わたしこの街が好き

街は好きな人に似てる。
この前は西成区で暮らしてた。
北向きの部屋で薄暗かった。でも窓を開けるとかすかに路面電車の走る音が聞こえてくるのが好きだった。
さびれた商店街の中に突然現れるチンチン電車の線路は神秘的で、散歩中に見かける度どこか異国に来たみたいな気持ちになった。
お気に入りの喫茶店も見つけたし、桜の綺麗な公園も、帰宅時によくすれ違う可愛い犬もいた。たった一年ほどしか住んでいなかったのに、こんないいところはないな、と思ってた。
もう、ここ以上に素晴らしい場所なんてない、こんないいところに住めて私は幸せ、ずっとここに住みたい、と本気で思っていた。
なのに引越しを終えると「あたらしいこの街も、なんだかとっても素敵」と思う。
そういえばすっかり忘れていたけれど、西成の前に住んでいた街にも、その前に住んでいた地元にも「こんなに可愛い街はない」と、誰に言うでもなくひそやかに思っていたことを思い出した。
思えば好きな人ができる度に「この人の代わりなんて誰もいない、だって誰もこの人と同じじゃないから。他の誰かを好きになるなんて絶対に無理だ」と思い詰めてきた思い込みの激しい人間だった。
「まだ若いから」という大人の窘めは幼さへの侮蔑だと思ってきたけど、そうじゃなくってただの事実を伝えられているだけだったのかもといまは思ってる。何度か繰り返してようやく、ぼんやりだけど、分かってきたんです。あなたみたいな素敵なひとは、ほかに、この世に、たくさんいるけど、それでも私はあの時のあなたが好きだった。
あなたのすごくいいと思う反面すごく苛立たしくて幼稚で浅はかで感情的な醜い乱暴な物言いや過剰な仕草や癇に障る表情、どうしても共感できない服装や髪型の好み、私に対して突然冷酷になるところ、私を嫌いでもないけどうざったいと思っていてそれを私に対してきちんと隠せていると思っているところも、どうしても好きになってもらいたくてでも自分に自信がなくてわけのわからない行動しかできなかったダサい私、感傷的で幼稚で自意識過剰だった愚かな私、あなたの大好きだったところ、それら全部、ぜんぶがただの思い出になって、川が海に流れ込んでいくように私の中のどうでもいいの場所に運び込まれていき、私は冷静に、誰かを好きだった頃の私と、これまで私が好きになってきた人たちのことを整理することができる。あなたの代わりはいないけど、他に好きな人はいくらでも作れるよ。現にあなたと呼びかけているのは私の好きになった人達をひっくるめた呼称だから。いつまでも私のなかの特別にいれると思わないでね。という負け惜しみをひとつ。
この街に越してきてから半年くらいが過ぎた。
なんかもうどこでもいいやと勢いで決めたのにこれまで住んできたどこよりも、わたし、この街が好き。
私のことを知っている人が誰もいないこの街で私は孤独にふるえもせず、煩わしさに顔を顰めることもなく、とてものびのび暮らしてる。あなたの暮らしはどうですか。


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