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亡霊たちの舞踏会~Time Capsule Orchestraファーストライブ~

本当のことをお話しします

あなたの音がみちしるべ

バンドが復活するとはこういうことなのか、と思った。ハードロック・ヘヴィメタルの世界には動いていないバンド、活動休止状態のバンドは数知れぬが、自分の推しで活動休止・復活がはっきりとしたバンドは、私の周りにはほとんどいなかった。
強いて言えばRainbowがまさかの復活を果たしたのには興奮したが、音源を聴いて、あっ(察し)となってしまった。

2021年12月26日、アーティスト・茅原実里は音楽活動を休止した。その結果として、彼女を支えていたバックバンド・CMBも同様の道をたどった。最後のコンサートとなった神奈川県民ホールは、確かCMBがはじめてツインギターを入れた会場だったはずだ(2011-2012)。あのときに、「この現場は面白い」という感覚が確信に変わった。
昔からB'zがずっと好きで、松本孝弘さんのルーツをたどるうちにハードロック・ヘヴィメタルに片足を突っ込み、イングヴェイ・マルムスティーンのネオクラシカルメタルや、リッチー・ブラックモアの様式美の世界に目覚めていた自分にとっては、運命の現場。茅原実里を「同じB'zファンの仲間(=Brother)」と思っていたのに、いつのまにかB'zと同じくらい好きになっていた。

そして、茅原実里現場とは、新しい音楽を広げてゆく場でもあった。
Twitter上で「茅原実里はメタル」とつぶやいていくうちに、メタルが好きな茅原実里ファンがちらほらと出てきて、話をするようになった。ひとりひとりが、「メタルが好き」と言いながら、主担当とする「メタル」のジャンルがみんな違うことに驚いた。ある人は妖精帝國などのジャパメタ、ある人はARCH ENEMYなどのメロディックデスメタル、ある人は陰陽座やV系バンド……。ライブに行くたびに、CDを持ち寄り、互いに貸し借りする。次のライブまでにリッピングして、また次の音源を持っていく。聴くまでに寝かせた音源もだいぶあったが、聴いてすぐさまハマったものもあった。
加えて、CMBの主戦場とする「プログレ」をもっと知りたくて、沼に足を突っ込むことになった。ヴァイオリンのあるプログレをまず探して、アメリカのプログレバンド、KANSASのボックスを買って聴き込んだ。

それからELPの「Tarkus」。Twitterで知り合った人が推していたWishbone Ashや、アートロック時代のDeep Purpleを思い出させるCaptain Beyondまで突っ込んだ。
Amazonの購入履歴を見ると、2013年からCDの購入ペースが爆増している。鍋島圭一と加藤大祐のツインギターを迎えた茅原実里のカウントダウンライブの直後に、イングヴェイ・マルムスティーンやRainbowの過去作を次々に買い込んでいる。Tangerine Dream、Mahavishnu Orchestra、YES、Uriah Heep……と、激安ボックス盤を探しては買い込んだ記録が、購入履歴に残っている。それからもStratovariusと一緒にクラスタシアのCDを買っていたし、茅原実里のアルバム「Reincarnation」とほぼ同時にNew Trolls「Concerto Grosso」、Viper「Theater Of Fate」を買った。
茅原実里とCMBは、自分の音楽遍歴とともに歩んでいた。CMBが通った道を追いかけ、茅原実里の歌と一緒に今を生きる。あなたの音楽は道しるべだった、いつか話せる日が来るならそう伝えたかったそれなのに、私の人生にとって大切な大切な伴走者(伴奏者かもしれない)が、ふと立ち止まり、消えてしまった。「みのりんー!」と声も上げられぬまま最後のステージを見送り、何かが終わった感じと、何も変わっていないような感じに挟まれながら、関内の寒空の下を歩いて帰った。

「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」 ルカによる福音書 9章58節

Over the hills and far away

「ロス」とは何もないことなのだ。何もないという感じが、どこか視界の隅にふわふわ浮かんでいて、視線を合わせると飲み込まれそうになる。目を向ければロスが襲ってくるが、目を離すとすっと消えて、日常にまた埋もれていく。
どんな日々が待ち受けているかと思ったが、なんということもない。ただ、「何もない」という感覚があって、それに時々針で刺されるだけだ。

ラストライブの後、そんな日々を送ってきた。この穴は埋まらないと思っていたが、CMBの最終メンバーで新バンド結成、というニュースが飛び込んできた。その名は「Time Capsule Orchestra」

音源を出すかと思ったら、先にライブの話が来た。ファーストライブは、茅原実里ファンの思い出詰まった河口湖。しかし勝手知ったる山側・河口湖ステラシアターではなく、河口湖側、キャパ100の河口湖円形ホールにて、「音楽熱想フェス」の一環としてのライブ。

このフェスに向けて、テーマソングが作られる。楽曲の内容は、歌詞も曲もアイデアを出し合って方向を決める。「アイリッシュ」「ケルト」という言葉が出たので、私はそっちの方向を強く押させていただいた。たとえばGary Moore時代のThin Lizzy、あるいは「Over the hills and far away」。

そして1コーラスデモができた! ……という生放送をシーズレシピさんで聴いていたら、まさかのスピーカーに呼ばれて、一瞬感じた言葉を口にする。かなり変なことを言っていた気がするぞ。

8月には歌入れ、PV付き動画が解禁。濃厚なアイリッシュフルートがイントロから鳴り響く。いわば「明るいジェスロ・タル」。フレーズも「Over the hills…」を感じる。ギターソロはスティーヴ・ルカサーが奥井雅美「Turning Point」で弾いていたあのクリケット奏法感。……という話を生放送で書いたら斎藤さんから猛突っ込みを受けた(分析じゃなくて感想を、という言葉、今でも刺さってます。たぶんこのテーマ、10年単位で追求することになると思います。感想、苦手なんですよね……)

で、9月に、そのライブがやってきた。

振り返ってみれば、バンド発表から半年が経っていた。ライブに参加する機会も大きく減少し、仕事もフルリモートになったために外出も激減し、しかも仕事も忙しかったため、気がつけばこんな日になっていた。
上記の物語が展開されていたのはウェブ音声メディアで、私は生配信はリアルタイムで聴くものの、残りの配信はまとめ聴きするスタイルを取っていた。それゆえに当事者のリアルタイム感を味わえなかった面もある。だいたい一ヶ月ごとの生放送前後になって、とびとびで情報を一気に集めていた気がする。
だが、一度終わった物語は、簡単に再始動しないということでもあったのだろう。

Over the hills and far away
for ten long years he'll count the days
Over the mountains and blue seas
a prisoner's life for him there'll be
丘を越えはるか彼方で
十年もの間日々を数える
山々や青い海の彼方で
囚われの暮らしが待ち受ける

Gary Moore "Over the hills and fa away"

Lost In Hollywood

どうしても、過去のCMBの話をしなければ、先に進めないと思った。だから書く。

2013年の鍋嶋ナイトで鍋島圭一(鍋ちゃん)・馬場一人(馬場ちゃん)に、
2014年の表参道でのコンサートでクラスタシアの三人にサインをいただいた。
みのりんグッズのiPhoneケースだ。

Time Capsule Orchestraの前身となった「CMB」は、アーティストのバックバンドという性質上、メンバーが流動的な側面があった。他アーティストのイベントと重複してバンドメンバーが変わることもあった(特に2015年以降はその印象が強い)。現在のTime Capsule Orchestraベースである岩切信一郎さんが出てくるまでは、ベースは特によく変わっていた覚えがある。
だが特に印象的だったのはヴァイオリンの室屋光一郎さん(別名「大先生」)。ヴァイオリンがバンドメンバーにいるだけでも非常に珍しいのに、茅原実里と同年代で、ヴァイオリンがない楽曲では客を煽るパフォーマンスも惜しまない、類い希なるエンターテイナーだった。アニソン系では国内屈指のプレイヤーということもあり、同日にあった水樹奈々さんのライブに出演するために参加できなかったこともあった。それでも代役を立てない……というより立てられなかったほど、SINE QUA NONな存在感を示していた。「CMB」という形を取ってからは彼が唯一のパーマネントメンバーだったことも忘れてはいけない。
そんな彼を失った……というか、彼が追放されたことで、世界はすべて一変した。

こういうことはいつか語らなくてはいけないのだから、語るなら今だろう。
大先生は最も不名誉な形で消えた。
茅原実里がライブの終盤に「もう彼と共演することはない」と言わざるを得ないほど不名誉な形で、そしてヘヴィメタルの歴史に残るような強烈な形で。

メタラーがよくネタにするものは、リッチー・ブラックモアがテレビカメラを爆破してヘリで逃げ出した話、グラハム・ボネットがライブ中に三点倒立する話、オジー・オズボーンが生きたコウモリをかみちぎって病院送りになった話、マイク・ヴェセーラがイングヴェイ・マルムスティーンの嫁を寝取った話、ノルウェーのブラックメタルバンド・Mayhemのアルバムでメンバーの死体をジャケットに使った話(閲覧注意)、Megadethのデイヴィッド・エレフソンがセクスティングで解雇された話、Stratovariusのイェンス・ヨハンソンがライブハウスのトイレを爆破する話……などなど。

えげつない話ばかりだが、メタラーは彼らの破天荒で過激な行動に、辛気くさい秩序を乱し正邪を逆転させるロックスターというものを投影して、酒の肴にしてしまう習性がある。しかしまさかここに、「推しがバンドメンバーと6年間不倫していた」なんて話題が加わるとは思わなかった。今でも、あのニュースが出た2020年5月11日夜、「大先生かよwww」と笑っていたTLが、翌日詳細記事が出たとたんに阿鼻叫喚になった流れを覚えている。
しかし、私にとっては、不倫そのものよりも室屋光一郎がバンドから消えたことがショックだった。Guns 'N' Rosesからスラッシュがいなくなったような、Angraからキコ・ルーレイロが脱退したような、Nightwishからターヤ・トゥルネンが解雇されたような、そんな事態だ(どれも実際に起こったことだ)。重要パートがいなくなると、音楽性が変わる。しかも代役を立てられないような重要人物だったのだ。

SUMMER CHAMPION 2020以降、こうして茅原実里の音楽から、ストリングスが抹消されるようになった。それでも音楽は続いたが、まるで片翼をもがれた鳥のように、必死にかつての姿を維持しようとする試みであるように思われた。終わりが近づいていることは明白だった。2018年「SPIRAL」の曲目と出自から、2019年に突然ベストアルバムが出た辺りから、いつもと制作陣の全く異なる「Christmas Night」頃から、うっすらと見えていた終末が輪郭を表してゆく。そして茅原実里は丁寧に順序正しく、次々とコンテンツを終了させていった。そのたびにファンは終わりと、それが近づいていることを意識させられ続けた。
今思うとあの日々はまるで拷問のようで、ラストアルバム「Re:Contact」は最後の晩餐に等しい、甘美だが儚い味わいだった。

再始動したTime Capsule Orchestraは素敵だ。ファーストライブがアコースティックライブという変則的な形なのも、ある種の運命だろう。2020年頃ジャズバーで西山瞳さんのトリオを聴いて気づいたが、ジャズは形式であって、そこに流れる音楽の洪水はどのジャンルでも変わらない熱さを持っていた。アコースティックでも、ジャズでも、十分にメタルと呼べるほどの熱さだった。それを考えれば、アコースティックはとても面白い。非常に彼ら向きだろう。

まとめよう。あのころのCMBは永遠に戻ってこない。
かつての単独ライブのようにトリプルギターを抱えることはもはや不可能だろうし、自由に音階を行き来するヴァイオリンがいないだけでも、可能性は狭まる。物語のストーリーからして、新メンバーを入れることもありえないだろう。
Time Capsule Orchestraに、過去のCMBを全部背負わせることはできない。ドラムスの岩田ガンタさんだったか、「年老いた新人バンド」と言っていたが、まさにそうなのだ。
今できることはキコ・ルーレイロのいないAngraを、ターヤ・トゥルネンのいないNightwishを、室屋光一郎のいないTime Capsule Orchestraを生きることだけ。

Last time I saw your face
You tried to hide the tears
But I could see the trace
I’d be there if I could
But it’s so far away from home
Lost in Hollywood
君の顔を最後に見たとき
涙を隠そうとしてた
だがその跡は見えた
できるならそばにいたいけど
あまりにも遠くまで来すぎた
ハリウッドから抜けられないんだ

Rainbow "Lost In Hollywood"

ああ、最高のファーストライブ

そんなこんなで、Time Capsule Orchestraのライブは最高だった。本当に最高だった。Download Japan以降のイベントをすべて捨てたのが報われるほど最高だった。

ケニーの視点から。笑っちゃうほどの分数コードの嵐

あっさりと書きすぎただろうか? しかし、本当にいいものは、言葉にできないのだ。特に私は感想が苦手で、かといって分析できるほど、記録や記憶があるわけでもない。大好きなアーティストだと記憶が飛んでしまうって本当なんだなと思った
だから、散文的につらつらと書いていこう。

まず、Time Capsule Orchestraの音を聴いた第一印象について。
看板通りの「プログレ」ではあるが、そこにジャズとフュージョンとAORが混入していた、と思った。四人のメンバー全員が曲を作り、それぞれが異なる方向に尖っている。まるでプログレ界のTHE ALFEEのようだ。
過去のCMB時代を思うと、楽曲の作られ方自体が違うわけだから、こう変化するのは理解できる。茅原実里ライブの衣装替えの時間を埋めるのが、バックバンドに求められる楽曲の目的なわけで、そこでゆったりした曲を入れるのはライブ全体のテンポを落としてしまう。それに比べて単独のバンドとして成立したTime Capsule Orchestraなら、目的は音楽そのものなのだから、何でもできる。
それに加えて、CMBの絶対的リーダー・須藤賢一(ケニー)の方針転換もあったのだろうと思う。都合と諸事情で入れ替わるバンドの中で音楽性を追求するというより、気心の知れた固定メンバーの中で音楽を熟成させてゆく気になったのだろうと思う。そのレパートリーの中には、歌モノもAORもあっていい。現に今まさに、アコースティックという新要素を取り込んだばかりだ。TCOが発生したのも、ケニーの寂しがる姿をみた斎藤さんが企画を立てて……というストーリーらしいので、そのお返し的な要素もあるのかもしれない。

アコースティックの要素もプラスに作用していたと思う。
河口湖円形ホールの常設ピアノ、ベーゼンドルファーが鮮やかに鳴り響くのは単純に楽しかった。TCOと同日、初日昼公演のYuReeNaさんのプレイは、弾き語りプレイヤーの気持ちを込めて重く強く、歌をかき消すかのような爆音を出していたが、二日目のピアノは緩急のついたサウンドを鳴らしていた。この楽器は人を選ぶのだと思う。そして感情を増幅して楽器にも凶器にもなるんだと思う。そんな楽器が、ケニーの手にかかると華麗な音を響かせるのだ。この感覚は電子楽器ではなかなか味わえない。

アコースティックはマーシャルの壁の中では絶対に演奏できない。生音の世界は、息をのむような静寂の中でこそ成立する。そこでは一挙手一投足が音になり、楽器になる。岩田楽曲「Red Snake C'mon!」は静寂から始まり、観客まで楽器にして終焉を迎える。

ガンタさんのパーカッション。無音の中でシェイカーを奏でるシーンはいろんな意味でハイライト

持ち出したフレームドラムを無秩序に叩くかと思えば、ギター・馬場一人がエレクトリックシタールで、Rainbow「Gates Of Babylon」的な中東風フレーズを奏でてゆく。ホールの静寂を撫で、つねって、ひっかくようなフレームドラムの連打に、視線と聴覚が集中したところにメインテーマが差し込まれ、各人のソロへ流れてゆく。五拍子のジャズ。満足。形式の中で奏でられるプレイを聴いているだけで満足だが、それだけではいられない。この曲は「リズムで遊ぼうのコーナー」楽曲で、観客はメインテーマの拍子を練習済。「お客さんスネーク、カモーン!」の謎コールとともに、客席から打楽器の世界にかかわってゆく。
これはCMB以来の伝統パート。過去には変拍子でタオルを振らされたこともあったし、ポリリズムの片方のパートを何分も叩き続けたこともある。それらの経験値を積んだファンは驚かない。……というか、はるか河口湖まで見に来る100名程度のファンなら、叩けて当然、という謎の安心感が演者にも漂っている。この異様な集団は何か。名前をつけねばということで、ガンタさんが名付けたのは「スーパーハンドクラッパーズ」なる言葉。なんとも言いがたい響きだが、確かにこれ以外もなかなか浮かばない。よく考えてみると「Time Capsule Orchestra」というバンド名自体が十分に「なんとも言いがたい」類なわけだから、不思議と共鳴するものがある。言いにくいが、それゆえに合っている。
で、Time Capsule OrchestraがTCOなら、スーパーハンドクラッパーズはSHCだ。ますますなんとも言いがたく、それゆえに愛しい響きじゃないか。「Michael Schenker Group」はMSGだし、「Emerson, Lake & Palmer」はELP、「雨上がりの花よ咲け」は「あまざけ」……うん、我々らしい。そんなわけで「SHCでいいんじゃないですか?」と2日目の開演前に斎藤さんにささやいたら、昼公演時にそれで決まっていた。凄いフットワークだ。

初老の新人バンド最年少のベース・岩切信一郎はすっかり馴染んでいた。コントラバスを持ち込み、足下にエフェクターをたっぷり詰め込んで、舞台後方でとっておきのサウンドを奏でる。なぜか安定しなかった茅原実里現場のベースで不動のメンバーになったのは、ここ数年近くのこと。サポート歴10年近いメンバーたちの中で、エレキの現場では時にピック、時に指と持ち替えながらキメキメのフレーズを出してくるが、アコースティック現場でも実力を発揮。私は他の3名に集中していたので、あまり見れなかったけど……。
そして馬場一人は輝いていた。尖っていた。Voicyで聴ける本人の軽快なトーク回しや、ライブ中の鋭い突っ込み、山の中に秘密基地を作る「チャンババ村」のようなエピソードから想像される明るいパリピイメージを完全に裏切る、そんな尖り方をアコースティックライブで見せていた。
最終盤の難曲「ArrhYThmiA」は「左右対称に、某スラッシュメタルバンドのロゴみたいな感じで」つけたというタイトルに違わぬヤバさ。私も変拍子に慣れているつもりが、どうやっても途中で一拍ずれる。ケニーの鍵盤ハーモニカも猛烈にクサいのに、親しみやすさから執拗に逃げてゆき、尻尾をつかませない。理解できそうなところで、理解を拒む。そういうタイプの極悪プログレだった。

メタリカロゴメーカーで作ってみた ( https://www.metallicalogogenerator.com/ )

初日のMCで話していた「プログレのライブに行ったら、新曲の演奏中に客が拍子を数えていた」エピソードはにやりとしてしまう。分かります。ここにもプログレッシャーがいるんですよ……。

キャパ100名の河口湖でここまでやってくれたのだから、次はもう少し大きな会場でやってほしいし、逆に、新宿のジャズバーで、コーヒーを飲みながらじっくり聴くというのも嬉しい。たとえば新宿PIT INNなど。http://pit-inn.com/
自宅近くの野毛にはたくさんジャズバーがある。そういうところで見れたらいいなあ。平日夜、予約なしで見れたら最高だな……。
大きなところだったら、たとえばクラブクアトロ。たとえば新宿BLAZE。今は、かつてのCMBで実現したO-EAST(E-オエスト?)ほど大きくなくてもいいと思う。そこにオルガンやmoogなど、大量の電子楽器を持ち込んで、足が痛くなるほど長く、熱いプログレを聞かせてほしい。新人バンドなら、夢は大きく持たなきゃいけない。

Burning Heart、あるいは、音楽は終わらないということ

CMBが茅原実里のファイナルコンサートを終えて9か月。そして、2017年のセカンドコンサートから5年が経った。あのとき、「次のライブはオリンピックの頃に」と言っていたのを覚えているが、あの東京オリンピックが終わってからもう一年。忘れ去られかけていた約束が、かろうじて偶然に、違った形でギリギリ叶ったことになる。
あらためて、彼らが新たなバンドとして戻ってきた意味を考えたい。

CMBは、茅原実里のバックバンドであるとともに、ミュージシャン・茅原実里を育てた教師でもあったと思っている。JAM Projectのサポートメンバーを中心にランティスの井上社長が編成したという初期メンバー、須藤賢一(key)・岩田ガンタ靖彦(ds)・鍋島圭一(gt)を中心に、ファーストアルバム「Contact」のツアーで山本直哉(ba)を迎え、セカンドアルバム「Parade」ツアーで同年代のヴァイオリニスト・室屋光一郎(vl)を加えることで基本的なスタイルができた。
大ベテランに囲まれた環境で、茅原実里はソロのアイドル声優として歌い続け、河口湖で「もっと自由にやっていいんだ」という気づきを得る。そこからサードアルバム「Sing All Love」ツアーと、ファイナルの日本武道館公演でひとつの頂点に立つ。デジタルビートの世界で、ストリングスサウンドに囲まれながら、生バンドと一緒にクサメロを奏でる姿は、今思い出してもシンフォニックメタル以外の何物でもない。
CMBは自身の単独ファーストライブ後の2012年に大きなメンバーチェンジを迎え、そこでケニー・ガンちゃんが抜けて馬場ちゃんがCMB入り。エレキギターから三味線まで弦楽器なら何でも演奏できるチャンババはまさにマルチプレイヤーであり、ハワイのファンイベントまでやってくるフットワークの軽さもあって、活動休止までCMBのコアメンバーとして活躍を続けた。2015年にはケニー・ガンちゃんがともにシンフォニックコンサートで復帰し、現在のコアメンバーが確定する。信ちゃんのライブサポートは「Innocent Age」ツアーが最初だったが、パーマネントになったのはもう少し後だったはずで、CMB自身のセカンドライブでは、須藤賢一の後を継いだ二代目バンマス・山本直哉が演奏している。
ヴァイオリンは、初期の代役を除けば、大先生室屋、ただひとり。2020年に去るまでずっと、茅原実里と伴奏していた。彼は盛り上げる時にはファン視点で旗を振ったり、アンパンマンギターを持ち出したり、まったくエンターテイナーそのものの輝きを放っていた。もちろんライブでは、唯一無二の演奏を見せていた。そして彼は茅原実里と同年代だった。
先述したように現場はベテランばかりだから、音大を出たわけでもロックバンドのボーカルだったわけでもなく、ただ歌が好きで東京に出てきただけの新人声優にとってはプレッシャーのかかる空間だったはずだ。そこにいる同年代のミュージシャンから、多くのことを教わったに違いない。
茅原実里は歌うごとに実力をつけ、「Heroine」時代と比べてピッチも安定し、格段に度胸がついた。Paradeツアーに行った人なら、「花束」で毎回泣き出して、歌が止まってしまうみのりんを見ただろう。あるときから、泣きながらも、ちゃんと歌えるようになった変化を見たはずだ。2011年ごろの歌は、もう質的に初期とは異なっていた。「初期の声が出なくなった」というより歌い方を変えたのだろうと思った。これがプロのミュージシャンになるということなのだと思った。
そんな茅原実里は、2021年に、歌うのをやめた。「歌とチロルチョコが大好き」と言っていたアイドル声優は、「私にしかできない表現」を追う、と宣言した。

茅原実里と伴走してきたCMBは、音楽性としてはみのりん自身とはやや別の軸に立っていた。CMBの絶対的リーダー・須藤賢一の音楽性はプログレッシブロック。彼は「プログレは趣味」と豪語しながら、プログレの新曲をライブごとに披露し続ける(ここ数年のCMBは過去作の再演が主だったが……)。まさに趣味と仕事を両立させた仕事人だ。
しかし、茅原実里のシンフォニックメタルとCMBのプログレッシブロックは微妙な距離感がある。遠すぎず近すぎず、わずかに緊張関係すら漂う向きがある。みのりんの歌うElements Garden楽曲は北欧メタル的爽快感のある打ち込みデジタルサウンドとストリングス、それに対しCMBの音楽は、プレイヤーが感覚をシンクロさせながら、自らの手で奏でるアナログなバンドサウンド。似ているようで少し違う。たぶんそこがいいのだと思う。

茅原実里と須藤賢一、年齢も、音楽の方向性も何もかもが違うふたりだが、そのふたりだからこそ作り出せた世界があった。
ラストアルバム「Re:Contact」の最終曲「Sing」は、まさに、この組み合わせでもっと早くに作ってほしかった!と思わせた楽曲だった。最初で最後のお披露目となった神奈川県民ホールでの演奏は、空気感含めて特筆もの。あれだけ歌えたシンガーが、あんなにあっさりと音楽活動を休止してしまうなんて……。

ともかく、形式的にはミュージシャン四人で作られたバンド、Time Capsule Orchestraだが、背後には、前身のバンド・CMBでサポートしていたボーカル・茅原実里のオーラがうっすらと漂っている。少なくとも、その時代に刻まれた経験値と信頼値が、TCOの根底にある。
そこから想起するのは、「仙人」ウリ・ジョン・ロートの弟であったギタリスト、ジーノ・ロートのバンドZENOから派生したバンド、FAIR WARNINGのことだ。

上がZENO。すべての音が泣いている、と言っても過言ではない。特にギターがとても温かい。こんなに完成度が高いのに「未発表音源」というのがZENOのとんでもないところで、どれもこれも、活動休止後に発掘された音源なのだ。どうしてこれが埋もれたのか、わけがわからない。

こっちがFAIR WARNING。荒涼感のあるサウンド(ようつべ音源、ハイが強い気がするが……)にややウェット目なボーカルが乗る。リードギターのヘルゲ・エンゲルケが奏でるスカイギター(ウリ・ジョン・ロートのギターを借りていたらしい)がハードに鳴る。サビのわかりやすさ、メロディーの丁寧さが素晴らしい。アルバムも日本でよく売れた。

ジーノが音楽業界から離れ、病気でツインギターの相棒アンディ・マレツェク(前述「Burning Heart」のギターソロは彼のものだ)を失っても、FAIR WARNINGはZENOから引き継いだ「あの感じ」のメロハーを作り続け、しぶとく生き残っている。アンディの方もスウェーデンの名ボーカル、ミカエル・アーランドソンと組んでLast Autumn's Dreamを結成、これまた涙が止まらないレベルのメロハーを、秋の終わりにリリースし続けていた(今はミカエルがAutumn's Childを結成、こっちもいい曲ばかりなんだ)
音楽はこのようにして、ひとつの大樹のように、枝分かれし、葉をつけ、接ぎ木されたり果実を実らせたり、時には折れたりしながら、歴史を積み重ねてゆく。

茅原実里の物語は確かに終わりを告げた。だが、音楽は終わらない。音楽は続いてゆく。少し違うキーで、少し違う楽器で、茅原実里の息吹は受け継がれる。

There's a vision of justice and peace
Living on in our souls
There must be a way better than this
And I'm longing to go

This burning heart - sets my soul on fire
And the power of hope is rising up through my veins
This burning heart - drives my souls desire
Time and time again

正義と平和の理想像は
俺たちの魂に根付いている
今よりもっとよい道があるはずだ
俺はそこに向かいたいんだ

燃える心 俺の魂に火をつけて
血管をつたって希望の力が湧き上がる
燃える心 欲望が魂を駆り立てる
何度でも 何度でも

Fair Warning "Burning Heart"

亡霊たちの舞踏会

しかしひとつ、気にかかったことがある。どうやらTime Capsule Orchestraのライブに来た茅原実里ファンの一部が、みのりんのライブにしか行ったことがないようなのだ。
確かにこれまでも、その気配をうっすらと感じていた。感覚値としてはファンの2-3割くらいがそうなんじゃないかと思う。茅原実里が音楽活動をやめたとき、彼らはどこに行くのだろうか? と考えていたが、もう考えるだけでは済まなくなった。
せっかくだから、Time Capsule Orchestraをカタパルトにして、無限に広がる音楽の世界へ踏み出してほしいなあ、と思う。茅原実里の亡霊を追いかけている難民たちが、ちゃんと現世に戻れるように。

私はヴァイオリンの亡霊として、成仏できるようにもうちょっと頑張ってみようと思う。

着ているTシャツはKing Crimson。このバンド、ヴァイオリンがいたんだよね……(成仏できてない)