の主張は、ごもっとも。
法の理解が十分でない状態でそのように思うのは当然のこと。法の理解があって、それでもなおそのように思っているのだとしても、それもまた人情的には当然のこと。

被害者遺族側の弁護士の主張は、ごもっとも。
弁護士は依頼人の意向に沿うのが仕事。被害者遺族の主張に沿うのが当然。

問題にしているのは、それ以外の関係者。具体的には、報道メディア、取材記者、アナウンサー、コメンテーターを問題としている。これらが行うべきは、正確な理解と正確な報道。その前提で、アナウンサーやコメンテーターが私見を語るのはありだろう。だが前提知識の不足したコメントは害悪でしかないと感じることすらある。とくに交通事故ではしばしばそのように思う。

事故の概要

2023年2月に発生した事故。法定速度60km/h直線が続く国道で、時速160km/hで走行する自動車が、前を走るバイクを避けきれずに追突、死傷させたという事故。自動車は複数がカーチェイスをしていた状況であり、そのうちの1台が追突した。

問題とされているのは、危険運転致死罪で起訴されず、過失運転致死罪で起訴されている点。遺族は危険運転致死罪への訴因変更を要望し、署名とともに要望書を地方検察庁に提出している。

遺族は、危険運転致死罪への訴因変更に際し、高速度類型以外に妨害運転類型危険運転の検討も求めている。また、カーチェイスに対して共同運転危険行為の適用も求めている。

この事故における法適用の私見

先に共同運転危険行為について。
道交法68条、共同運転危険行為の適用はありと思う。ただしその罰則は「二年以下の懲役又は五十万円以下の罰金」(道交法117条の3)。若干の量刑上積みが見込めるかという程度。これが認められるに留まるなら、遺族の希望からは大きく外れるだろう。

そして危険運転。適用は難しい印象。
法定速度+100km/hと考えても危険。法定速度の3倍近くと考えても危険。しかし別記事で示しているとおり、「危険な運転」なら危険運転かというと、そうではない。

高速度類型の判断は制御困難性にある。当時の当該場所の道路に制御困難性の要素があったか。その立証が必要になるだろうと思う。そして、それは後日の実況見分ではなかなか得られない情報だと思う。おそらくは日が経過しても残っている、隆起等の要素を調べているのではと思う。しかしそれで隆起が見つかったとしても、それが高速度類型危険運転の立証と言えるだろうか。事故当時からあった根拠とはならない。隆起が事故に結びついた、つまり因果関係があった根拠ともならない。根拠の定かでない要素を事故に結びつけることになりかねないと思う。先行車両がいなくとも事故を起こすような制御困難性があったのかという判断基準、その立証は難しいと思う。

妨害運転類型には、高速疾走直進事故と危険運転の関係を別記事にまとめてある。そこで否定的見解を記している。ただし、妨害運転類型危険運転が司法判断で通る可能性は、高速度類型よりは高いと思う。

高速度類型と妨害運転類型のどちらの危険運転であっても、こじつけ感を覚え、罪刑法定主義の軽視を感じる。

報道メディアの姿勢

高速度類型危険運転の立法趣旨を解説する報道は極めて少ない。この事故において、テレビ公式のYoutubeチャンネルでは見落としがなければ、立法趣旨を解説しているものは一つだけとなっている。

報道動画などでは「進行を制御することが困難なほど高速度だったから事故になった」などというコメントを目にする。

個人的には、この問題は報道メディアの伝え方に問題があると思う。取材する者の理解の問題かもしれない。アナウンサーやコメンテーターなどには理解の問題がある印象を受ける。そしていずれも、そのような問題が意図的なものか意図せずかは分からない。

報道の実際、原典リンク

メディアの取り上げを以下に示す。ネット新聞記事は、冒頭だけ残して閲覧不可になること、あるいは全文閲覧不可になることがよくある。そのため、ニュース報道系のYoutube動画を示すこととした。「事故 160km/h 宇都宮」のキーワードでYoutube上を検索し、検索結果上位のうち当該事故に関わるものを抜き出している。記載漏れがある場合はご容赦を。

報道内容の要約

ANNnewsCHの2023/07/10の報道が一番掘り下げている。それでもなお個人的には不適切と感じる。

多くの報道は、以下の説明に留まる。

  • 事故の概要説明

  • 遺族は当初、危険運転になるものと思っていた。しかし、検事から危険運転にならないと説明を受けている。

  • 起訴理由を危険運転に切り替えることを求めて、遺族が署名と合わせて要望書を宇都宮地検に提出

こうした多くの報道で扱われている要素で、問題と感じる部分を一部例示する。

報道の問題:危険運転にならないとする検事の説明

以下の動画より。

(検事から)「ぶつかるまでまっすぐ走れているから運転を制御できてるっていうことに当たるので、危険運転にはならない、過失で起訴したと」

TBS NEWS DIG 2023/06/26 (0:49)

これは被害者遺族の言葉であり、検事の説明がこのとおりだったのかはわからない。他の動画でも同様のことが報道されている。

これは、別記事に示した三重県津市の事故の控訴審の、以下の太字部分に相当する。

 ……条文が「進行を制御することが困難な」という限定を付けていることの意味について,高速度走行の持つ一般的な危険を問題としているのではなく飽くまでも「物理的な意味での制御困難性」が問題になるとの認識に立ち,本件道路が片側3車線の直線道路であったこと及び被告人車両の性能を前提とすると,被告人車両が法定速度を大幅に超過する高速度で走行していただけでは,障害物がない状態で直進走行している限りにおいては「物理的な意味での制御困難性」は生じないとし,被害車両が被告人車両の進路に進出してきたことなどにより,被告人車両の通過できる進路の幅やルートが制限されたという特別な状況が付け加わって初めて「物理的な意味での制御困難性」が問題になり得る……

名古屋高裁刑1令和2(う)195 P.2

検事から聞いた言葉「ぶつかるまでまっすぐ走れているから運転を制御できてる」だけで、上記太字の意味だと理解できる人は少ないと思う。この理解には、なぜ物理的制御困難性で判断されるのかを理解する必要がある。それを理解するには、立法趣旨の理解までさかのぼる必要がある。この点の解説がなければ、なぜ司法がこのような判断をするのか、理解できない人は多いだろうと思う。

そして、その解説を行うべき立場にあるのは報道機関だろうと思う。

報道の問題:星教授の解説部分の報道

同じ報道内容のはずの、報道メディア公式サイト記事と動画を示す。
メディアも日付も題材もタイトルも同じであり、記事冒頭の動画は同じものとなっている。だから同じ報道内容のはずだろうと思う。

この公式サイト記事と動画、登場している都立大・星周一郎教授の解説部分に注目する。

まずは公式サイト記事。

ポイントは、「自動車運転死傷処罰法」で「危険運転致死傷罪」が定める、車を「制御」できていない状態が何を指すか、だ。

星教授によると、「制御困難」を二つに分けると、カーブを曲がり切れないなどといった物理的なもの、そして、周りに車がいてそれをよけられないなどといった車の進行上でのものがある。このうち、法律を作ったときには物理的制御のみを対象にしたという。

つまり、周りの車通りや歩行者は危険運転を考えるときに「考慮しない」ということだ。

……

星教授は、現在、最長で懲役7年の「過失運転」と最長懲役20年の「危険運転」の二つしか適用する法律がないことを問題視する。海外では、交通事犯について、故意から過失まで「段階」をつくっている国もあるという。「新しい犯罪類型を制定することもあり得ると個人的に思う」と星教授は話す。

前記公式サイト記事

次に動画。

交通事故の法律に詳しい星教授に伺いました。
危険運転の判断基準のひとつとして、車自体のコントロールができていたのかどうかというものがあるそうで、
事故を起こした車が車線をはみ出していたり、あるいはガードレールや壁にぶつかるなどして追突した場合には、これはコントロールできていなかったということで危険運転に該当するということです。
ですが、星教授によりますと、お酒を飲んでいても、あるいは制限速度を大きく超えていても、車線をはみ出さずにまっすぐ追突した場合には、これはコントロールできていなかったといえないということで、危険運転に該当しないということなんです。

動画 (8:25)

前者の記事で語られている星教授の説明、とくに「法律を作ったときには物理的制御のみを対象にしたという」という部分を、後者の動画から読み解けるだろうか。とてもそうは思えない。そしてこの説明がなければ、問題が立法にあるとは見抜けないだろう。

このようなことがあるから個人的には、報道の中にある伝聞形式の専門家解説を信用しない。スタジオに呼ばれた当人が語る内容、しかも前後の切り取りが行われていない発言でないと、当人がその趣旨で語ったかを信用しない。

報道の問題:直線道路での過去判例に係る弁護士説明

他に比べてやや掘り下げて解説されている動画。制御困難性に若干触れている。しかし疑問のある解説も含まれる。

交通事故に詳しい弁護士によると、「まっすぐな道では速度をはるかに超過して事故を起こしても、『過失運転』とされる裁判での判例があるため、検察は『危険運転致死』での起訴を躊躇した可能性がある」とのこと。

ANNnewsCH 2023/07/10 (1:30)

取材記者「判例でなかなか動けない部分があるのかもしれませんけれども」

ANNnewsCH 2023/07/10 (12:04)

躊躇という言い様にも問題を感じる。弁護士をスタジオに招いて語らせたのではなく、伝聞形式の説明のため、当の弁護士がこのように語ったのかは分からない。

こちらは伝聞問題もあるが、ここでの問題は別にある。
判例に沿ってまた判断されるのではないかと躊躇した可能性と報道している。報道すべきはそこではない。過去の判例がなぜそのように司法判断されたのかという部分を報道するべき。そのように思う。

取材記者が「判例でなかなか動けない部分があるのかもしれませんけれども」(12:04)と語っていることから分かるように、なぜ最初の判例でその判断となったか、その理由が立法趣旨にあること、この点を取材記者が理解していない。

このように中途半端な理解のもとに解説している点が問題と思う。

報道の問題:危険運転であるべきとする根拠なき主観が交じった報道

どの報道でも、危険運転が適用されるべきとする考えが随所に垣間見える。それも法的根拠なしに。法的根拠がないことは、立法趣旨への理解や報道がまったくないことから明らか。

以下の動画を例示する。どの動画でもこの種の主観は随所に混ざっているように見える。あげだしたらキリがない。

アナウンサー「ここでこの事故が過失運転でなく危険運転に変われば第一歩には、大きな第一歩にはなりますよね」

ANNnewsCH 2023/07/10 (11:53)

立法趣旨を司法判断で捻じ曲げること、それをよしとする世間意識の醸成。意図的なものか、意図的でない無自覚によるものかは分からないが、法治国家を破壊する行為と感じる。法治国家を破壊する大きな第一歩を暗示しているようでならない。

最後に

被害者に寄り添っているそぶりを見せながら、裁判の後で被害者が泣く展開を作り上げていること、そしてまたその被害者が泣く展開を報道するのだろうというところに醜悪さを感じる。
それが、意図的なものか、意図的でない無自覚によるものかは分からない。

司法の問題ではなく立法の問題だということをことごとく取り上げようとしないのはなぜだろう。
以下のような様々な邪推をされても仕方がないようにも思う。

  • 不勉強なので知らない。勉強しようと思わない。そのような姿勢で報道することを問題とも思わない。

  • 遡及処罰の禁止があるため。立法の問題とすると、司法の問題とすることができない。司法の問題でないと、今裁判となっている人を救えない。今裁判となっている人を救うためには、司法を歪めても構わない、遡及処罰の禁止などお構いなしと考えている。

  • 被害者に寄り添う素振りを見せずに中立の立場で報道すると、視聴者から叩かれる。それを嫌う、保身のため。

  • 立法の問題とすると、法制審議会の参加者が槍玉にあがるため。

  • 被害者が泣く展開は、報道メディアにとって取れ高があるため。


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