<K-POPとJ-POPその2>J.Y.Parkの理想とTWICEの功績

Nizi Projectによって日本でも注目を集めたJ.Y.Park。
一方で韓国国内ではJ.Y.Parkに対して「K-POPのノウハウを日本に流出させている」という批判もありました。
それに対して彼は「これは10年かけて計画していたこと」と答えています。
10年計画の第1段階は「韓国人だけのグループをローンチすること」、第2段階は「韓国人と外国人と混じり合ったグループをローンチすること」、そして第3段階が「外国人だけのグループをローンチすること」。
1が、Wonder Girls、2がTWICE、3がNiziUになります。

虹プロでの名言が評価されているJ.Y.Parkですが、こうしたグローバルな視点で10年先を見据えた経営手腕も、評価されてしかるべきだとは思います。

ここで重要だと思うのが、第2段階を担ったTWICEの存在です。
彼女たちの成功がなければ、今のJYPもNiziUもあり得なかったのは確かでしょう。

TWICEがデビューしたのは、2015年。
2010〜2011年、日本では少女時代やKARAに代表されるK-POPブームが巻き起こりましたが、2012年の李明博の竹島上陸を発端とした日韓関係の悪化で、オーバーグラウンドのメディアでK-POPが取り上げられる機会は、グッと減りました。
実はそこでK-POPブームが終焉したわけでは決してなく、SUPER JUNIORやSHINee、EXOらのK-POPアーティストが来日してはドーム公演を実現させていて、日本でもK-POPファンは継続して存在していました。
ただ、特にファンではない一般層が目に付くところでK-POPが取り上げられる機会はほとんど無くなり、「K-POPブームは終わった」と思われていたと思います。
もしかしたら、フジテレビへの抗議デモがメディアやスポンサーの委縮を生んだのかもしれません。

そんな状況の中、2015年に韓国でデビューしたTWICEは、2017年に日本での活動を本格化。
「TT」がヒットし、K-POPアーティストとしては6年ぶりに紅白にも出演しました。
この間、日韓関係が好転したわけではありません。
TWICEが日本のオーバーグラウンド・メディアで取り上げられたのは、9人のメンバーのうち3人が日本人(もう1人は台湾)だったからです。
「なんで韓国人なんかを出すんだ」という抗議に対して「いや、日本人もいるんです」というエクスキューズが使えるのは大きかったのでしょう。
プロフィールでも「K-POPグループ」よりは「多国籍ガールズグループ」「グルーバル・グループ」となっていたことが多かったと思います。

TWICEのヒットによって、日本のティーンの女の子達が、韓国の音楽やファッションに憧れるようになります。
ティーン雑誌では、韓国風メイクの特集が組まれるなど、オーバーグラウンドのレヴェルでもまた韓国文化が取り上げられ出します。
そして、ミサ・サナ・モモの日本人メンバーの存在が、日本の女の子達に「私も頑張ればK-POPスターになれる」と、日本と韓国との架け橋の役割を果たしたのではないかと思います。
TWICEに憧れて、マコはJYPのオーディションを受け、ミイヒはTWICEのコンサートでスカウトされ、やがてNiziUとしてデビューします。

でも、そもそもなぜJ.Y.Parkは、日本人メンバーを入れたのか?
もちろんそこには、日本や東南アジアでも売りたいというビジネス戦略もあったと思いますが、もしかしたら海外育ちが長い彼は、日韓問題について鈍感だったのかもしれないと思います。
前述の韓国の番組でのNiziU批判についても「こんなに批判されるとは思ってなかった」という発言もあったようですし。
一方、その鈍感力が、ある種の楽観的な平和思想につながっている面もあるのかもしれません。

そんなJ.Y.Parkの平和思想によって結成されたTWICEの存在こそが、10代の子供達のレヴェルで、韓国への親近感をうむことに成功しました。
政治家のレヴェルでは未だ成し得ない日韓の相互理解ですが、ここまで両国の関係が悪化しても民間レヴェルで決定的な決裂に至らないのは、若者の間では韓国への憧れ・シンパシーがあることも大きな理由の1つだと思いますし、そのTWICEの功績と、TWICEを生んだJ.Y.Parkの理想主義は、もっと評価されてしかるべきなんじゃないかと思います。

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