私の履歴書 齋藤隆太(1) 白球と友と
こんにちは!
齋藤隆太です!
突然ですが、僕には1つ夢があります。
それは、日本経済新聞の「私の履歴書」に連載させていただくことです。
目標ではなく、まだ正直「いつかできたらいいな」というぼんやりしたものではあります。ですが、今起きているいろんなことがこれを書く時のネタになるんだと思うと逆境も困難も「ドンと来い!」と思えるようになります。
そんな夢の連載ですが、どうせなら試しにやってみようということで今回からこのnoteで何回かに渡って僕の半生を振り返っていきたいと思います!
(本家に倣って、30回を目指してみますが途中でネタが尽きるかもしれません。笑)
野球に明け暮れた少年期
僕には野球を知らない時の記憶がありません。
外資系のIT企業に勤める父親と専業主婦の母親に育てられた僕は、たくさんの愛情を受けていたのだろうと思い返しても感じます。
幼稚園から小学校の低学年の時には両親にいろんなところに連れて行ってもらったり、昼間からもたくさん遊んでもらっていました。
ただ、旅行や室内での遊び、テレビやおもちゃなどそれらの記憶も確かにあるのですが、昔を振り返って浮かぶのは野球のことばかりです。
休みの日は父親にせがみ続けてキャッチボールをしてもらったり、平日は同じマンションに住む同い年のU君や年上の近所のお兄ちゃんたちを公園で野球に明け暮れていました。
小学校の2年生には、念願かなって少年野球チームに入れてもらい本格的に野球人生がスタートします。
土日は少年野球チーム、平日はその仲間と遊びの野球、家のテレビで見るのも野球、ととにかく野球に取り憑かれていました。
当然将来の夢はプロ野球選手で、メジャーリーガーに憧れて英語教室にも両親にお願いして通わせてもらっていました。
ありがたかったのは、自分だけでなく前述のU君をはじめ同じように本気で野球に取り組み、切磋琢磨できる仲間に小中学校時代から恵まれたことです。
おかげで、少年野球では埼玉県優勝、中学時代には関東大会ベスト4という結果を残すことができました。
中心選手として活躍し、中学では主将も務めていた僕は自分が甲子園でも活躍できる、プロになれるという確信を持って神奈川県のとある名門校の門戸を叩いたのでした。
そしてそこで人生初めての挫折を味わうことになるのです。
今回はこの辺で。
それではまた!
齋藤隆太