【ショートショート】「余命『 』がつくまで」(3,000字)
「あなたの余命は『 』がつくまでです」
厳かな様子で、医師はそう告げた。
「ちょっとよく聞き取れなかったのですが――」
僕が聞き返そうとすると、医師は慌てた様子で言った。
「おやめなさい! もしあなたが『 』の文字を発してしまえば、いや、あなたの生活に『 』が現るだけで、あなたはそのとき死亡してしまうのですぞ!」
「ええっ!」
医師の話はこうだった。
僕はとある奇病に冒されており、僕の生活に『 』が現れたとき、僕は死ぬのだという。そして『 』は、口に出して言うだけでなく、例えば僕の生活を小説にしたときに、『 』が現れるだけでアウトだというのだ。
『 』は大体の場合がひらがなであるが、例えば読み仮名に『 』がつくだけでも同じく死ぬのだという。
「それで、『 』とはどの文字ですか!」
「それは、あいうえおから言っていき、最後に現れる文字です」
「『 』とは、あれですか……」
「あれです」
比較的、使用する可能性が高い文字のように感じた。
それでも、僕は命を守るために『 』を避けて生活するしかなかった。
僕は慌ててびょうい――でなく“病気やケガを治療する場所”を離れて、自宅のアパートへと向かった。
これからどう生活するべきか。
ともかく不要なリスクは避けなければならない。
僕は、例えば僕の生活を小説にしたときに、なるべく書き込まれる量が少なくなるように、なるべくへいお――じゃなかった、“穏やか”に過ごすことに決めた。
すぐに僕は職場の上司に仕事を辞めることを伝えた。
僕の仕事は辞書を作ることだった。
しかも、僕が担当していたのは、辞書の最後の百ページの部分だった。
仕事はうまくいっていていたし、周囲との関係性も悪くなかったけど、命には代えられなかった。
僕は翌週からねじを作る工場に勤めることになった。
ねじを作る工場であれば人と話すことは少ないと思われたし、おおむね同じ作業の繰り返しなので、『 』が現れるリスクも少ないはずだ。
友達との関わりだって最小に抑えた。
どのように味気ない毎日だったとしても、僕は生きていきたかった。
そのようにしていちね――じゃない、十二か月が過ぎていった。
同じような生活を繰り返してるといっても、変わるものもある。
僕はねじ工場の事務の佐々木という人と恋仲になっていた。
佐々木は二十五歳の僕より三つ年上の女性で、小柄でひまわりのようによく笑う人だった。
僕の病は他人になかなか理解してもらえなかったけど、佐々木にだけはこっそりと打ち明けた。
佐々木は驚いていたけど、僕のことを信じて、僕の生活に『 』が入り込まないように協力もしてくれた。
僕たちはジェットコースターやお化け屋敷がある場所や大きな水槽に魚がいっぱい泳いでいる場所にも行けなかったけど、カフェでお茶をしたり高速をドライブしたりするだけで十分楽しかった。
「あなたの生活ってしりとりみたいね」
ある日、ベッドの中で佐々木は言った。
そのときになると、佐々木も『 』を使わずに流ちょうに会話できるようになっていた。
知り合って最初のほうは、佐々木はほぼなにも話すことができなかったのだ。
「しりとりってどういうこと?」
「ほら、しりとりって最後に『 』がついたら負けじゃない? あなたの場合は最後とか関係ないけど」
「確かにそうかもしれない」
「ちょっとやってみましょうか?」
「しりとりを?」
僕らはおそるおそる、いくつかの単語を口にしていった。
特定の文字を、最後だけでなく途中にも言ってはいけないとなると、とても難易度が高く、僕らはすぐにギブアップしてしまった。
「このような生活が、ずっと続けばいいのに」
佐々木は僕の腕の中でそう言った。
彼女が言いたいことは僕にもよく分かっていた。
でも、それが実現することがないことも、僕らは理解していた。
普通のカップルであれば、十二か月以上も付き合えば、一度は将来のことを意識するのではないか。
そう、つまり、その相手と夫婦になるということを。
だけど、奇病によって僕の物語からはその行事は消されてしまっていた。
僕と佐々木は、その行事について話し合うことさえできないのだった。
ある日、僕と佐々木は些細なことから喧嘩をしてしまった。
きっかけは本当にしようもないものだった。
そして僕は、言ってはいけないことを言ってしまった。
「結局、君は僕が普通じゃないのが気に入らないのさ。最初から、このような病気の僕と付き合わなければよかったのさ」
「ひどい」
佐々木はそう言って、泣きながら出て行ってしまった。
そのまま佐々木は七日、アパートに戻ってこなかった。仕事も体調が悪いといって休みを取っていた。
どうしてあのようなことを言ったのか、僕は後悔したけど、佐々木は戻ってこなかった。
一人の生活が続く中、僕はある決意をした。
もし佐々木が帰って来たときは、僕の本当の気持ちを伝えよう。
そのあとはどうなったっていい。それができないのなら、生きていても生きていなくても同じことだ。
佐々木が家に帰ってきたのは、それからさらに三日が経ってからだった。
「もう頭が冷えたかしら――」
アパートのドアを開けた佐々木は部屋を埋め尽くす花束を見て絶句した。
「この間は悪かった」
「いえ、いいのよ……」
「それで、君に伝えたいことがあって」
「やめて!」佐々木はなにかに気づいたようだった。それでも、僕は言葉を止めなかった。
「君がいなくなって、君なしの生活は考えられないことに気が付いた。君を愛している。僕とけっこ『ん』してほしい」
嬉しいのか、悲しいのか、それともその両方なのか、僕は号泣する彼女を抱きしめた。彼女のぬくもりを感じた。幸せだった。もうどうなってもいい、そ『ん』な風に考えてしまうのも、きっと僕の奇病の症状のせいだ。
僕は目を閉じてそのときを待った。
こうしてとある奇病に冒された僕のじ『ん』せいは、終わりをつげ――
※
ていなかった。
「申し訳ありませ『ん』。あれはごし『ん』でした」
厳かな様子で医師はそう告げた。
「どういうことですか! 僕は『ん』がつくとし『ん』でしまう奇病に冒された『ん』じゃなかった『ん』ですか!」
僕が叫ぶと、医師は慌てた様子で言った」
「おやめなさい! もしあなたが『 』の文字を発してしまえば、いや、あなたの生活に『 』が現るだけで、あなたはそのとき死亡してしまうのですぞ!」
「ええっ!」
医師の話はこうだった。
病気の検査をするときに、『 』の中の文字も検出されるのだが、50お『ん』で見たときに『ん』とそのとなりの『 』を間違えて僕に伝えてしまったそうだ。
「つまり、僕が本当に言ってはけないのは『ん』じゃなくて『 』ということですか」
「そういうことになりますな。それにしても、これまで『 』が出てこなかったのは本当に運が良かった」
病院を出ると、佐々木が僕のことを待っていた。
医者の話を伝えると佐々木は憤慨していたが、すぐに笑顔になった。
僕にはその理由が分かっていた。
「結婚式はいつにしましょうか?」
「気が早いなあ」
「あら、ぷ――じゃなくて、結婚の申し込みはしたくせに」
「そういえばそうだったな」僕は頭をかいた。
僕はいずれやって来るその日のことを思い描いた。
細長い棒に火は灯せないけど、その日はきらきらしたいい一日になりそうだった。
※「小説家になろう」で公開されている村崎羯諦さんの『余命3000文字』に影響されて書いた小説です。
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