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こころの状況がからだに現れている〜心療内科と精神科〜


思考と身体が別ものだと感じるようになったのはいつだろう。
切り離せるわけもないのに。

こころとからだは繋がって、
ドライであろうとする論理をウェットな肉体で包んで生きている。

ストレスが身体の症状として出てくるたびに、そんなことを思う。


呼吸が苦しい感覚が、最近ずっとある。

喉仏を正面からぐっと押されて、気管の筋肉がぎゅっと硬直する。
息切れや貧血感はなく、飲み込みにも問題はないけれど、喉の前面の違和感が続いて呼吸がつらい感じ。
いわゆる "ヒステリー球" ってやつだ。

よう、久しぶり、この不快感。


初めてこの感覚になったときは、

大学の部活でレギュラー選手として強化練をしているときだった。

変な感覚にとてもびっくりして、耳鼻科へ行ったのを覚えている。
器質的な疾患は疑われず、緊張をゆるめる漢方を貰って飲んだ。

夏の大会で初めてのレギュラー、強くてセンスのある先輩とのダブルス。
いまから頑張っても実力的に並ぶことは難しいけど代われる人もいない。
大会に出るにはお金も必要で、練習後にバイトを掛け持ちするのは必然だった。

部活だけで夏休みを終えたくなかった私は、他のやりたいこともやった。
特殊な場所での医療救護班ボランティアとか、スタディツアーの企画とか。

小中高と運動部育ちだった先輩には理解されず、長文のLINEが度々来た。

「バイトするのはいいけど、練習への遅刻はおかしい。レギュラーは他の選手の代表なのだから、お手本なんだよ」
…遅刻は良くないと思ってるけど体力切れで…奨学金のある先輩と違って、私はバイトしないと大会の費用を払えないんだ。

「レギュラーなのに、練習よりボランティアを優先するなんてありえない」
…将来この競技でプロになろうとは思ってないし、20日程近くある練習のうち数日くらい、今年しかできないボランティアに行きたかったんだけどなあ。(結局ボランティアには行った)

わたしなりに考えてベストを尽くしているつもりを、頭ごなしに否定される感覚。

今の状況も似ている。


イベントの運営で、
MTGで話して決めたことを 本番当日その場で覆される。
予算が出資者の気分で変動し、よく分からない理由で値切られる。

「あなたが代表なのだから」と言われ、私なりに判断軸を持って意思決定しているのに、なかったことのように扱われていると感じることもある。

走りながら考えるパーパスの欠片を理解できなくて、言葉でコミュニケーションを取ろうとしても、出資者の認識が一向に言語化されてこないこと。
…これは相手の能力や強みの問題でもあると思うから深追いはしないが、脅かされる感覚があることは間違いない

それでアイデアが出づらくなったり、行動が鈍ったりしたら、「モチベーション下げてる場合じゃないだろ!上げてけよ!!」って大声で煽られること。
…元気づけようとしてるのは伝わるけど、さすがに恐喝だと感じた

私のほうにも問題がないわけじゃないと思う。
頑張ったってまだ遅刻するし、気持ちが露骨に態度に出てしまうし。
自分から空気感をつくり、雰囲気を盛り上げていくのは苦手分野だ。


私にとってヒステリー球は、
存在が脅かされる感覚・思考の過程全体を否定されるような状況と関連していると思う。

他の人に起こる同様の症状は、その人の他の感覚や社会的状況と結びついているのだろうし、
わたしの他の症状は他の感覚や社会的状況と結びついている。

例えば、
強いプレッシャーを感じるときは胃酸逆流がひどくなりやすいとか。
方針を決めたいのに明確にできていないときは眠りづらいとか。


「OOという感覚・社会的状況でいるときに、XXという症状がおこりやすい」のような傾向を研究した人はいるのだろうか。
精神分析派の書籍には残っているかもしれない。

先人の研究を自分に当てはめて納得しようとするよりも、
自分の過去を振り返って整理してみるほうが 個人としては有用かもしれない。


良いコーピング・後悔しないコーピングでセルフケアを進めながら、
できるだけ自分が尊重される環境にいられるようにしよう。

行動批判や意思決定そのものの批判、
より良くバリューを出していけるようなフィードバックにはオープンでありたい。

批判を歓迎することでストレッチゾーンに挑み、自分のできることを増やすことができ、よりよいものを創ることができる。

だが、私の人格や存在意義を否定されることは成長には結びつかない。


適切に距離をとって安全基地を持ちつつ、
でもコミュニケーションは諦めずにいきたい。
できることなら建設的な関係になりたいな。



ーーー 思いついたので追記 ーーー


「心療内科」は、このような「心の状況や社会的状況と関連しているかもしれない身体症状」を専門に扱う。

「心療内科」は「精神科」の婉曲表現ではなく、独立した内科系の専門性である。
もちろん重なる部分はあるし、「心療内科」の専門家には「精神科」の勉強をしている人も多い。


「心の状況や社会的状況と関連しているかもしれない身体症状」を心身症と呼ぶ。これが心療内科の主要領域で、専門性だ。

医療ケアに付随する強いストレスへの対応を専門にしている方もいるし、
がんや心不全など終末期の心理的苦痛を緩和するケアを専門にしている方もいる。
抗がん剤治療、臓器移植や骨髄移植の前後は濃厚な医療ケアが必要で、身体的な苦痛も大きい。しかし、今後どうなっていくか予測することは難しく、心理的・社会的な苦痛もとても大きい。本人だけでなく周囲も。


現状、 ”心療内科” を名乗るクリニックの9割近くが精神科の婉曲表現として ”心療内科” の名称を使っている。
担当医師が「心療内科専門医」を持っていたり、「日本心身医学会」に所属していたりすれば、心療内科の専門性を持って日本標準の勉強をしているといえるだろう。

「精神科」的な考え方やケアだけでなく、
「心療内科」的な考え方やケアももっと広まってほしいな〜広めたいな〜と思っているし、
「心療内科」を名乗る医療機関で「心療内科」的な治療やケアが受けられるような社会になってほしいな、と切に願う。




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