<K-POPとJ-POPその3>秋元康とK-POP、IZ*ONEとBTSについて

秋元康は、2010年に少女時代やKARAらK-POPが日本でブームになった際、「K-POPがプロ野球だとしたら、AKBは高校野球」という発言をしたといいます。
K-POPが、十分な練習生期間を経て完成したスキルを得てからデビューするのに対して、AKBをはじめとした日本のアイドルは、未熟なままデビューさせて成長過程を見せる、とゆー趣旨です。
Nizi Projectが始動する際のプレゼンテーションでもJ.Y.Parkが、日本のマーケットを研究した結果として「虹プロでは成長過程を見せる」にという趣旨を発言しているので、そうした日本と韓国との違いは世界の共通認識なのかもしれません。

その秋元康とK-POPは、2018年の「Produce48」で交わり、そこからデビューしたIZ*ONEは、韓国でリリースする作品はK-POPのプロダクション、日本でリリースするシングル曲は秋元康作詞の作品、とゆー形態をとることになりました。
そのため、同じメンバーのグループで、K-POPとJ-POP両方のプロダクトを比較することができます。

個人的には、韓国で最初に「La Vie en Rose」が発表された際には、そのサウンドのクオリティの高さとともに、宮脇咲良ら日本でも見慣れた顔がそこにあることに興奮したのを覚えています。
一方その後、日本でのデビュー曲「好きと言わせたい」を聞いた時に、正直なところ、そのプロダクトの前時代性を残念に思いました。

IZ*ONEは、韓国では様々な新人賞を受賞するなど人気を博しながら、「Produce」シリーズの不正事件を受けて一定期間で活動休止をせざるを得なくなりました。
それも残念なのですが、楽曲面でも、もしも「日本では秋元康作詞曲」というしばりが無く、K-POPのプロダクションのまま日本で活動していたらどう受け入れられていただろう、という思いは、個人的にはあります。

秋元康とK-POPとの関わりについてもう1つ、BTSについても記したいと思います。

2018年、既に世界で人気を博しつつあったBTSが、日本版のオリジナル曲「bird」を秋元康の作詞でリリースすることが発表されました。
BTSは、その時点でも既に日本でも人気を得ていましたが、TWICEにおける「TT」のような日本語のヒット曲が無かったため、世界2位のマーケットである日本での人気を確実なものにするために、企画されたものと思います。
秋元康の起用については、BTSが所属するBig Hitの代表が、秋元康と交流があったことから実現したようです。

しかし、この「bird」に対して、韓国ARMY(BTSファン)が抗議。
韓国では、ファンが事務所に対して直接に抗議行動を起こすケースが多いのですが、この時も、事務所の入り口にポストイットを貼りまくるという抗議行動を起こしました。

韓国ARMYが抗議した理由としては、秋元康が安倍晋三と国会議事堂で写真を撮っていたことから「秋元康は右翼」という見方が韓国内にあったことが主な理由ですが、その他にも、秋元康が作詞したHKT48「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が女性蔑視だという指摘、更には「BTSは日本で活動する意味はなく、アメリカを目指すべき」といった指摘もありました。

その結果、秋元康作詞の「bird」はCD収録中止、お蔵入りになります。
日本では、ファンの抗議を事務所が受け入れるケースはあまり想像がつきませんが、K-POPのファンダムはとても強いので、言うことを聞かざるを得なかったのでしょう。

せっかく完成していた日本語曲がお蔵入りになったことで、日本のARMYの一部には失望が広がりましたが、更にこのニュースが火をつけたのが、日本の”ネトウヨ”と呼ばれる人達でした。
BTSのメンバーの過去の写真から、原爆の写真がプリントされたTシャツや、従軍慰安婦を支援する活動をしているブランドのグッズを身につけているのを発掘し、最後にはナチスをモチーフにしたステージ衣装が出てきて、「ミュージック・ステーション」出演予定の中止につながります。

このエピソードは、日韓関係が悪い中で、両国を跨いだ活動の難しさを象徴していると思います。
原爆Tシャツ問題にしても、謝罪すれば韓国ARMYやネチズンから抗議、謝罪しなければ日本のARMYやネトウヨから抗議、と、どっちに転んでも抗議を受けるわけで、適切な判断がつかなかったのかもしれません。

話を、秋元康とK-POPに戻します。

これらのエピソードから思うのは、秋元康という存在は、よくも悪くも未だにJ-POPを象徴する存在なのだなぁ、ということ。
だから、その功績を過剰に評価される一方で、スケープゴートとしても過剰に批判されがちです。

BTSの抗議理由の1つには「アインシュタインよりディアナ・アグロン」が女性蔑視、という点がありました。
ダイアナ・アグロンとは「glee」の登場人物で、「どんなに勉強できても愛されなきゃ意味がない スカートをひらひらとさせてグリーのように」という歌詞に象徴されるように、いわばおニャン子クラブ・ニャンギラス「私は里歌ちゃん」の現代版のような歌です。

実はBTSも、初期には「ホルモン戦争」のような女性蔑視的な作品もあったのですが、やがて作品の価値観をアップデートして、児童虐待などの問題に積極的にコミットし「Love yourself」というメッセージを出すようになって、アメリカをはじめ海外で評価を受けるようになりました。

K-POPの女性グループでも、BLACK PINKやITZYら”ガールクラッシュ”と呼ばれる「女の子が憧れる女性」のジャンルが主流になってきています。
男性の力や視線を借りず、「I love myself」と女性が自らを肯定する世界観が、韓国や日本、世界で支持を集めつつあります。

一方、2020年に秋元康が作詞した日向坂46「アザトカワイイ」は、それとは真逆といえる価値観で話題になりました。
「世界はガールクラッシュなのに、日本はアザトカワイイか…」といった批判も可能かとは思いますが、個人的には全部がガルクラになる必要もなく、アザトカワイイの世界感が好きな人もたくさんいるので、好きな方を選べばよいものと思います。

むしろ個人的に注目したいのは、秋元康が今後発表する作詞の世界です。
というのも、昭和から秋元康の作品を見てきて思うのは、彼に特定の思想はなく、決して右翼でも女性蔑視でもなく、例えば「ガールクラッシュで歌詞を作って」と発注すれば、それなりに作れそうな気がするからです。
もしかしたら、欅坂46が彼なりのガルクラだったのかもしれないと思ったりもしますが、IZ*ONEから宮脇咲良らが帰ってきたり、NiziUのヒットを受けて、彼がどんな作品を出すのか。
個人的にはこれからを注目したいと思っています。

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