"健常"の仮面を被りつづけられなかった、ということを噛みしめる夜 / 障害受容日記#5
先日、大切なイベントに遅刻したことを大勢の前でいびられて悲しかったナ〜という話。
私はとてもよく遅刻する。忘れ物と遅刻がコンボすることもある。
よく「遅刻しないように頑張れよ」と言われるし、
忘れ物をして遅刻していびられることも、環境によってはままある。
(「頑張る」で解決することなら、こんなに悩んでないのにね)
遅刻しないように超頑張ったあとは、調子を崩して 想定していた動きができなかったりする。
通常魔法「時間通りに行動する」を、他の人は1週間に20発とか30発とか平気で撃てるけど、私はたぶん5発くらいしか撃てない。
でもいまの社会は時間通りに来てほしいようにできているし、
遅刻したら評価が下がるのはあたりまえ。
遅刻される方だってめちゃくちゃ困るもんね。
「遅刻することを受け容れてほしい」、ってお願いしつづける勇気は出ない。
"障害者"としてめちゃくちゃ特別扱いしてほしいわけではないけど、
"健常"の仮面を苦痛なく付けたままいられる人たちと同じように「頑張ったらできる」と思われるのはつらい。
そして、「遅刻すること」と「やる気がないこと」とを結び付けられることもつらい。
だから、私はいちど「障害」という名前を必要としてしまった人間なのだ、と思うようにしよう、と思った。
私はこの社会に存在していい、価値のある人間だけど、
遅刻とか忘れ物とか、なにかと「ちゃんとやる」ことについてはちょっと抜けてる人間で、それがデフォルトモードなんだ、って思うことにする。
だから「社会人としてちゃんとやる」ことを求められる組織からはちょっと遠ざかって、
社会をじっと観察して 需要のありそうで得意そうなパラメーターを磨き、
そのパラメーターで出せる価値を磨き、買ってくれる場所にいこう。
買ってくれる場所を探すのはちょっと大変かもしれないけど。。
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