<K-POPとJ-POPその1>嵐の英語曲およびジャニーさんの見た夢

嵐が、休止前の大事なラストイヤーを、ブルーノ・マーズ曲ほか英語曲を中心にリリースしたことについて、ファンの間では賛否両論あるようですが、個人的には「これを10年前にやってくれてたら」と思うとともに、それでも今やらなきゃいけなかったメンバーの考えもわかる気がします。
それは、ジャニーズのDNAの中には「アメリカ進出」とゆージャニーさんの夢が刻まれてると思うからです。

僕が知るかぎり、ジャニーさんがアメリカ進出に挑んだのは2回。
1回目は初代ジャニーズからフォーリーブス。
2回目は少年隊です。

ジャニーズが、「ウエストサイド物語」に憧れた少年4人で結成されたのは有名ですが、デビュー後にレッスンのため渡ったアメリカでレコーディングの機会に恵まれ、そこで録音された中の1曲に「Never My Love」がありました。
しかしジャニーズは仕事のため日本に戻り、アメリカでは発売されないままお蔵入り。
「Never My Love」は翌年・1967年にアメリカのバンド・アソシエイションが歌って全米1位を獲得しました。
歴史の”if”ではありますが、もしもあの時、ジャニーズがアメリカに止まって「Never My Love」をリリースし本気でアメリカ進出を目指していたら…という気持ちは、ジャニーさんの心の中にずっとあったんじゃないかと思います。
その根拠として、ジャニーさんは晩年、この初代ジャニーズ「Never My Love」をめぐるストーリーを「ジャニーズ伝説」として舞台化しました。
ジャニーズのDNAの中に「アメリカ進出」があると僕が思うのは、この初代ジャニーズが果たせなかったエピソードがあるからです。

続いては少年隊。
当時中学生だった僕の記憶によれば、トシちゃん・マッチ・シブがき隊が日本のチャートを席巻していた頃、実力派のジャニーズ少年隊は全米デビューを目指している、と言われていました。
だから少年隊が「仮面舞踏会」でデビューすると聞いた時「あれ?結局日本でデビューするの?」と思ったものです。
なぜ全米デビューを断念したのか、その事情はあまり語られていないと思うのですが、英語がネックになったと言われているようです。
「ジャニーさんにとってベスト・グループは?」という質問に対しては、必ず「少年隊」と即答したそうですが、それほど思い入れの強いグループだったんでしょうし、少年隊ならアメリカ進出の夢を託せると思ったんじゃないかと思います。

少年隊は日本でも大ヒットしましたが、2年後にデビューした光GENJIは、それを上回る社会現象になりました。
スキルが完成された少年隊とは対照的に、声変わり前の14歳のメンバーもいてパフォーマンスも未完成で荒削りだった光GENJIが受けたことで、ジャニーさんのモードも変わったんじゃないか、と僕は邪推しています。
それ以前の70年代から、ジャニーズ事務所のデビュー組のバックで踊るJr.に女の子が注目することは続いていましたが、Jr.の人数も増え、「デビュー組はテレビで顔を売る/Jr.はグッズを売る」とゆー今のジャニーズのビジネス・モデルはこの時から本格的になったんじゃないかと思います。

そして、コンサート中心・フィジカルグッズ中心で実利を得る方向に舵を切ったジャニーズは、利益を生まないインターネットに完全に背を向ける姿勢をとります。
そしてこの方針が、念願だった海外進出のビッグチャンスを逃す原因となりました。
この間に、インターネット・SNSを駆使したBTSらK-POPに、海外でのプレゼンスでは完全に遅れてしまいました。

SMエンターテインメントのイ・スマン会長がジャニーズ事務所の練習生システムを参考にしたことは広く知られていますし、2011年の紅白に出たKARAのメンバーが、翌年に韓国のバラエティ番組にでた際に「本物のSMAPや嵐に会った」と発言して、韓国人のゲストらにうらやましがられている映像をみたことがあるので、10年前の時点ではまだジャニーズのプレゼンスの方が高かったものと思われます。
それが今は、アメリカのメディアでのインタビューで松潤がBTS・K-POPについて聞かれるように、両者のプレゼンスは完全に逆転しています。

今、ジャニーズの若手、Sexy ZoneやKing & Prince、SixTONESやSnow Manらは、海外志向があると言われています。
山Pのように、アメリカでの活動のために事務所を退社した人もいます。
嵐は、そうした後輩達に海外への道筋について先鞭をつけてあげるために、日本のNo.1グループとして責務を果たしたかったのかもしれません。

ただ、これは完全に個人の意見ではありますが、もしもジャニーズ事務所の中でアメリカ進出に最も適している人を選ぶとしたら、僕は嵐の大野智だと思っていました。
嵐のヴォーカルのクオリティを一手に引き受けていた歌唱力に、トラヴィス・ペインに「NYに来い」と誘われたダンス・スキル。
ルックスも、アメリカ人が想像するアジア人的ですし、アーティスティックな才能もあります。
唯一の欠点があるとしたら身長ですが、ブルーノ・マーズも同じくらい低いです。
ただ残念ながら、本人に全くその気が無かった。
ジャニーさんが大野くんを「日本のブルーノ・マーズ」に育ててたら…とゆー僕の妄想は、実現することはありませんでした。

ジャニーさんは、東京オリンピックを楽しみにしていたと言われています。
開会式で、腹筋太鼓などの演目を世界に見せたい、とゆー野心もあったのかもしれません。
結局、その夢はかないませんでしたが、今後、ジャニーさんのDNAがどんな風に育っていくのか? 「ウエストサイド物語」への憧れから始まったジャニーズが、アメリカへ恩返しする時は訪れるのか? 見続けていきたいと思っています。


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