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バタフライエフェクト

私は芸能関係にはまったく詳しくないので、
なにがどれだけ大変なことなのか、全然わからないまま書きます。
だから、綺麗事と言われてしまうかもしれないし
芸能人として生活していくための水準とかもわからない
ただ、推しを応援して自分の活力にしているだけの
ファンの独り言のように読んでもらえると嬉しいです。


久しぶりに、ワンズコンのドキュメンタリーを観た。
YouTubeにアップされてるってすごいことだと思います。
DVDはもちろん持っているけれど、MV再生の合間に挟んで観ていました。
2017年のコンサートを終えて、どんな気持ちだったのでしょう。
あのコンサートで6人のベストパフォーマンスが出来上がって
だからもう、個々で活動していこうって思ったのだろうか
“メンバーの素敵なところを見つけて、そこを見てもらえるように自分が引く
みんなに興味を持てなくなったら終わり、でも、
今はそれが出来ているから続けていられる”
“ファンのため、求めてくれる人のため”
そう言っていた彼らが解散して、個々に散った意味をまた考えた。

ネガティブに推測することはしないけど、
いつも彼らは誰かのために行動していたな、と思った。
今だって、自分がやりたいこと = 人のためになること
俺が、俺が、と前に出ていくことはしていない。
今まで支えてくれた人たちのために(ファンのために)
素敵な作品を一緒に創ってくれるスタッフや
舞台を用意してくれる事務所や
一緒に作品を創りたいと言ってくれる人たちを大切に、
むしろ自分たちを使って、いい作品を創ってくれと言わんばかりに

私が一番最初に健くんに惚れ込んだのは、
剛健コンビが本当にカッコ良くて、キラキラぎらぎらしてたから
でも、数年で離れてしまった。
きらきらぎらぎらが自分には眩しくて、着いていくことが出来ないと
着いていくのに相応しくないと無意識に思っていたのだと思う。
昔から、アニメも漫画も一番の人気者は苦手だった
どちらかというと、最終的には選ばれない二番手くんが好きだった。
なぜなら自分自身も、最終的には選んでもらえない人間だと思っていたから
だから同じ傷を抱えていたかったし、大したことしていない、一番になれなかった自分までも勝手に一緒にまとめて、自分自身をなぐさめていた。
だからトップアイドルな彼らなら、きっとすべてを手に入れられるんだろうと眩しくて、そっと目を離した。

解散するって聞いてまたFCに入り直したのは、
やっぱり一番最初にみつけた、カッコいい初恋の健くんを
あの時感じてたドキドキを、冷めた大人になってもう一度味わいたかったからなのかもしれない。
こんなこと書いたら怒られそうだけど、SMAPや嵐のような1番のトップアイドルグループではなかったことも大きかったかな。
1番じゃなくてもずっと続けていたという事実、途中で腐らずに誰かが欠けることもなく踏ん張ってきたグループ。
喧嘩しても自分たちで軌道修正して諦めないでいてくれた彼ら。
気づけば生活の中に、アニメの主題歌だったりテレビ番組だったりで
ちゃんと近くにいてくれていた。
そして見つめ直した先にいた彼らは、昔のぎらぎら剛健じゃなかった。
しっかりと40代の大人になって、自分ではない、周りの人のためを常に考えている。
歴代の等身大の応援ソングを笑顔で歌って、時には大人の色香をまとっていた。

今振り替えってみると、剛健は「俺についてこい!」タイプではなかったかもしれない。
てっぺん獲ってやる、というより
世や大人に反発するような雰囲気をまとって、それがカッコ良くみえていたのかも。
ただそれだって、大人の作り出したパブリックイメージの1つかもしれないし
彼らの本心は私には知る由もない
あの当時は、若い人たちはとにかく世に大人に反発してた
そういうエネルギーを持った時代だった
当然、現在において、すべてのアーティストさんたちの魅せるものを否定するつもりはない。

なにが言いたいかっていうと
もう、すべてのアーティストを並列する必要ないんじゃないかってこと

年齢だって、経験年数だって、時代だって、全然違うんだから
目指しているものは、はじめから違っているんだと思うんだ
同じ事務所にお世話になっているからって、目標は同じじゃないと思うんだ
仮に、表に現れる言葉が同じ“世界”だとしても、アプローチは違うんじゃないかって思うんだ
20代の描く世界と、30代の描く世界と、40代の描く世界は
違うんじゃないか
違っていいんじゃないか

一緒に居たっていい。
いろんな世代が、分断されることなく1つのものを創るのも一興
でもそれぞれの願う世界で、それぞれが道を極めるのも一興
外枠を同じもので囲ってしまったら、それは無限の想像性から
とたんに限りあるものになってしまう
周りの空気を感じて、足並みそろえるために速度を落としたり
無理矢理、走り込まなきゃいけなくなる
空気を読まずに突っ走ることも、難しい時代
このグループが出来たから他も同じことを、とか
こっちはOK出てるのに、あっちは未だにOKでない、とか
同じことをさせたり、求めることを もう辞めたい。
事務所に辞めさせたいとかじゃなく、
私自身の気持ちをね、変えたいってこと

なんて言うのかな。負け惜しみとかじゃないのよ
負けてないし。勝とうと思ってるわけじゃないし
どうして比べちゃうんだろう、比べる必要ないこと分かってるのに
自分のやりたいことやればいいのに
私はてっぺんを獲りにいく背中を追いかけたいのではなく
一緒に手を繋いで歩きたいだけなのに
この世界は、手を繋いで歩くことがこんなにも難しいんだ
文字にしてみたら、急に悲しくなっちゃった

この世界は二輪車みたいなものなのかな
ある程度のスピード(人気)がないとアッと言う間に倒れちゃうのかな
ゆっくり歩いてちゃ、生きていけない世界なのかな

なにか起こったわけじゃないから、
勝手に悲観的になってるだけなんだけど
何者にも邪魔されない、のんびりとした世界にいたい
上を前を目指さないわけじゃない、向上心は常に持って
誰かのために自分にできることはきちんとやって
たくさんの愛すべき人たちに囲まれて。
でもその経過を数字で追っていくのって辛いね
数字で表せないものっていっぱいあるはずなのに
お金という概念がなかったら何か違ったのかな
とアンパンマンを見て思ったりもする。

外に吐き出したから、私はすこしスッキリした
ここまで読んでお付き合いいただいた方、ありがとうございます



大好きな人のために、いま考えられる
自分にできることをする
でも自分はちっぽけ過ぎて、やっぱり1番とれるような人間じゃなくて
数字があればできる事も増えるけど、そんなものもなくて
私がなにかしなくても1番を獲れる人たちがいて
私がなにかしても、それが力及ばずであることを痛感して
なかなか世の中は、私が思うようには物語を進めてくれない
でもこうして文章を書いたり、MVを見続けることは
ずっとずっと巡りめぐった先の、バタフライエフェクトになるかもしれない
そういう希望を持ちたいというのが、人間の性なのか

いろんな事思ったって、世界は変わらない
ただ、大好きな人の目指す世界を
一緒に見たい
一緒に見るために私には何が出来るの?
私にも、なにかを変えることは出来るの?

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